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 演奏会2題――衰えない情熱
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 コンサートの話題を2つ、書きたいと思います。どちらも感動的で、しかもま
ったく趣の異なる演奏会――。

 ひとつは、10月9日にサントリーホールで聞いた読売日本交響楽団の定期演奏会です。10月3日に91歳の誕生日を迎えたばかりのスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(以下スクロヴァさん)が指揮するブルックナーとベートーヴェン。初めて聞くブルックナーの交響曲第0番と、TVドラマ「のだめカンタービレ」で人気を博した“ベト7”ことベートーヴェン交響曲第7番の2曲です。



 前夜の初日が大成功だったとは聞いていましたが、何といってもご高齢。ミネアポリスからの長旅と、2晩連続の公演ともなると、不安がないわけではありません。けれども、スクロヴァさんが読売日響の第8代常任指揮者を務めていた2007年から10年にかけて、彼のほぼ全公演に通った一人として、今回は何より感謝の気持ちを伝えたいという思いがありました。

 ステージに登場し、万雷の拍手のなかを指揮台に進む足取りにはやや覚束なさを感じます。それは隠しようもありません。しかし、指揮台に立ったスクロヴァさんが、オーケストラに正対した瞬間、楽団全体に鋭い緊張感が走りました。客席も思わず息を呑みました。そこから約2時間。巨匠の気魄と、ひたむきに自らの音楽を追い求める、情熱的でエネルギッシュな迫力に、ただただ感嘆し、圧倒されるひと時でした。

 新コンサートマスターの長原幸太さんを筆頭に、オケ全員が懸命にスクロヴァさんのタクトに応え、切れ味の鋭い、引き締まった演奏を続けます。後半のベト7は全楽章アタッカ(切れ目なし)で一気呵成にクライマックスへと上りつめます。

 爆発したようなブラヴォの声が上がり、終演後の拍手は鳴り止みませんでした。マエストロ自身も演奏に満足している様子です。オーケストラもそれを讃えます。その光景がまた、目頭を熱くさせます。関係者に聞くと、リハーサル中もスクロヴァさんは椅子を使わず、立ったままで指揮を続け、指示を出す際は、その都度オケの演奏を止めて、細かく注文をつけたそうです。老境に達してなお、情熱は衰えることがありません。

 いつまでも拍手を続けていたい気持ちは山々でしたが、91歳の翁をカーテンコールで呼び出すことがためらわれ、早めに席を立ちました。会場を出る際、「来年も来てくれるのかなぁ」という声を耳にしました。ホールに鳴り響いた音だけでなく、素晴らしい音楽人生に触れた感動は、しばらく冷めそうもありません。

 さて、ふたつ目は10月11日、大泉学園ゆめりあホールで聞いた「音と絵本のトーク&コンサート」という、ピアノデュオによる手づくり感満載の演奏会です。デュオの一人が、「考える人」最新号(2014年秋号)からエッセイ「暮らしのサウンドスケイプ」の新連載を始めた三宮麻由子さんです。初回の文章から自己紹介をしてもらいましょう。

〈四歳のとき、私は目の手術によって視力をなくした。目で見える景色(シーン)が眼前から消えた。この状態を、私は「シーンレス」という和製英語で呼んでいる。視力等級でいうと全盲を意味する。 成長とともに、音など視覚以外の情報を元にした私なりの「シーン」が育った。自然の音を風景として聞くことは、この「シーン」の重要な部分を占めている。多数の鳥の声の種類をおぼえておくと、野山を訪ねたとき、鳥の声の種類や鳴き方を頼りに、新緑や紅葉、枯野の雰囲気といった風景を脳裏に想像できるようになった〉(「風の音」、上記連載第1回)

 三宮さんを知ったのは、初の著書『鳥が教えてくれた空』(集英社文庫)を何げなく手にした時です。かれこれ16年くらい前になるでしょうか。読み始めた途端、既知の世界として眺めていた風景が、これまで触れたことも想像したこともない深くて新鮮な姿で立ち現れてくることに驚かされました。「音を聞くのが好きだった」と語っていますが、200種以上の鳥の声を聞き分けられるという鋭敏な感性が、認識の枠にとらわれない、やわらかで温かい文章を生み出していました。

 鳥の声が空の深さを教えてくれるという表現には、切れのいい俳句に接した時のような奥行きと豊かさを感じました。同時に、大きく深呼吸した時のような、のびやかさと清々しさがありました。2作目の『そっと耳を澄ませば』(同)に収められた「帰雁の隊」は私がもっとも好きな一篇です。4月の北海道の大地から、シベリアに向かって飛び立っていく雁の群れを、三宮さんはこのように描きます。

