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 人にはどうして家族が必要なのでしょう
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「考える人」最新号は本日(12月25日)発売です。今回の特集は「家族ってなん
だ?」――タイトルに「山極寿一さんと考える」の角書(つのがき)を添えまし
た。

 10月1日に京都大学の第26代総長に就任した山極先生は、昭和27年生まれの62歳。東京の国立市で育ち、少年の日は宇宙飛行士を夢見ていたといいます。ノーベル賞の湯川秀樹博士に憧れて京都大学に進みますが、物理学ではなく霊長類学の魅力に目覚め、やがてアフリカでゴリラの生態研究に明け暮れます。「ゴリラの群れの一員となって共に暮らし、そこで『人間とは何か』をじっくり考えたい」――少年時代の宇宙への夢は、いつしか人類発祥の地である熱帯雨林の世界へと探求の方向を転じたのでした。

〈「山極先生もここを歩いたんだね」 高校の周囲をめぐり終え、向こう側に渡る歩道橋の上から桜並木の絶景を見やりつつ妻が唐突につぶやいた。 妻はマウンテンゴリラの野外研究で世界的に有名な京都大学の山極寿一教授のファンである。何度かテレビで観て、こういう男のひとには弱い、と頬を赤らめていた。 いつだったか、教育テレビに出ていた山極教授が、先生にとって人間とはなんですか、との問いに、人間とは他者のなかにじぶんを見いだそうとする動物だと思います、と答えていた。この場合の他者とは、生物でなくとも、自然、山などなんでもいいとのことだった。「よくわかっているひとの話はわかりやすいんだね」 笑顔のすくなくなっていた妻の顔が久しぶりによい血色になった〉(南木佳士「白い花の木の下」、『先生のあさがお』文春文庫、所収)

 作者である南木さんと山極さんとは高校の同学年だったとか。クラスは違ったけれど、「バスケット部だったはずの山極君を、サッカー部の練習中に見た覚えがある。あのころから女子にモテていたような気がしてくる」とあります。

 そこにも登場するエピソードですが、若き日にルワンダでゴリラの生態研究に励んでいた山極さんが、26年ぶりに現地を訪れた時の様子がテレビ・ドキュメンタリーになったことがあります。この番組を見てから、すっかり山極ファンになったという人間が、私の周囲だけでも10人を下りません。

 番組のハイライトは、20代半ばの山極さんがもっとも親しくなったタイタスという名のオスゴリラ(別れた時は8歳の子どもゴリラ)と再会する場面です。アフリカでゴリラ調査に没頭していた頃、山極さんは「サルを研究するんじゃない。サルになれ」(今西錦司)という先輩の教えを肝に銘じ、自分がゴリラ社会の一員としていかに受け入れられるか、を必死で考えていました。朝から晩までゴリラのそばにいて、ゴリラの声を出し、ゴリラのように歩く。そんな毎日を過ごしていました。

 足しげく通った群れの中に、タイタスというやんちゃなオスゴリラがいました。初めて会った時は、まだ6歳。人間でいえばちょうど小学校高学年くらいの遊び盛りでした。一緒に組み合って転げまわったり、腹の底から笑うゴリラ流の笑い声を耳のそばで聞いたり、すっかり仲良しになりました。

 ある時、激しい雨を避けて大木の洞(うろ)でうずくまっていると、ずぶぬれになったタイタスがそこにやってきました。山極さんの顔を見つめると、「一緒に雨宿りしようよ」といわんばかりに、狭いスペースに体をねじこむようにして入ってきます。そして山極さんの膝の上に乗っかりました。子どもとはいえ、80キロくらいある巨体です。

 抱き合ったような格好で、雨が通り過ぎるのを待っていました。ほどなくすると、タイタスがあごを山極さんの肩に乗せ、スヤスヤと眠りこんでしまいました。心臓の鼓動が伝わってきます。“お昼寝”は2時間近くも続いたといいます。

〈これは私にとって、とても貴重な体験でした。タイタスの体はそれは重かったですが、そのぬくもりや匂いに包まれて、私は胸がいっぱいになっていました。野生のゴリラが私に対してここまで心を開いてくれるとは〉(『「サル化」する人間社会』集英社インターナショナル)

 その後ルワンダの政情不安のため、タイタスと会うことはすっかり途絶えていましたが、やがて平和が回復すると、ゴリラ社会の情報が風のうわさとして伝わってくるようになりました。タイタスはどうやら大きな群れのリーダーとなり、たくさんの子孫に囲まれて、いまや老後の日々を送っているようです。

