【考える本棚】
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 佐々涼子『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』(早川書房)
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出版社は石巻を待っている
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 ひと口に「文庫本」といっても、本棚に並べると、各社で微妙に背丈の違っていることが分かります。紙質、書体、文字の大きさや組み方も、それぞれに特徴が異なります……という話を書いたところ(No.594「文庫本礼賛」)、さっそく読者から強く推薦されたのが本書です。「涙なしには読めませんでした」というひと言も添えられて――。

 2011年3月11日、東日本大震災によって足元が大きく揺らいだのは、出版界も同様でした。被災地の読者、書店、筆者をはじめ、倉庫、流通網などのインフラが甚大な被害を受けました。また、出版産業にとってのライフラインである用紙とインキの製造現場も壊滅的な打撃を受けました。用紙でいえば、日本製紙石巻工場(宮城県)、三菱製紙八戸工場(青森県)が操業停止に追い込まれ、書籍や雑誌の刊行スケジュールに大きな狂いが生じました。発売中止に至ったケースもありました。

 本書はその頃の、あるベテラン女性編集者の言葉を最初に紹介しています。

「今、大変ですよ。社内で紙がないって大騒ぎしてます。石巻に大きな製紙工場があってね。そこが壊滅状態らしいの。うちの雑誌もページを減らさないといけないかも。佐々さんは東北で紙が作られてるって知ってましたか?」

 著者は、首を振りました。おそらくこの問いによどみなく答えられる人は、出版社の中でも製作部門の資材担当者くらいでしょう。紙を使って商売をし、日頃さんざんお世話になっているにもかかわらず、編集者や書き手にとって、紙はどこからともなく届けられる水か空気のような存在です。印刷するための紙が、どこで、誰によって作られているのか、何も知らない人が大半です。しかし、それは出版に携わる者にとって、やはり「恥ずべきこと」ではないか、と著者は感じます。

 それから3年。あれほど衝撃を受けたにもかかわらず、「街には電気が煌々(こうこう)と灯り、書店にはたくさんの本が並び」始めると、いつの間にかあの時の教訓を忘れかけているのも私たちです。

 日本製紙石巻工場は、日本の出版用紙の約4割を担うという同社の基幹工場です。その主力工場が、「もうおしまいだ。きっと日本製紙は石巻を見捨てるに違いない」と身を切り裂かれるような絶望の淵に立たされたのです。その瀕死の状態から誰の手で、どうやって生き返ることができたのか。本書は、工場再生までの苦難の道のりを丹念に追跡したドキュメントです。

「工場は死んだ」と誰もが口にするほどの壊滅的な状況から、わずか半年で主要マシンを稼動させ、その1年後には「完全復興」を遂げるまでの奇跡のような物語。

 多くの喪失と過酷な試練にさらされながら、唯一人々をつなぎとめたのは、「この工場を捨てて、会社の未来はない」という、開き直りにも似た(それにすがりつくしかない)一縷の希望でした。「会社の命運は自分たちの肩にかかっている」という従業員たちの意地でした。

「全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず一台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言でき、従業員たちもはずみがつくだろう」という工場長。震災から2週間後に現地入りした本社の社長は、不安そうな表情を浮かべる従業員たちを前に、彼らが「聞きたい」と願っていた言葉を力強く表明します。「これから日本製紙が全力をあげて石巻工場を立て直す!」、「金の心配はするな。銀行と話をつけてきた」と。

 全国の出版社が「石巻の紙を待っている」という熱いメッセージ。「工場の煙突から、以前のように白い煙を上げてほしい」という地元の期待――。期限を切った「半年復興」という目標に向けて、それぞれの部署による突貫作業が始まります。

「これは駅伝だと思いました。いったんたすきを預けられた課は、どんなにくたくたでも、困難でも、次の走者にたすきを渡さなければならない。リタイアするわけにもいかず、大幅に遅れてブレーキになるわけにもいかない過酷な長距離走です」

 第1区を走るのが、電力を確保し、モーターを復旧させる電気課なら、第2走者はタービンを回すためのボイラーを受け持つ原動課というふうに、力走が力走を呼び、工場が一丸となって、たすきを順につなぎます。過酷な復旧作業の連続で、誰もが疲弊し、捌け口のないストレスを抱えます。ところが、奇跡でも起こらない限り絶対無理だと思われていた――工場長自身でさえ、内心は3パーセントの可能性しかないと踏んでいた――「半年復興」の目標が、なんと達成されるのです。

 こうして息を吹き返した工場の再建とともに語られるのが、紙を作り出す技術者たちの職人肌ともいえる気概です。日本の出版文化を支えているのは石巻だ、出版社が石巻を待っている、という現場の技術者たちの矜持です。

「書店で自分の作った紙に会ったらどう思うかって? 『ようっ』って感じですね。震災直後、風呂にも入れない、買い物も不自由。そんなささくれだった被災生活の中で、車に乗って俺たち家族はどこへ行ったと思う? 書店だったんですよ。心がどんどんがさつになっていくなか、俺が行きたかったのは書店でした。 俺たちには、出版を支えているっていう誇りがあります。俺たちはどんな要求にもこたえられる。出版社にどんなものを注文されても、作ってみせる自信があります」

