【考える本棚】
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 三島邦弘『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)
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「何もしない」を全身全霊で
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 先日、京都出張のついでに左京区の恵文社一乗寺店に立ち寄りました。9月23日、秋分の日の夕方です。この書店をわざわざめざして来た(と思われる)お客さんたちでいつもながらに賑わっています。1時間ほどすると、書家の石川九楊さんのトーク・イベントも始まるようでしたが、日帰り予定のために、そちらは断念。「考える人」前号の文庫特集が、「本の本」のコーナーにちゃんとあるのを確認して(ヨシヨシ)、店内をしばらくブラブラしました。

 カウンターにいた店員のYさんにご挨拶すると、「あの号では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を各社の文庫本で読み比べるという企画が面白かったですね」と即答が返ってきました。正木香子さんの「目においしい書体味くらべ」の記事のこと。こういうやりとりがさりげなくできる本屋さんというのは、貴重です。

 そのレジ脇の平台で真っ先に目に付いたのが本書でした。奥付にある発行日は1週間後の9月30日ですから、文字通り「取って出し」のアツアツです。著者は知る人ぞ知る、出版社ミシマ社代表の三島邦弘さん。会社勤めの編集者を辞めて、8年前(2006年)の10月、31歳の時に一人でミシマ社を立ち上げました。若いスタッフたちを盛り立てながら、「一冊入魂」をモットーに、丁寧で血の通った本づくりに取り組んできた人物です。

「自由が丘のほがらかな出版社」を標榜するそのオフィスは、築49年の木造2階建て、全室畳敷きという貸家です。始業の際には全員で神棚に向かって「パン、パン」と拍手(かしわで)を打ち、企画会議も販売ミーティングもすべて打合せは丸いちゃぶ台を囲んで――という「ほっこり」した和やかな社風の一方で、著者が唱えてきたのは、読者と版元がまっすぐにつながる「原点回帰の出版社」、そして“未来志向”の出版マインドです。業界の旧弊な体質や、効率至上主義の呪縛にとらわれない革新的で、ユニークな試みが注目されました。

 2011年に刊行された『計画と無計画のあいだ』(河出文庫)というミシマ社創業から5年目までのドラマを綴った本の中で、著者は高らかに宣言しています。

〈本質的に面白いものは、世代や性別や時代を超える。/愚直なまでに、そう信じたいのだ。/それはいってみれば、人間を信じるということである。/人間である以上、生き物である以上、本質的に「面白いもの」は、人間の奥底に眠る動物的感覚を必ず揺さぶるはずだ〉

〈一人の人間のもつ感覚を信じたうえで、「この面白さをどうぞ」「この本のたたずまいがもつ良さをどうぞ」とお届けする。その一冊を本屋さんの店頭に並べてもらう。そして、たまたま通りがかったお客さんが、全然知らない出版社の全然知らない一冊を偶然手にとる。そして何かを感じる。「あ、この本、私のためにある……」。(略)こういう奇跡みたいな出会いが、毎日、日本全国で起こっている。/嘘みたいだけど、嘘じゃない。(略)だからぼくは心底こう感じている。/奇跡は毎日起こるもの。それを信じる人たちのところには、必ず〉

 さて、この若き編集兼発行人がこの先どう歩んでいくのだろうか、と楽しみに思っていたところ、2011年の東日本大震災をきっかけに、その年4月、自由が丘の古民家オフィスの本社に加え、京都府城陽市に新たな拠点を構えたと聞きました。もともと京都育ちとは知っていましたが、城陽市とはなんでまた? 「日本全国に出版社を」という「出版百年構想」は2009年のものですが、それにしても京都の市街地から1時間近くもかかる、出版文化とはおよそ縁遠い場所に、どうしてまた? 

 それがどうやら、2年後にオフィスを京都市中心部のマンションに移し、さらに今年の6月末には、鴨川近くの築60年ほどの一軒家にまた引越したというのです。移動だけでも目まぐるしい3年間といえますが、それ以上に著者の内面は、疾風怒濤の「迷走と模索」の日々だったようです。

「実際に地方に住み、暮らし、働いてみてわかったこと、感じたこと。悩み、苦しんで、そうして見つけたもの」――それを衒(てら)いや粉飾をまじえずに、ありのままに、等身大で綴った内省の記録が本書です。

「変わりもん」の「おもろい」男が、京都に戻って来て、またこんな本を書きました。恵文社一乗寺店の平台はそう語りかけてくるようでした。本のまとっている雰囲気と、そこに注がれた本屋さんのまなざしが、不思議なオーラを醸し出していたとしか思えません。それが今回の出会いでした。

 おそらく、もっと歳月を経て、この時期を振り返ったら、まったく違う回想録になっていたでしょう。スッキリとよく整理された、見通しのいい物語になったに違いありません。川下に行けば行くほど河原の小石が丸くなるように、時間の経過とともに、とんがった部分は洗い流されて、まるでひと筋の道が続いてきたかのように、3年間の試行錯誤が知の遠近法の中にほどよく吸収されていたことでしょう。

