【考える本棚】
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『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社編、講談社文芸文庫)
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筆の金メダル
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 いまの国立競技場は、元来「明治神宮外苑競技場」といいました。私たちにとって、それが忘れがたい記憶としてあるのは、戦局が次第に傾いていく昭和18年10月21日、徴兵猶予を解かれた大学生約2万5000人が、降りしきる雨の中を行進した、あの「出陣学徒壮行会」がここで挙行されたからです。

 父親世代の人たちから何度も聞かされました。学帽に学生服、ゲートルに銃。東条英機首相がカン高い声で檄を飛ばし、出陣学徒総代が「明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり」、「生等(せいら)もとより生還を期せず」という答辞を読みあげます。スタンドに陣取った女子学生ほか5万人の人々から、やがて「海ゆかば」の大合唱が巻き起こり、それが神宮外苑の森にこだまします。

 戦意高揚のための一大セレモニーでした。後に、そのプロパガンダ性や裏話などが暴露され、はらわたが煮えくり返るような思いを味わいますが、降りかかった運命を受け入れ、戦地に赴いた若者たちの「死と再生」の物語は、いまなお生き続けるテーマです。

 その歴史的な舞台が、昭和31年に明治神宮から国へ委譲され、翌々年には、収容人数5万5000人を誇る国内最大の陸上競技場に生まれ変わります。さらにその次の年の5月26日、ミュンヘンで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)会議で、1964年(昭和39年)夏季オリンピックの開催地が、東京に決定するのです。ここから、この「聖地」の運命がふたたび大きく動きます。

 オリンピックのメイン・スタジアムにふさわしい規模(収容人数71715人)の会場へと大がかりな拡張工事が行われ、やがてNHKの北出清五郎アナウンサーが、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」と実況放送した、1964年10月10日の東京オリンピック開会式を迎えます。

 ……といった話を会社の中でしていると、「あの時はまだ生まれていませんでしたから」と言う人のほうが多くなってしまいました。ついこの間のことのように思っていましたが、考えてみれば今年でちょうど50年。11歳で迎えた人生上の大きな節目であったとはいえ、世代はいまや、ほぼふたまわり入れ替わろうとしています。

 本書の中で、戦中派の杉本苑子さんが“あの日”の印象を記しています。

〈二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。位置も二十年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押えることができなかった。…… あの雨の日、やがて自分の生涯の上に、同じ神宮競技場で、世界九十四ヵ国の若人の集まりを見るときが来ようとは、夢想もしなかった私たちであった。夢ではなく、だが、オリンピックは目の前にある。そして、二十年前の雨の日の記憶もまた、幻でも夢でもない現実として、私たちの中に刻まれているのだ〉(「あすへの祈念」)

 晴れ晴れとしてはなやかだった開会式の風景の向こうに、雨の神宮外苑を行進する出陣学徒を重ね合わせた人がやはりいたのです。「私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ」という低い声の呟きを、何かにつけて聞いていた最後の世代が私たちなのかもしれません。

 さて、その国立競技場の大規模な建て替え工事が、7月から始まろうとしています。2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、いまから1年3ヵ月かけて取り壊し、2019年3月に新競技場を完成させようという計画です。

 先月末には、幾多の名勝負が繰り広げられたこの競技場との「サヨナラ」イベントが次々に行われ、フィナーレの準備は粛々と進められているかに思われます。一方、新競技場のデザインや規模をめぐっては、いまだに“紛糾”が続いている気配です。

 どういう2020年になるかはまだ見通せませんが、私たちは1964年の大会でいったい何を見たのか――もう一度確かめたくて、手に取ったのが本書です。「軽い気持ちで読み始めたら、いつの間にか、熱中して読んでいた。まったくの想定外だ」と解説の高橋源一郎さんが言うように、私も拾い読みするつもりだったのが、あれよあれよという間に、全篇一気に読み終えていました。

「筆のオリンピック」と言われたように、総動員されルポや印象記を綴った執筆陣は、まさに錚々たる顔ぶれです。当時72歳の佐藤春夫から、29歳の大江健三郎まで、40人の人たちが“競作”しています。三島由紀夫、石原慎太郎、菊村到、阿川弘之、安岡章太郎、遠藤周作、北杜夫、小田実、曽野綾子、有吉佐和子、ほかに小林秀雄、中野好夫、大岡昇平、井上靖、水上勉、松本清張、柴田錬三郎など。

 全体を(1)開会式、(2)競技、(3)閉会式、(4)随想と、4部構成にしたところも読みやすく、開会式の高揚感、固唾を呑んで観戦した2週間の興奮と感激、そして誰も予想しなかった「最高のお祭り気分」の閉会式が、臨場感をもって伝わってきます。

 いかにも「文士」らしい観察眼と直観力が、決定的場面の正確でリアルな表現と、鋭い文明批評を生み出しています。たとえば安岡章太郎の見た閉会式――。

〈こんどのオリンピックで最大の傑作は閉会式の選手の入場だろう。開会式のときと同様整然と八列縦隊にならんで入ってくるはずだったのが、日の丸の旗が入場しおわると同時に、セキを切ったように、服装も、国籍も、性別も、まちまちの選手団がトラックに駈け出した。 日本の旗手を肩車にかつぎ上げるもの、コウモリ傘を聖火のようにかざして振りまわすもの、ロイヤル・ボックスに向って日本式のオジギをくりかえすもの、等々……。ともかく、あのバクハツ的な喜びの表現は、仕組まれた演出のものでなく自然発生のものであっただけに、どこかの新聞の標語どおり、本当に「世界はひとつ、東京オリンピック」という感じであった。…… そういえば、この(註・日本人的な)行儀のヨサは開会式からはじまって全期間、閉会式のそのときまで、あらゆるところで発揮された。すべての行事はプログラムにしたがって、あたかも国鉄のダイヤのごとく、秒単位の正確さで進行した。――模範的だが熱が足りない、そういう不満は、競技をやる側にも、見る側にもあったようだ。そして閉会式のあの盛大なランチキ騒ぎは、そういう秘かな不満の声をあんなかたちでバクハツさせたものともいえないことはない。教室で、いつも石のように突っ立っている模範生を、うしろからそっとつっついたり、クスグったりしてやろう。そんなイタズラっ気も十分感じられた〉(「オリンピック映画作り奮戦記」)