〈太陽が凍てついた地平線に曙光(しょこう)のかけらを送り始めたころ、突然私たちからいちばん遠い沼の一角で一群の声が高く騒ぎ始めた。その瞬間、その声がヒラヒラと舞い上がったかと思うと、ゴオッという軽い地鳴りのような音の柱が目の前に立ち上がった。第一団が飛び立ったのだ。「鳥風」という言葉があるように、その羽音はけっして大音響ではない。音にたとえてしまえば、コオッ、カサカサというようなごく地味なものだ。けれどその力強さは、音のボリュームからは想像もつかないようなスケールで、目の前に震える空気の壁を作る。その壁が天に向かって膨らんでいくように、数多(あまた)の羽ばたきが風を切り開いて大空へと広がっていった〉(「帰雁の隊」、『そっと耳を澄ませば』所収、集英社文庫)

 ……というようなことを書きながら、実際にお会いするのは、このコンサート終了後が初めてなのです。これまで仕事をお願いしたことはありますが、原稿のやりとりは別の者が代わってやりました。ですから、ステージに登場した三宮さんが、「きょうはこんなにたくさんの方にお越しいただいて」と挨拶したところで、軽いドキドキが訪れます。きっと拍手の音や、ちょっとした衣擦(きぬず)れ、身動きの様子から、会場の様子がしっかり見えているのだろうと想像します。

 デュオの連弾から始まって、次に三宮さんがリストの「ラ・カンパネラ」を独奏します。曲の前に「鈴」を振り鳴らし、「カンパネラ」とはイタリア語でこれのこと、と解説しますが、鈴は視覚障害者にとって、なじみ深い、独特の意味をもつ小道具だろうと推察します。

 プログラムに「未就学児 無料(混雑時はお膝の上にご協力お願いします)」とあるのを、何げなく読み過ごしていましたが、この日はそれを何度も思い出すことになりました。独奏が始まると、いきなり子どもの泣き声が上がりました。それが演奏の間ずっと続きます。三宮さんの耳に、このただならぬ「鈴」の音がどう届いているのかとハラハラします。弾き終えた三宮さんは、「途中バックコーラスもありましたが」と場内を笑いで包みます。見事なものだな、と彼女の大きさに感服します。

 続いて、ウグイスの「ホーホケキョ」を何種類か口笛で鳴き分けてくれました。山でウグイスと「20分間会話した」というご自慢も納得です。「青いカナリア」の変奏曲は、鳴き声をまじえ、カナリアのしぐさも入れた演奏です。そして圧巻は、ピアノと語りで再現した人とゴキブリの物語。

〈ゴキブリは、闇の帝王ではないかと思う。夜中に夢うつつで何かの気配を感じてふと目を覚ますと、こいつがいる。(略)最初はカサッ、コソッという遠慮がちな音だが、こちらが寝たふりを決め込んでいると、突然ブルブルブルと、まるで空飛ぶハーレー・ダビッドソンみたいな羽音が部屋を斜めに横切る。その音がいつこちらに向かってこないとも限らないと思うと、背筋が凍りつく〉(「永遠の宿敵」、前掲書所収)

 そのG(ジー)が飛んでくるところから始まって、それを新聞紙で叩こうとする。洗剤を持ってきて上から垂らす。そんなことではなかなか死なないので、ゴキブリ凍止ジェットを噴きつけようとするけれども、うまく命中しない。それでも度重なる攻撃に、さしものゴキブリも徐々にヨタヨタし始める。それを新聞紙で包む。と、突然、息を吹き返す。けれども、ついに力尽き、新聞紙にくるまれてゴミ箱へ、というピアノ劇です。

 人柄の明るさ、人をそらさない話術は、エッセイから受ける印象以上のものでした。外資系通信社で翻訳の仕事をしながら、俳句をやり、華道をたしなみ、落語が大好き、と聞いていましたが、さらにこの時期に「三宮麻由子の紙面という宇宙」展が開催されています。なんと「書道」です(*)。

「自分で書いた文字を触って確認できない書道は、最も縁遠いものの一つ」であったとか。「その書道に、ひょんなご縁で挑戦することになってしまった」というのです。

〈格闘するうちに、筆を運ぶ動きとピアノの演奏はよく似ていると思うようになった。長年ピアノに親しんでいるせいもある。手の力を抜きながらも、根底にある潜在的な力を引き出し、筆や鍵盤に伝えていくからだ。柔らかな穂先の手ごたえを読む感覚は、鍵盤を弾くときに指に返ってくる感触を受け取るのに似ている。心の深い声を、手を通して形にしていく「生みの苦しみ」と充実感は、共通している気がする〉(「見えない私の『書道』」、東京新聞2014年10月8日夕刊)

 三宮さんの未知への挑戦も衰えることがありません。脳裏に描く世界は、まだまだこれからも広がるでしょう。彼女の「シーンフル」な生き方には、脱帽するしかありません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)