【考える本棚】
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 尾崎俊介『S先生のこと』(新宿書房)
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類いまれな師弟の物語
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 ほんの9ヵ月ほどですが、米国の深南部(ディープ・サウス)に暮したことがあります。その時、何冊か携えていった南部出身作家の本の中に、『オコナー短編集』(新潮文庫)もありました。

 フラナリー・オコナー。1925年、ジョージア州サヴァンナ生まれ。敬虔なカトリック教徒として生涯を過ごし、人間存在の深遠を凝視した、短編の名手として知られました。1964年、39歳で死去。同書の訳者解説は、次のように述べています。

〈彼女が小説を書きはじめたのは、ジョージア州立大学卒業後、アイオア州立大学修士課程に学んでいたとき(一九四五-四七年)である。したがって、文筆を執っていたのは生涯のうちの二十年ほどだが、彼女はその大半をあたかも重い十字架を担って歩くように苦しみながら生きなければならなかった。一九四九年に紅斑性狼瘡(ろうそう)が襲いかかったのである。これは脚と顔の下半分の骨がやわらかになる病気であり、彼女の父親は一九四一年にこの不治の病で斃(たお)れた。十五年のあいだ、確実に自分の生命を侵食しつつある死を見つめながら生きるとは、どんなに恐ろしいことであったか〉

 自らにふりかかった過酷な運命に耐えながら、「彼女は人間として、作家として、力の及ぶかぎり烈しく攻めぬいた」ともあります。そして、自分はなぜこの世に生を受けたのか、どう生きるべきなのか、と人生の意味を問い、魂をすり減らすようにして小説を書き続けました。彼女はあるエッセイで述べています。「人々は常に、現代作家には希望がない、現代作家の描く世界像は耐えがたい、と不平をこぼす。これに対する唯一の答えは、希望のない人間は小説を書かないということである」(同訳者解説より)と。

 さて、本書です。タイトルに掲げられた「S先生」とは、この『オコナー短編集』の訳者だったアメリカ文学者の須山静夫氏です。H.メルヴィル、W.フォークナー、W.スタイロンなどの研究者、翻訳者として知られ、第3回新潮新人賞(1971年)を受賞した小説家でもありました。2011年7月、85歳で死去。

 著者は、1980年代半ばに学生としてS先生に出会い、私淑し、その薫陶を受けながら親しく接してきました。本書が書き起こされているのは、S先生の死の1週間後です。まったく予期せぬ突然の訣別。著者は追慕と哀悼の思いをこめて、S先生にオマージュを捧げます。

 半ばまで読み進んだところで、先ほど引用したオコナーについてのS先生の解説文を再読しました。以前とは、まるで違った声が響いてきました。オコナーの「短いが激しい生涯」を語った、抑制された、しかし愛情のこもった文章がまったく違った色彩を帯びて心に迫ります。S先生自身が人生の理不尽や不条理に見舞われ、その苦難に耐えながら、自らの体験を文学研究や翻訳に重ねていたことを、本書によって教えられたからです。

 著者がS先生と出会ったのは、およそ30年前、慶應義塾大学文学部英米文学科三年生の時でした。明治大学から非常勤講師として来ていた先生のクラスを受講すると、S先生は「七人の侍」(黒澤明監督)の俳優、宮口精二に似た古武士のような風貌の人でした。寡黙そうな印象で、テキストに選んだオコナー短編集の英文を読むでもなく、解説をするでもなく、「この頁の中で何か分からないところはありますか」と尋ねて、誰も何も言わずにいると、どんどん先に進みます。「面白くもなんともない」、「一体、これが文学の授業なんだろうか?」と著者は戸惑います。

 ところが、何度目かの問いかけがあり、それに対して学生一同が「うんともすんとも」反応しないでいると、先生がおもむろに一人の男子学生を指し、「この一文を訳してごらんなさい」と言います。

〈その一文は確かに少しやっかいな文章で、前後の文脈がとれていないとうまく訳せないような文でした。で、案の定、指名された男子学生は答えられなかった。いや、答えられなかったばかりか、それこそ即答で「訳せません」と言った。それも妙に堂々と。その堂々とした答え方は、おそらく、「こんなつまらない授業なんて聞いていられないや」という反抗的な態度の表明でもあったのでしょう。 その刹那。私は何か音のない教室の空気が一瞬にして変わったのを感じたのでした。 須山先生の怒り――。それは大声で怒鳴るとか、そういうものではなかったのですが、何か音のない紫色の雷が落ちて、後にかすかな空気の振動だけを残したような、そんな感じでした。(略) それまでの物静かな先生が、瞬時にして研ぎ澄まされた日本刀に変わり、我々学生の甘っちょろい勉学への態度を叩き切った、その一瞬の様変わりに私は圧倒され、その時、先生がどういう言い回しで我々を叱られたか、今も正確には思い出すことが出来ません〉

 これが、30年にわたる師弟関係の始まりでした。その後、著者は徹底的にテキストを読み込んで授業に臨み、先生と真剣に向き合います。読解をめぐって「先生と私の間で一対一の論争が繰り広げられる」ということも何度か起こります。見どころのありそうな学生として、先生も著者に目をかけます。親しさが増し、次第にS先生は英語の授業だけでなく、著者の人生をも決定づける師として大きな存在に膨らんでいきます。

