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 文庫本礼賛
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 本との付き合いは、これまでの人生のほぼ9割に及んでいます。そして、「す
べて」とは言わないまでも、「人生に大切なことは、かなり本から教わった」と
思っています。なかでも文庫本には、読書のビギナーであった時分から、たいへ
んお世話になりました。小さくて、軽くて、とっつきやすい体裁は、「書物」に
対する心理的なハードルをずいぶん低くしてくれました。

 実は、皆さんにたいへん誤解を受けているようなのですが、中学、高校時代の私はひたすら本から逃げ回っていました。夏休みに読書感想文の宿題が出ようものなら、とにかく薄い本を探し出し、手早く“義務”を片付けよう、という考えだけでした。選んだのは、森鴎外の『高瀬舟』、伊藤左千夫の『野菊の墓』、中勘助の『銀の匙』だったと記憶しています。すべてが、もちろん文庫本。薄くて安くて、申し分のない3冊です。

 やがて大学生になって、多読、濫読の季節に突入しますが、こうなればなったで、いつでも、どこでも、どこへ行くにも気軽に付き合ってくれる文庫本の存在に、どれほど支えられ、慰められたことでしょう。書店に行って、さて、きょうはどの本にしようかと、文庫の棚の前を行ったり来たりするときの気持の高ぶりは、それ自体、すでに読書の快楽でした。

 時あたかも、「第3次文庫ブーム」と言われた1970年代の中頃です。岩波、新潮、角川という“御三家”に加えて、1971年に講談社文庫、73年に中公文庫、74年に文春文庫、77年に集英社文庫が登場しました。また、角川文庫は「角川商法」のもと、「大量宣伝・大量販売」の路線を突っ走り、ついには映画製作にも乗り出して、「読んでから見るか、見てから読むか」の“メディアミックス”戦略で、文庫と映画を一体化した一大旋風を巻き起こしました。

 まさに“風雲急を告げる”かのごとき文庫戦争のただ中に、学生時代がありました。ですから、書店に足を運ぶ度にどんどんスペースの広がる文庫棚を前にして、本の世界の大きさ、賑わい、その奥深さを体感していた気がするのです。

 さて、明日発売の「考える人」夏号は「文庫――小さな本の大きな世界」の特集です。あの判型にすっかり馴染んで、もはや空気のような文庫本ですが、いつ、どこで、どのようにしてあの体裁が生まれたのか。また、そのカタチはいかに受け継がれ、とくに日本で、なぜこれほどまでに親しまれ、発展してきたのでしょうか。

 この問いに対して、「日本人の小さいもの好き」を指摘するのは丸谷才一さんです。「縮み志向なんてからかはれるが、日本人は一体に小ぶりなものに目がない」と。

〈たとへば盆栽。あれは庭木あるいは森林のミニチュアである。箱庭もこれに似てゐる。それからお雛様の雛道具。小さなお膳の上に、小さな御飯茶碗だのお椀だのその他いろいろの器が並んでゐる。 詩だつて小ぶりだ。つまり短い。和歌は三十一音で発句は十七音。漢詩のときだと律詩その他の長いやつぢやなく、わづか四句しかない絶句を愛する。しかも朗詠などのときは、そのうちの二句を抜いて口ずさむ。 本だつてこの傾向があつて、江戸後期には小本(こほん)といふものが流行した。小ぶりの木版本で、漢詩や和歌や俳諧の集を出すのである。袖珍本(しゅうちんぼん)と称して、ちよいと出かけるとき懐中にしのばせるのに向いてゐる。そして、かういふ下地があつたからこそ、近代にはいつてから、文庫本が国民全体に受けたのだと思ふ〉(「文庫本が好き」、『別れの挨拶』集英社、所収)

「範をかのレクラム文庫にとり」という、「岩波文庫発刊に際して」の一節は有名ですが、ドイツの小型本が日本の風土にすんなり受け入れられたという背景には、この小本の伝統が大きかったのではないか、というのです。

 さらに付け加えれば、欧米のペーパーバックが概して実用一辺倒の消耗品――紙は粗悪だし、文字は汚くても平気――であるのに対して、日本の文庫本は本としての上質感、美しさを兼ね備えています。細部に対しても、工芸品のような“こだわり”が随所に見られ、たえず改良が施されてきました。

 今年は新潮文庫が誕生して、ちょうど100年を迎えます。1914年(大正3年)9月に創刊された第1期の新潮文庫は、厚表紙(地券ボール)に背クロス貼り継ぎ、表紙には孔雀のマークを箔押し、金の背文字といった上製の造本で、高級な「美本」であることを強調しています。サイズは、現在の文庫本よりもひとまわり小さくて、手のひらにすっぽりおさまる小型本(いま、この創刊文庫を「完全復刻」しようとすれば、原価計算上も、造本技術的にも、かなり高価なものになるはずです※)。

