特集「短篇小説を読もう」には、ふたつの短篇が載っています。「ふたつだけ?」という声も聞こえてきそうですが、どちらも短篇小説の醍醐味をぞんぶんに味わっていただけるすばらしい作品です。

 ひとつは堀江敏幸さんの「プリン」。ご愛読くださっている方も多いかと思いますが、堀江さんには、「考える人」で短篇を連載していただいています。2003年に刊行された『雪沼とその周辺』は、その連載を中心とした連作短篇集で、谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞を受賞、冒頭の一篇「スタンス・ドット」は、川端康成文学賞を受賞しています。

 尾名川という川の流れる山あいの静かな町、雪沼で、ボウリング場、フランス料理屋、レコード店、書道教室などを営む人々が、日日の仕事と真摯にむきあい、暮らしを紡いでいくさま、その人生の語られずにきた甘苦を、堀江さんならではの細密でゆったりとした筆づかいでつづったのが『雪沼とその周辺』でした。

「プリン」もまた、雪沼という土地に連なる作品です。結婚前、母に教わったプリンを、小さな息子の離乳期にせっせとつくって腕をあげた悠子さん。そのプリンをよろこび、いつもおいしいと言ってくれた義父が亡くなって2週間。婚家の台所に立っていると、義父のあたたかさ、ほがらかさがよみがえってくる。

 結婚によってうまれる新しい家族、そこに育まれていく絆と、実の母から自分を経て息子へとつながってゆくたしかなもの。ゆるやかにかたちをかえていく家族の時間がプリンを軸に描かれます。冒頭部分をご紹介しましょう。つづきはぜひ本誌でごらんください。

 おばあちゃんが変だ、とあまいカラメルの香りに満ちた台所へ、息子が青い顔をして呼びに来た。
 ガスの火をちいさくしてすぐ居間に行ってみると、さっきまで息子といっしょに録画のアニメを観ていた母親が顔をまっ赤にして額に汗をにじませ、胸が苦しいとうずくまっている。悠子さんはあわてて座布団を敷いてそこにいったん横たわらせ、また台所へ走った。途中、引き戸の角に足の小指をひっかけて勢いよく転び、捨てようと思っていたゴミ箱の中身を蹴散らかしてしまう。爪先を押さえ、痛みをこらえているその目のまえで、おやつに三人で食べたアンパンの、くしゃくしゃにまるめたビニール袋が飛び出し、できそこないの水中花みたいにひろがっていくのが見えた。
 母が高血圧と不整脈で薬を飲んでいるのは知っていたし、その薬さえ忘れずに飲んでいればなんとかしのげることもわかっていたので取り乱したりはしなかったけれど、こんなときにゴミの花が咲くのを妙に落ち着いて眺めたり、火を消さずにただ弱めるだけにしておこうと考えたりしたことが、なんだか薄情に思えてくる。それでも、食べたいといったのは母なのだ。せっかくつくったものをあと一歩のところでだいなしにしたくはない。冷たい水をコップ一杯注ぐと、それを持って足をひきずりながら、今度は慎重に歩いた。

 さてもう一作は、ジュンパ・ラヒリ「一生に一度」です。インド系アメリカ人作家のラヒリのデビュー短篇集『停電の夜に』は、新人賞や短篇の賞を総なめにしたばかりか、ピュリツァー賞まで受賞。その年の大きな文学的事件となり、日本でも純文学作品の海外文学としては異例のベストセラーとなりました。第二作である長篇『その名にちなんで』は、「サラーム・ボンベイ」のミラ・ナイール監督によって映画化され、日本でも年末の公開が予定されています。

 次作の刊行が待たれるラヒリですが、『その名にちなんで』以降は、「ニューヨーカー」などにじっくりと時間をかけた短篇を発表しています。今号掲載の「一生に一度」は、2006年5月8日号の「ニューヨーカー」に掲載されたものです。

 アメリカに移住したインド人家族の娘であり、いまは30代となった語り手が、少女時代に淡い恋心を抱いた、もう一つのインド人家族の少し年上の息子にむけて、語り始めます。少年の一家は、アメリカでの暮らしを中断し、ボンベイへと帰ったものの、数年後にふたたびアメリカへともどってきます。新しい家を探すまでということで、しばらくのあいだ少女の家での同居が始まるのですが、大人たちのあいだには次第に小さな不協和音が生じていきます。
 物語はこんな語りかけから始まります。

 それまでも何度となくお会いしていたはずです。でもインマン・スクエアの私の家で、お別れのパーティーをしてさしあげたでしょう。あなたの存在をはっきり思い出せるのは、あの頃からだと思います。ご両親はケンブリッジの町を離れることになさいましたね。ベンガル人の家族で、アトランタやアリゾナへ引っ越していく例はありました。私の父母や、ほかの方々も、いろいろと苦労はしていましたが、ご両親の場合には、そんなものを一切振り捨てて、もうインドへ帰ってしまおうというのでした。あれは一九七四年ですから、私が六歳で、あなたは九歳。じつは私がはっきり覚えているのは、パーティーそのものよりも、始まるまでの時間なのです。

 少女だった彼女にとって、16歳になった少年との暮らしは、緊張と同時に胸の高鳴るものでした。何年アメリカに暮らしてもいっさいがインド式の少女の母と、タバコを吸い、エレガントな服をきて、のびのびとあけすけな少年の母。「この子にはまだ早い」という少女の母を上手にあしらって、初めてのブラジャーを買ってくれたのも、少年の母でした。でも、なぜこの家族は、アメリカにまいもどってきたのでしょう――。

 ラヒリの短篇の特色のひとつは、結末の鮮やかさです。目の前にたんたんと積み重ねられてきたものが、あるときがらっと色合いを変える。短篇好きの方、とくに『停電の夜に』でラヒリに魅了された方はお見逃しなきよう。堀江敏幸さんの「プリン」とあわせてお愉しみください。