 先生はまた別の授業で、旧約聖書の『ヨブ記』を下敷きにした戯曲をテキストに用います。神に対して何も罪を犯していないにもかかわらず、財産を失い、子供たちをすべて奪われ、死病に取り憑かれ、あげくは妻に「神をのろって死になさい」というひと言を浴びせられたヨブの物語を現実世界に置き換えた作品――。行いの正しい人がそれにもかかわらず次々と苛烈な試練に見舞われ、その渦中で「なぜ自分が、よりによってこういう目に遭わなければならないのか」と苦悩に苛まれるドラマ――。

 先生がなぜこのテキストを選んだのか、当時はその理由など考えもしなかった著者ですが、やがて先生の秘められた過去を知るにいたります。先生は、結婚10年足らずのうちに最愛の妻を病気で失います。再婚し、一女にも恵まれ、悲しみから立ち直ったかに見えた先生を、次に襲ったのが長男の交通事故死でした。先妻との間の一粒種であった彼を、20歳で失うことになったのです。最初に師弟が出会う6年前の出来事でした。

 先生はまさに聖書のヨブと同じように、熾烈な体験のただ中を生きていて、「傷はまだ生々しく口を開けていたのだ」と知ります。

 新しい家族に支えられながらも、先生は喪失の痛みが時間の経過とともに風化していくことを自らに許しませんでした。なぜ妻は死んだのか、どうして息子は死ななければならなかったのか――渦巻く後悔をひたすら自らに向けて問い続け、その覚悟は文学研究、翻訳にも投影されました。峻厳なまでの生き方は、著者をますます引きつけます。

 先生の死からほどなく書き起こされた本書は、静かな筆致で、淡々と思い出が綴られています。S先生という稀有な人物の、気高い魂を記録しておきたい、というまっすぐな願いが伝わってきます。

 時折はさまれるS先生自身の文章が、惻々として胸に迫ります。1992年に最初の部分が発表され、最終的に本の形にまとまるまで、都合16年を要したという『墨染めに咲け』(新宿書房、2008年)の文章は、とりわけ鮮烈で、心に刺さります。

 警察からの電話で真夜中に呼び出され、「遺体の身元確認のために」署に出向いた場面は、こう描かれています。

〈しかし、そのときの私は一滴の涙さえこぼしませんでした。よろめきもしませんでした。脚の長い案山子に似たあのジャコメッティーの彫像、私はあの人間と同じようになっていたのです。ジャコメッティーの人間は痩せほそって骸骨だけになっています。あたたかな血も、魂さえも、削がれてしまったのかもしれません。あの彫像が突っ立っているのは、うずくまるという動作を起こすだけの力を失ってしまったためのようです。つんのめって倒れるだけの重さが頭のなかにも胸のなかにも残っていないからのようです〉(須山静夫『墨染めに咲け』)

 文章のトーンが本書の流れに分かちがたく溶け込んでいて、先生の内面にそのまま導かれます。共感とともに、先生の見据えていたものが私たちの目にも映ります。

 先妻の闘病生活を見守っていた先生の、最期の日の記録――。

〈一年七か月の戦い。私の耳には、さち子の泣いた声、呻いた声、そして、途中で退院をゆるされたときの、つつましい歓びの声が、一つの、消えることのない歌の調べとなって、遠くに響いている。よく戦った。痩せ衰えた体で、よく耐え忍んだ。戦いは、長い嵐のように過ぎ去った。 朝からもう十時間、静かに静かに生きている、生きている。私は、このような生は意味がない、とさっきまで思っていた。しかし今は、そうは思わない。あのような激しい、長い苦しみのあとで、たとえ無意識でもいい。このような静かな生きかたがあってよい。なくてはならない。長ければ長いほどよい。もう手足を動かしたり寝返りを打ったりする必要もない。背中も痛くない。のども痛くない。鼻の穴も痛くない。鎮痛剤の必要もない。注射のあとも痛くない。水を欲しがらなくてよい。戦いに敗れたあとの平和な、平穏な生だ〉(前掲書)

 妻の臨終は、これを書き終えた20分後でした。

『墨染めに咲け』は、「先生の生涯を、先生ご自身が、溶岩のように焼き尽くす作業だった」と著者がいうように、かけがえのない二人の死の責任を自ら引き受けようとした「自己処罰」の作品です。しかし、そのようなたとえようもなく重い内容であるにもかかわらず、読後に「奇妙な安堵感」を著者は覚えます。なぜなのだろう、と考えてみると、「やはりこの本には『美しいもの』があるからだろう」という自分なりの結論を得ます。

 S先生は、自分にとって「巨木のような人」だった、と著者は述懐します。

〈度重なる嵐に大枝はもぎ取られ、山火事に腸(はらわた)を焼かれ、芯のところには黒こげの大きな空洞が出来ていたけれど、そうした幾多の艱難にも折れることなく立ち続けた巨木。たとえそれが「倒れる力」さえ失っていたからだとしても、最後の最後まで天の一点を凝視して不動の姿勢をとり続けた巨木。先生は強く、大きい人でした〉

 傍らに立っていた巨木の喪失を愛惜した本書を前にして、私たちは人と人との出会いの不思議を思います。生身の人間同士が出会うことの素晴らしさ、その奇蹟――。類いまれな師弟の物語がもたらすものも、「奇妙な安堵感」に他なりません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)