 競技の印象でいえば、私のベスト3(日本人選手に関して)は、柔道無差別級のヘーシンク対神永の決勝、円谷幸吉のマラソン、女子バレーボールの決勝戦です。外国人選手でいえば、マラソンのアベベ、陸上男子100メートルのボブ・ヘイズ、そして水泳で圧倒的な強さを見せつけたドン・ショランダーらのアメリカ・チームです。まるでアメリカ選手権ではないか――観客の子供たちがアメリカ国歌を口ずさみながら、代々木の屋内プールから帰っていったという、水泳ニッポンの落日もまた、この大会の収穫のひとつではあったのです。

 初めて目にする競技や、勝負する選手たちの表情も新鮮でした。

〈或る外国の女子選手が、これから円板を投げるところだ。彼女の顔が大きく映る。しきりに円板に唾を付けている。この緊張した表情と切迫した動作は、一体何を語るのか。どんな心理、どんな感情の表現なのか。空しく言葉を求めていると、解説者の声が聞えて来る。口の中はカラカラなんですよ、唾なんか出てやしないんですよ――私は、突然、異様な感動を受けた。解説者の声というような意識は、私には全くなかったからだ。ブラウン管上の映像が口を利いたと感じたからである。私は全身が視覚となるのを感じた〉(小林秀雄「オリンピックのテレビ」)

 かと思えば、こんなユーモラスな感想もあります。

〈ぼくの友人で、戦争中、ニューギニアのジャングルを敗走していて、土人の投げヤリにやられたという男がいるんだがね。さいわい、かすり傷で助かったんだが、この男は、ヤリ投げを見ると、いまでも、いやな気がすると言っていた。しかし、あのヤリが、きらきら、きらめきながら、弧をえがいて飛んで行き、緑の芝生の上に、グサリと突きささって、しばらく、ぶるんぶるん、ふるえている光景というのは、ちょっといいもんだよ〉(菊村到「オリンピックまんざい」)

〈私は、各選手が、バーベルを前にして、いかにして、無我の状態に自分を置こうか、必死になっているのを眺めながら、そのむかしの剣客たちの修業を想った。 宮本武蔵とか柳生但馬守などの修業は、すべて、対手は、木や石や、闇や光であった。試合の場合は、真剣を用いたので、修業は、孤独ならざるを得なかった。…… 私は、三宅選手が、バーベルの棒をつかんだせつな、顔をあげて、宙の高いところへ視線をはなつのを、眺めて、彼がおのずから会得した無心の一瞬に感服した〉(柴田錬三郎「天にらむ一瞬」)

 挙げていけばキリがありませんが、女子バレーボールの河西主将を「水鳥の群れのなかで一等背の高い水鳥の指揮者のよう」と形容した三島由紀夫は、「河西はすばらしいホステスで、多ぜいの客のどのグラスが空になっているか、どの客がまだサラに首をつっこんでいるかを、一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに、ぬかりのないサービスを命ずるのである。ソ連はこんな手痛い、よく行き届いた饗応にヘトヘトになったのだった」(「彼女も泣いた、私も泣いた」)と描きます。

 当時「東洋の魔女」と呼ばれたこれらの女子選手を率いたのが、「鬼の大松」こと大松博文監督です。「おれについてこい」で知られた猛将の残像を、セピア色のファイルから鮮やかによみがえらせてくれたのが、石原慎太郎の文章です。

〈私は「鬼の大松」をじかに見るのが初めてだった。選手の入場の前、一人はいって来て、ベンチにすわった大松監督の顔をみて、うわさに聞き、その練習ぶりの録画で見たとは、全く違って彼が浮かべている、もの静かな、寂し気なまでの表情が意外だった。 あとから思えば、それはおのれの勝敗をとうにひとり知ってい、さらにその後にきたるべきもの、すなわち、勝ち終えた戦いの後のむなしさを、すでに知覚していた表情であったかも知れない。…… 試合が勝利に終わった瞬間、私は抱き合う選手たちよりも先に大松監督を見、他を忘れて彼に見入った。勝敗が決定の一瞬、彼の表に浮かんでいたのは、試合中選手たちに向けた微笑よりもややきびしい、戦いの始まる前も全く同じ、あのむなしさをすでに知った人間の澄んださびしげなほどの表情だった。…… 選手たちが金メダルを手にする時「鬼の大松」は、終始変わらぬあの表情のまま、彼女たちを見つめていた。そして彼は、何ももらいはしなかった。全く、何も。彼が得た勝利は「勝利」という結果以外に、他の何の飾りも償いもいらぬ完璧な勝利であるがゆえに〉(「『鬼の大松』賛」)

 指導者ひとりの姿をとっても、50年前にくっきりとした輪郭を持っていた日本人が、身の周りから次第に消えつつあることを痛感します。2020年の「筆のオリンピック」では誰が金メダリストとなり、どのような人間像を描き出しているのでしょうか。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)