 しかし、この本の読みどころは、逆にそうではないところです。ジグザグしたり、停滞したり、行きつ戻りつしながら苦闘しているその過程です。そして不器用とも見える自問自答の中にこそ、この著者の才能を感じるのです。さらにはその悩みの中にこそ、編集者論を超えたより広い意味での生き方、働き方の貴重なヒントが詰まっていると思うのです。

 すべてを書き出すわけにはいきませんが、著者が出会うべくして出会っているいくつかの重要な言葉が紹介されます。たとえば能楽師、安田登さんがワキの役割を語った次の一節――。

〈能の主要な登場人物には、シテとワキという二人がいる。(略)シテと会話をし、シテの話を引き出すが、しかしシテの話を引き出し終わると、舞台のそれこそワキの方で、木偶(でく)のごとくひたすら座っているだけの存在になってしまう。(略)「そんなこと言ってもねえ」とか「わかる、わかる」なんて、下手に口をはさまず、ただ聴く。「何もしない」ということを全身全霊を込めてする〉(安田登『異界を旅する能』、ちくま文庫)

「何もしない」ことを全身全霊込めてする――「なんと潔い表現」か、「わが意を得たりとはまさにこのことだった」と著者は打たれます。編集者について語った言葉ではもちろんありませんが、このひと言こそ、「自分のめざす編集者像を言い当てたものであった。この言葉に触れるやいなや、わが内に革命が起こった気さえした」と述べています。

「何もしない」を全身全霊ですることが編集者のあるべき姿だというのです。書き手に対して編集者のできることは何かといえば、書き手が面白い本を書けますようにと祈ったり、願ったり、相談にのったり、そういうことでしかありません。書き手の面白さを発見し、それに息を吹き込んで、本にして読み手に届ける媒介者。その「何もしない」を全身全霊でやり抜けるかどうかが決定的なのだと、著者は気づきます。

 実は、この作法は編集という仕事をする人間に限った話ではありません。批評の本質を「無私」の精神に見た小林秀雄がそうであるように、全身全霊で「何もしない」という心のありようは、我執を離れることによって、逆に主体性を失わずに、私たちがみずみずしい感性で生きていくための拠り所となります。

〈編集やメディアの役割は、よく誤解されがちなのだが、「発信」ではない。くり返すが、あくまでも「媒介」である。自分発信に走ればかえって主体は遠ざかる。自力で全てを動かしてやろう、そういう自意識ほど自然からはるか遠い行為はない〉

〈メディアとは、原義通り、媒介である。媒介とは、すでにあるものを発見し、しかるべきところへと届ける。その動きをかたときも止めることなく、流れつづけることをおいてほかにない。けっして、「発信」する者ではないのだ。/道と道とをつなぐ。結ぶ。これが出版の道というものだろう〉

 人が人であるためには、何より他者に共感し、世界を感知し、それに新たな生命を吹き込む編集者的な身体性こそが必要なのではないか――これが著者の確信です。

〈結局のところ、仮説と実験を重ねながら無意識レベルで希求していたことは、もう一度、主体を自分の身体へと取り戻して生きること。それに尽きるように思う〉

 著者の敬愛する内田樹氏が、合気道の師と初めて言葉を交わし、「この人こそが師匠だ!」と心を躍らせた逸話が紹介されます。当時、内田青年は25歳。合気道の師匠を探し求めて道場をへめぐっていたといいます。その中で初めて出会った師は、青年にこう尋ねます。「内田くんは、どうして合気道をしようと思ったのかね」と。青年は答えます。「強くなりたいからです」。すると師は「そういう理由で始めてもかまわない」と言いました。

 内田さんによれば、「そういう理由で始めてもかまわない」とは、「本来、そういう理由で始めるものではない」ということです。ところが師は、それでもかまわない、と言いました。「ちゃんといくべき道に辿りつくから」ということを言外に語っていたのです。それまで出会った人たちは、「それは違う」という言い方でした。師はひとり、そういう理由で始めてもかまわない、と言いました。だから、この人についていこうと決めたのだ、と。

 本書の冒頭近くに引かれているエピソードですが、この「合気道」は編集という言葉に置き換えることも可能です。編集という仕事の入口もいろいろあると思います。しかし、どんな入口から入ろうとも、「ちゃんといくべき」本質的な仕事とは、つまるところ「媒介」であることに全身全霊を込めることだと著者は考えます。書き手と読み手をつなぐ媒介。小さな声に耳を澄ませ、その声にもっとも相応しい形を用意して、それを欲する人のところへ届ける仕事。

 みずみずしい感性で世界の豊かさを発見し、それに新たな生命を吹き込んで送り届ける。このいきいきとした感覚を鍛錬し、真っ白な心の状態で世界に向き合うことに、著者は希望を見ています。ぼんやりとした不安を抱えながら、この時代を生きる多くの人たちに、編集という仕事を媒介に、著者は励ましと再生へのヒントを送ります。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)