 まだ生きているんだ! 山極さんは胸が高まってきました。何としても会いに行かなければ、と思い立ちました。

 26年ぶりの再会は、しかしながら、期待とは裏腹な結果となりました。人間でいえば60歳を優に超えて、よぼよぼしているタイタスは、山極さんの呼びかけにも反応が鈍く、忘れてしまっているのかと思えました。それでもあきらめきれずに、3日後改めて山の斜面を登り、会いに行きます。すると、正面に坐っていたタイタスは、5メートルほどの距離まで近づいてくると、まっすぐ山極さんの顔を見つめ始めました。山極さんは驚き、タイタスの顔をじっと見つめ返します。目が合いました。すると、驚いたことに、タイタスの顔が急に若返り始めます。山極さんが「グッ、グフーム」と挨拶すると、彼も「グッ、グフーム」と応えます。

〈わたしはまじまじと、タイタスの顔をのぞきこんだ。 すると、ますますタイタスの顔が若返り始めたのである。もう、若者どころではない。目が光をまして、好奇心に燃えているときのように金色を帯びてきた。顔つきが少年のようになり、目がくりくりとして、まるでいたずら小僧のような表情になった〉(『野生のゴリラと再会する』くもん出版)

 タイタスは両手を挙げて仰向けに寝転がりました。子どもの頃のタイタスの寝相そのものです。大人のゴリラは絶対にしないポーズだといいます。さらに近くにいた子どもゴリラをつかまえて「グフグフグフグフ」と笑いながら、レスリングごっこのように遊び始めました。これもありえない出来事です。タイタスが子どもに戻ったのだ、昔一緒に遊んでいた頃に戻ったのだ、と山極さんは気づきます。

〈それを見て、私も彼と遊んだ昔を思い出して、体がざわざわと動くのを感じた。まさに記憶が体の中でよみがえった瞬間だった〉(「老ゴリラとの再会」、毎日新聞2013年10月27日「時代の風」)

 テレビカメラに向かって、この感激を嬉しそうに語る山極さんのアップ。「妻がファンになるのも無理はないと納得できる、たくましくて知的な、それでいて邪気のない笑顔だった」と、先ほどの南木さんの小説にも描かれています。

 そんな魅力に溢れたゴリラ研究者であるだけに、今回、京大総長に選出される過程では、前代未聞の“珍事”が起きました。教え子たちが「山極教授に投票しないで」と書いたビラを大学構内の掲示板に貼り出したのです。「京都大学の伝統・霊長類学のリーダーが失われる」、「『研究者としての山極教授』が京大の発展に不可欠」という文字が躍っていました。

「何かやるとは聞いていたが、まさかあんなにたくさん貼り出すとは」と本人は苦笑していましたが、ビラの文言には私たちも深く頷くものがありました。以下、紹介いたします。

〈山極教授はニホンザルとゴリラの研究を40年以上続けており、現在も霊長類学の第一線で活躍しています。彼が総長になり、研究の現場から退くことは、日本の、さらには世界の霊長類学の発展にとって大きな損失です。 山極教授が京都大学の発展に最も貢献できる立場は、総長という行政職ではなく、研究職であると私たちは考えます。教授は、講義やゼミ等を通して、学生に熱心な教育・研究指導を直接行っています。教授のそのような姿は、多くの大学院生・若手研究者にとって、強い刺激となっています。山極教授が総長になり、研究職を解かれてしまうと、指導学生をはじめ、若手研究者が現在の研究環境を失いかねません。研究者を目指す学生も減ってしまうでしょう。 したがって私たちは、山極教授が次期総長になることに強く反対します。教職員のみなさまには、選挙にあたって、より総長に相応しい候補者を熟考されることを希望します〉

 結果は、まったく逆の目が出てしまい、山極さんが学内教職員など約2000人による投票で第1位を獲得し、総長就任が決定しました。7月4日、その就任記者会見では、「ゴリラのように泰然自若としていたい。深く広い自然の視点で見れば、人間が抱える問題を乗り越える工夫が得られるのではないか」、「研究を続けたい思いが強く、進んで総長になる気はなかったが、周りの期待に心を動かされた」などと抱負を語りました。おそらくその脳裏には、ゴリラの群れを率いる「シルバーバック(成熟したオスは背中の毛が鞍状に白銀色に変わるのでこう呼ばれる)」の威風堂々とした姿、ほれぼれする男っぷりが理想のリーダー像として浮かんでいるのではないでしょうか。

 ともあれ、総長就任ともなれば、少なくとも任期の6年間、行政職に忙殺されるであろうことは確実だと考えて、今回のロングインタビューは就任前の9月23日、「秋分の日」の休日にあえてお願いした次第です。

 実は、山極さんに関してはもうひとつ別の話を紹介するつもりだったのですが、そこに辿り着く前に紙数が尽きてしまいました。そちらはまた別の機会に譲ることにして、まずは特集の「人にはどうして家族が必要なのでしょう」のロングインタビューをじっくりお読みいただきたいと思います。

 家族崩壊の危機と言われて久しい昨今ですが、家族の意味、価値をこれほど熱く、確信的に語る人を他には知りません。家族の崩壊は人間のアイデンティティーの危機である、人間の人間たるゆえんは「家族」にある、という山極さんの“ゴリラ人間学”を味読していただければ幸いです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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