【考える本棚】
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 仁科邦男『犬の伊勢参り』(平凡社新書)
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里犬たちの長い旅
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 江戸時代は、犬がお伊勢参りをした。しかも飼主に連れられて行くのではなく、単独で――。そう言われても、「ほんまかいな?」というのが正直なところでしょう。

〈この話をし始めると、たいていの人が「おもしろいね」と言って聞いてくれるが、心底信じてくれているわけでもない。口で言って信じてもらえないなら、こういうこともあった、いやこういうこともあったと、信ずるに足る資料(史料)を示し、事実をもって説得するしかない〉

 まるでお伊勢参りを果たした犬の名誉にかけて、と言いたくなるほど気迫のこもった書き出しです。それでも「?」の気持ちは消えません。

 犬のお伊勢参りの最初の例は、明和8年(1771年)4月16日の昼ごろです。上方(かみがた)のほうから来た小さめの赤と白のまだらの雄犬が、外宮(げくう)と内宮(ないくう)で拝礼するように「伏せ」の恰好をしている姿が目撃されました。

〈犬の飼主は山城国、久世郡槙の島、高田善兵衛という者だった。その家の名札を付けていた。また帰りの道すがら銭を与えた人がいたらしく、ひもを通して首に巻き付けた銭が数百にもなり、途中で重くて大変だろうと銀の小玉に替えて首にくくりつけてあった〉

 それを奪おうとする不届き者も現れず、他の犬が吠えかかることもなく、犬は無事に国元への帰還を果たします。こうして初の快挙が歴史に刻まれたというわけです。ところが、「そんなことがあるはずがない」と疑義を呈した一人が、多芸多才の文人、太田南畝(蜀山人)です。「虚説区々なり」(虚説いろいろ)と断定しました。しかし実際には、それ以来「ぞくぞくと」犬の伊勢参りが見られるようになるのです。いったい何が起きたというのでしょう?

 江戸庶民の伊勢参り願望が熱狂的だったのは周知の通りです。仕事も何もかも放り出して、親や主人にも黙って伊勢に向かうことを「抜け参り」といったそうですが、それが大規模化したのが「御蔭参り」でした。江戸期には3回大がかりな御蔭参りが発生しており、いずれもそのきっかけは20年に1度の式年遷宮でした(昨年が第62回目のそれだったわけです)。犬の初参拝が目撃された明和8年も、前々年の式年遷宮が引き金となって大規模な御蔭参りのあった年です。

 善兵衛の犬はどのようにして伊勢参りをしたのか。おそらく御蔭参りで急に姿を消した村人たちの後を追いかけているうちに、とうとう伊勢神宮までたどりついたのではないか、と著者は推理します。背景には江戸時代の犬と人間との独特の関係がありました。

〈現代日本人は、犬には飼主がいるのが当然だと思っている。ところが、江戸時代の人々は、犬には具体的な飼主のいない方が、むしろ当然と思っていた。犬の多くは横町や長屋の路地、縁の下、村のお堂や薮の中などに住みつき、隣近所の誰彼となく餌をもらい、餌をくれる人がいなければ、あちこち徘徊して餌あさりする。特別な名前をつけられることもなく、毛色で赤とか、白とか、ブチとか呼ばれることが多かった〉

 つまり「里犬」といわれ、町や村で養われている犬が大半でした。特定の飼主がいる、いわゆる飼犬もいましたが、日頃は放し飼いなので、里犬(無主の犬)と同じような生活をしており、その垣根はほとんどありません。そうした里犬の仲間から、参宮犬が出現しても決して不思議ではなかった、というのです。

〈猟犬のように飼主との主従関係がはっきりしている犬は伊勢参りには向かない。途中まで連れ出したとしても、飼主の元へ戻ってしまう。しかし、町犬や村犬にはさまざまな個性をもった犬がいる。飼犬も原則放し飼いで、人なつっこいのもいれば、そうでないのもいる。飼主と飼犬の関係は今ほど緊密ではない。人に付いて回るのが好きな犬もいる。呼ばれればすぐ飛んでくる犬もいる〉