 こうしてトルストイ『人生論』、ギヨオテ(ゲーテ)『若きエルテルの悲み』、ダスタエーフスキイ(ドストエフスキー)『白痴』などの6点を皮切りに、「泰西名著」の「責任ある全訳」100点の刊行をめざしました。それを、「未曾有の廉価」――1冊25銭の統一価格で売り出したのです。しかし、当時は木村屋のアンパンが2銭、ゴールデンバット(煙草)が6銭という時代ですから、かなり高価なものでした。そのせいもあってか、3年間に43点刊行したところで中断のやむなきに至ります。

 やがて1923年(大正12年)に関東大震災が起こり、不況が続く中で、改造社の『現代日本文学全集』が1冊1円という新基軸を打ち出して、空前の「円本ブーム」を巻き起こします。続いて1927年(昭和2年)7月に、いまにいたる本格的な文庫時代をもたらす岩波文庫が創刊されます。古典を中心にした23点のラインナップ、100ページにつき20銭という価格設定で、20銭ごとに背に★印を表示して、最低部数1万部からスタートすると、またたく間に版を重ねていきました。

 第2期新潮文庫がお目見えするのは、この成功を見た翌1928年(昭和3年)のことでした。今度は島崎藤村、佐藤春夫、谷崎潤一郎といった日本文学を中心に据えますが、こちらも1年半に19点刊行したところで頓挫します。なかなかうまく行きません。

 次に文芸書を一挙に24点揃え、「3度目の正直」に挑むのは1933年(昭和8年)のこと。戦時下の昭和19年までの11年間に、495点を刊行したところで休止しますが、現行の新潮文庫の礎石はここにようやく築かれました。

 この間、1918年(大正7年)に制定された大学令や高等学校令の改正によって、日本の高等教育機関は一気に拡充されました。旧帝国大学以外の官立大学が設立され、早稲田大学、慶應義塾大学などが正式に「大学」に昇格し、多くの私立大学が誕生します。また、いわゆるナンバースクールに続いて、各地に次々と高等学校が増設され、私立高校も産声を上げます。結果として、これらの学校の卒業生が大量に社会へと巣立ったことで、インテリという名の大衆知識人層が形成されるのです。文庫本はこの時代背景を追い風に、完全に市民権を獲得していきます。

 さて、そこから文庫本がますますこの国で親しまれ、定着していくプロセスは、先の丸谷説に説得力を感じます。実際、私自身の体験を振り返っても、文庫のえり好みには実に微細な比較考量をしていることに気づきます。

 たとえば、本棚に並べてみれば分かるように、その背丈も各社で微妙に違います。紙質や書体、文字の大きさ、組み方、表紙デザインにも個性(主張)があります。さらに帯、しおり(紙のしおりか紐しおりか。スピンと呼ばれる後者は、新潮文庫の代名詞です)、シンボルマークの意匠、解説の有無、解説者の人選なども異なります。

 かつての文庫の解説は、研究者か文芸評論家による文学辞典のような背景説明が中心でした。著者略歴や作品の文学史的意義など“長めの註”といった趣がありました(初期の講談社文庫には、巻末に著者の年譜が付いていました)。それが徐々に、さまざまな書き手による読後感ふうのエッセイに変わってきています。これは、文庫本全体をおおうトレンドの変化です。

 さらに文字の大きさ、文字組みも「目にやさしく」なりましたし、カバーデザインも折りに触れて刷新されます。日本の文庫は、不断の手入れに余念がありません。

 そうした細やかな変化も、文庫本と付き合う楽しさです。たかが文庫本と言うなかれ。まるで愛玩物を愛でるように、わずかなドラマの積み重ねに、ついつい思い入れが生まれます。「日本人の文庫本好きはわたしの血のなかを脈々と流れてゐるやうである」と丸谷さんは書いていますが、そうとしか思えない“文庫愛”があるのです。

 今回の特集でも、いろいろな方に文庫本との付き合いを語っていただきました。

〈私の旅は、まず文庫本選びから始まる。 旅にどの文庫本を持っていくか……これにしようかな、でもやっぱりこっちかな、んんん、これは現地の雰囲気に合わない気がするな、とかなんとか、ああでもないこうでもないと悩むのが楽しい〉(宮田珠己「旅のお伴としての不思議な魅力」)

〈毎年書店で各出版社の文庫目録をもらうのを楽しみにしていました。まだまだこんなにたくさん本があるのかとワクワクするような気持ちで、暇があればパラパラめくり、次に読む本を選ぶヒントにしていたのです〉(山田チカラ「海外への憧れを培った“おむすび”」)

〈持ち運ぶためのかたちは、忘れるためのかたちでもある。小さくて、薄くて、買いやすい。つまり、ちょうど忘れやすいようにできているのだ。……文庫本にはたぶん、あらかじめどこかで持ち主に忘れられることが織り込まれている〉(宮下奈都「秋の森のリス」)

 読んでいると、何かしら文庫本に対する共通の“体温”が感じられて、不思議な連帯感、仲間意識が湧いてきます。文庫本への感謝の言葉は、書き出せばキリがありませんが、これからもよろしく、という挨拶に代えて、文庫本特集を組んでみました。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)