 この矜持を支えているのは、紙の本の最たる魅力はその触感にあるからだ、という確信です。紙の手触りや香りのもたらす幸福感は、その体験自体がすでに読書の一部です。だから、印刷用紙は用途に応じて、いろいろな種類が揃っています。

 子どもが手に取ってうれしくなるような、ゴージャスでふわっとした厚みがあり、しかも友達の家に持って行くにも軽い紙。そして、柔らかい手で触っても指を切らないように開発されたコミック誌用の優しい紙。あるいは、毎日めくっても破れない、耐久性重視の教科書用の紙。限りなく薄く、いくら使っても破れにくく、しかも静電気を帯びないように特殊加工された(さらに三浦しをん『舟を編む』に登場する「ぬめり感」をも考慮した)辞書のための紙。

 めくった時の快楽を演出し、好奇心をそそるように企まれた雑誌用の多様な紙。聖書には聖書にふさわしい、文芸書にはそれぞれの作品のイメージに合った風合いの紙。

 それでは、本書を推奨してくれた人が「こういう違いがあるんですね」と驚いた文庫本の紙とは、どんな種類なのでしょう。技術者のリーダーが語ってくれます。

「文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤。普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど、出版社は文庫の色に『これが俺たちの色だ』っていう強い誇りを持ってるんです」

「かつて文庫用紙は酸性だったんですよ。しかし今から二〇年ほど前に、ph7からph8ぐらいの中性紙を開発したんです。当時、日本中の製紙会社が競って中性紙を開発していました。従来の酸性紙はphが酸性からアルカリ性に振れてきて退色します。 ほら、古い文庫本を開くと、焼けて茶色くなっちゃってるのがあるでしょう? あれが退色です。でも、中性っていうのは自然界にある状態なので、ずっと色もちしやすいんです」

 今回の「文庫」特集(*1)ではそこまで触れる余裕がありませんでしたが、私たちが何げなく手にしている文庫本の紙も、誰かの知恵と汗の結晶だということが分かります。

〈出版社にとって文庫は顔である。その紙の品質をいつも同じように保つことは、製紙会社の大事な使命だった〉

〈紙に生産者のサインはない。彼らにとって品質こそが何よりも雄弁なサインであり、彼らの存在証明なのである〉

 後者は、本書の冒頭と末尾に2度繰り返されている言葉です。そして、本書の陰の主人公は「紙」そのもの。巻末にはこの本の「使用紙」のクレジットが、敬意をこめて記されています(*2)。

 ところで、目を外に転じれば、たすきのリレーは工場の再生物語の枠を超え、より大きなサイクルを描きながらつながれています。

〈本が手元にあるということはオーストラリアや南米、東北の森林から始まる長いリレーによって運ばれたからだ。製紙会社の職人が丹精をこめて紙を抄き、編集者が磨いた作品は、紙を知り尽くした印刷会社によって印刷される。そして、装幀家が意匠をほどこし、書店に並ぶのだ。手の中にある本は、顔も知らぬ誰かの意地の結晶である。 読者もまたそのたすきをつないで、それぞれが手渡すべき何かを、次の誰かに手渡すことになるだろう。こうやって目に見えない形で、我々は世の中の事象とつながっていく〉

 タイトルに謳われた「つなげ!」は、つまり、紙に限った話ではありません。人はつねに誰かから何かを受け取り、それをつないでいく媒介として存在しています。私たちは外界からのメッセージを受け止めて、それをつないでいく営みをたゆみなく、日常的に繰り返しています。

 エピローグに、石巻工場の運転手さんが登場します。第1章の冒頭で、震災の日に外回りをする総務課主任を乗せていた菅原運転手。問わず語りに彼が話すのは、主任の指示に従ったおかげで、妻も老母も助かった。主任は命の恩人だ。けれども、その後は不運の連続で、妻はすい臓がんで亡くなった――。

 聞きながら、著者は亡妻が夫に「託していったものの大きさ」について思います。そして、言うべき言葉を探して窓の外を眺めますが、「言葉は見つからず、車窓に映る風景は流れていく」ばかりです。やがて、車は目的の駅に到着し、別れの言葉が交わされます。

〈歩みだした私の背中に菅原が呼びかける。「佐々さん!」 振り返ると菅原は言った。「また、来てください! 今度は明るい話をしたいです。何か、楽しい話を用意しておきますから!」 笑顔だった。私は手を振りながら懸命に言葉を探していた。しかし、ふいにこみ上げてくるのは言葉ではなく、別の何かだった。「また来ます! ありがとうございます。お元気で!」〉

 震災によって、その後の人生が大きく変わった人たちの“復興”はまだこれからです。被災地を訪ねた帰り際にいつも感じることですが、「手の中にたすきがあることだけは忘れない」――いまは読者として思います。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)