 犬は、日頃可愛がってくれる人と一緒に歩いていれば、やがて美味しいものにありつける(居心地のいいねぐらが保証される)と分かっていたはずです。後をついてくる犬を愛しく思う人間心理と、伊勢に向かう人々の表情や心の動きを察知する動物の本能が、「犬の伊勢参り」という“不思議”を生み出します。

 さらに、飼主の代参として伊勢神宮まで行き、無事に戻ってくる犬も現れます。東北などの遠隔地から、主人の名代として送り出される参宮犬です。たとえば「房州の犬」は出立に際して300文の路銀を首からぶら下げていましたが、道中、寄付をする人もいて、帰りにはそれが3000文に増えていました。「重くなりすぎて、犬も大変そうなので、周りの人が銭を運ぶ」手助けをするなど、まるでお祭り騒ぎだったとか。

 ただの犬ではない、お伊勢参りをしたえらい犬だとなれば、もはや「公的な存在」です。万一行き倒れや行方不明にでもなったら、村役人や宿駅の継ぎ立て衆の名折れとなります。宿場から宿場へ、みんなが申し合わせてくれました。

 こうして首に参宮札をかけた犬ならば、行きも帰りも、誰彼が食べ物とねぐらの世話をして、道中を支えてくれたのでしょう。「数百万人のお伊勢参りの旅が、旅人本人の努力はもとより沿道の協力・応援によって達成されたものであった」ことを、鎌田道隆氏の『お伊勢参り』(中公新書)は詳述しています。人と人とのこの触れ合いと同様に、犬と人との温かい交流が街道筋に息づいていたことが想像できます。大らかな夢物語のような気に誘われます。

 犬だけではありません。牛も豚も伊勢参りをしています。豚は庶民の食べものではなかったので、当時はほとんど見られなかったはずですが、朝鮮通信使を迎える広島や岡山では放し飼いにされていたそうです。こうして、彼らもなぜか伊勢参りを遂げるのです。

 当時、全国の人々と伊勢神宮を結びつけていたのは御師(おし、伊勢神宮では「おんし」と呼んでいた)という存在でした。彼らは全国各地の担当エリアを回って、伊勢神宮の暦やお祓(お札)を配って歩き、神宮の広報宣伝に努めました。また伊勢参りの際には旅館と旅行代理店の役割を果たし、神楽の奉納、祈祷も御師の家で行うのが常でした。

 お伊勢様のご利益(りやく)話や、逆にお伊勢様をおろそかにして罰(ばち)があたった話などは、御師を通じて流布されました。犬のお伊勢参りも、御師や目撃者の話を通して全国に広まったと考えられます。彼らはお伊勢様の神威神徳がいかに素晴らしいかを喧伝しながら、信仰心に支えられた伊勢参宮の旅の魅力をアピールしました。

 結果として、「かつては天皇のためだけに存在した伊勢神宮は大衆化し……伊勢信仰を核とする巨大な観光地」が出現します。信仰と観光を兼ねた一大イベントとして、日本全国の庶民がお伊勢参りに熱狂します。それに連なって犬たちも首に銭を巻き、人々の見守る中をすたすた伊勢路を旅したのです。

 それにしても、犬や牛や豚までが参宮する光景は、厳粛とはほど遠い、猥雑きわまりない印象です。ほんらい「清浄であるべき神域」からは、穢れをもたらす「けもの」たちは排除されていました。とくに犬は死穢(しえ)、産穢(さんえ)、昨(く)い入れ(骨肉片持ち込み)をする厄介者として、厳しい禁制が敷かれていました。神宮は1000年以上にわたって、犬によって神威が汚されることを忌避し続けていたのです。

 ところが、江戸時代の伊勢神宮はといえば、「今よりもずっと泥臭く、人間臭く、厳粛さと猥雑さが入り乱れていた」のが実態です。

〈静寂と喧騒。超俗と世俗。一見矛盾したものが入り混じり、新たなエネルギーが生まれる。一生に一度の伊勢参りを支えるものは日々のささやかな生活の積み重ねである。信仰と娯楽は矛盾しない。その二つのものを伊勢参りは同時に実現してくれる。厳粛さと猥雑さが同居するから、犬やら豚やら牛やらニワトリやらもお参りできる。神聖な場所だからこそ、その場にふさわしいとはいえない動物たちの参宮に意味を見出し、「神徳」のひとことで矛盾は解決される。江戸時代、世俗世界の代表的存在である犬は超俗の世界に足を踏み入れることが認められ、百年にわたって伊勢参りを続けていく〉

 なんとも不思議な一種の祝祭空間が生まれていました。ところが、明治に入ると伊勢神宮の雰囲気が変わります。明治新政府の方針で神主の世襲制は廃止され、御師は廃業に追い込まれます。

 犬のお伊勢参りもぱたりと途絶えます。最後の例は、明治7年(1874年)9月、東京・人形町の白い犬の参拝だといわれます。犬の飼い方にも変化の波が押し寄せて、里犬の存在は否定され、すべての犬の飼犬化が図られます。犬に関する諸政策はイギリスにならい、「犬の文明開化」が始まります。

 そして明治6年4月、東京府知事・大久保一翁の名で畜犬規制が布達されると、飼主が明確でない町犬(無主の犬)は邏卒(巡査)や番人、あるいは「犬殺し」によって撲殺される時代に突入します。躍起になって畜犬の撲滅が図られます。

 それで腑に落ちたのが、二葉亭四迷の「平凡」(*)に出てくるポチの話です。捨てられて家に迷い込んできた小犬を、主人公の少年は可愛がります。やがてポチは人なつこい犬に成長し、「父はばかだと言うけれど、ばかげて見えるほど無邪気な」ところが少年にはたまりません。ところがその無邪気さが仇となり、「非業の死」を遂げるのです。

 飼主の名札をつけていたことなど、お構いなしでした。「犬殺し」は背中に隠しもっていた棒を取り出すと、いきなりポチの鼻面(はなづら)を打ちました。ポチは「キリキリと二、三べん回って、パタリと倒れ」ます……。一部始終を目撃していた男の話を途中まで聞くと、少年の耳は何も受けつけなくなります。

〈そっと目立たぬように後方(うしろ)へ退(さが)って、こそこそと奥へ引っ込んだ。ベタリと机の前へすわった。キリキリと二、三べん回ったという今聞いた話が胸に浮かぶと、そのキリキリと回ったポチの姿が、まざまざと目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろこぼれる、手の甲でこすってもこすっても、止め度なくほろほろこぼれる〉

 この物語がどういう時代背景だったのかが、本書で初めて分かりました。やがて「無差別撲殺は残酷すぎると外国領事の不評」を買い、明治14年に「捕獲」に改められることにはなりますが、日本古来の里犬はこうして絶滅の道をたどるのです。

 善意の人たちに守られて、里犬たちが伊勢路を旅していた時代が終わり、里犬は野良犬(野犬)とみなされる「犬の近代」が幕を開けます。明治7年9月に、最後のお伊勢参りをしたという犬も、実はこの時代の転換と無縁ではありません。無主の犬は殺される、と知った古道具屋の主人が、「名札を付けていない白い犬を見て……自分の名前と町名を書いた札を付けてやった」ことが発端でした。いつしかそれが「伊勢参宮」の犬だという評判を呼び、現実の「お伊勢参り」が始まったという話です。

 つまるところ、「犬のお伊勢参り」は、信心深い犬が伊勢神宮に自力で出かけたという話ではありません。人の手助けあっての話です。しかし、現に伊勢参りをした犬がいたという事実を知ると(あるいは、それが明治になって急速に途絶え、いまや「人々の記憶から消え、噂にものぼらなくなった」という現実を見ると)、たまらない切なさに襲われます。

 最後に紹介される江戸っ子の大工頭梁の懐古談(明治42年)も、心に響きます。「お伊勢参りをした犬は大へん品行がいゝとほめたもんです」。

 当世の愛犬物語とは趣を異にする、犬と人間との魂の交流に触れた気がします。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)