【考える本棚】
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 『O・ヘンリ短編集〔三〕』(大久保康雄訳、新潮文庫)
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冬になれば思い出す
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 木枯らしに吹かれながらコートの襟を立てて歩くようになると、ふと思い出す作品があります。一昨年の今頃は、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』のことでした(「考える本棚」No.326)。曽野綾子さんの新訳(バジリコ、2006年)が出ていることも、その時に知りました。

 今年の正月は、『賢者の贈りもの―O・ヘンリー傑作選I―』の新訳(小川高義訳、新潮文庫)を手に取りました。そして、いつになく大雪が各地を襲ったというニュースを聞きながら、寒そうな北風が木々を揺らしている窓の外に目をやって、思い浮かべたのが「最後の一葉(The Last Leaf)」のことでした(今秋刊行予定の傑作選IIに入るようです)。「賢者の贈りもの(The Gift of the Magi)」と同様に、約100年前のニューヨークを舞台にした短編小説です。

「賢者の贈りもの」は、若い夫婦がお互いにとんちんかんなクリスマス・プレゼントを交換するという話です。妻は夫が大切にしている祖父の代からの金時計につけるプラチナの鎖を買うために、自慢の長い髪をかつら屋に売ります。夫は妻の美しい髪を飾る鼈甲(べっこう)の櫛を買うために金時計を売り払ってしまいます。どうやって相手を喜ばせようかと考え抜いた挙句、二人はそれぞれの最も大切な宝を手放して、結果として相手が使えないちぐはぐな贈りものを取り交わすという悲喜劇です。

 英語の副読本などでも習った覚えのある作品ですが、久々に読むと新鮮な驚きがありました。「訳者あとがき」の言い方を借りれば、作者が落語家のように話の進行をとりしきる「語り物」調の短編小説は、いまではほとんど流行らない、懐かしくも貴重な話芸の世界です。

 さて、「最後の一葉」がどういう話の運びだったのか――。新訳が間に合わないので、現在の新潮文庫(大久保康雄訳『O・ヘンリ短編集〔三〕』)にあたってみると、やはり記憶とはかなり違っていました。病気の少女と両親の話だと思っていたのが、まったく異なるシチュエーションでした。画家を夢見てニューヨークにやってきた若い女性が流行の肺炎に侵されて、「ほとんど身動きもせずに、ペンキを塗った鉄製のベッドに横たわり、小さなオランダ風の窓ガラスごしに、となりの煉瓦づくりの家の、窓も何もない壁を見ている」――という設定です。

「最後の一葉」というだけに散りゆく枯葉の物語ではありますが、これは断じて秋の物語(日本で考えるような)ではなくて、やはり寒々としたニューヨークの冬を背景にした話です。

 1905年に書かれたこの作品には「オールド・ニューヨークに住む二人の若い女性画家と、生涯の終わりに美しくわが身を犠牲にした老いた落伍者の悲しい物語」という副題が添えられています。当時、画家や文学者たちが移り住んで「芸術家の村」が形成されていたグリニッジ・ヴィレッジ。3階建てのレンガ造りのアパートの最上階に共同でアトリエを構えた女友達二人と、階下に住む飲んだくれの老いた絵描きの物語です。

 猛威をふるっていた肺炎にかかり重篤の床についた女性画家は、隣家の壁に這い上がっている蔦の葉の「最後の一葉」が散る時に、自分も死ぬものと覚悟しています。「また一枚落ちたわ。(略)これで、あとたった四枚だけよ。暗くならないうちに最後の一枚が落ちるのを見たいわ。そしたら、わたしも行くんだわ」

 治る見込みはないものと自分で決め込んでいる彼女には、医師も女友達も何ら有効な手立てが見いだせません。そんな様子を聞いたのが階下の老画家です。いつも口癖のように「傑作を描くのだ」と言いながら、40年間、いまだに着手すらしていない「芸術の落伍者」は、若い娘の馬鹿げた空想に大きな声で軽蔑と嘲笑を浴びせかけます。

〈「なんじゃと……」と老人は叫んだ。「あんなくそおもしろくもない蔦のつるから葉っぱが落ちると自分も死ぬなんて、そんなべらぼうなことをいう奴が、どこの世界にいるんだ。そんなたわけた話、わしは聞いたこともない。(略)あんたもまた、なぜそんな阿呆くさい考えを、あの娘の頭に起させるのかね? ああ、なんて可哀そうな娘なんだろう」〉

 雪をまじえた冷たい雨が、ひっきりなしに降り続いた日の翌朝、窓のブラインドを女友達がこわごわ開けて壁を見ます。すると、どうしたことか! 

〈叩きつけるような雨と吹きすさぶ風とが、長い長い夜じゅうつづいたというのに、煉瓦の壁の上には、まだ蔦の葉が一枚、はっきりと残っているではないか。それは、つるにしがみついている最後の一葉だった。葉柄(ようへい)の近くは、まだ濃い緑色だが、鋸(のこぎり)の歯のような縁は黄色く朽ちて、健気にも地面から二十フィートほどの枝にぶらさがっていた〉

 その夜も北風が吹き、雨が窓をたたきますが、翌朝も最後の一葉は、まだそこにありました。娘の心に変化が生まれます。「死にたいと思うなんて、罰当りな話ね」。生きる意欲が湧いてきます。そこに、階下の老画家が肺炎で急死したという知らせが届きます。2日前、管理人がひとりで苦しがっている姿を部屋で見つけた時、靴も服もぐしょ濡れで、氷みたいに冷えきっていたというのです。

 壁の上の「最後の一葉」は、老画家が自らの命と引き換えに残していった作品でした。最後の一葉が落ちた夜、彼が死力を尽くして描き上げた、それが「傑作」だったという話です。

 あまりに有名であり、松本隆作詞の「最後の一葉」(太田裕美)という歌もありますので、ネタバレは気にせず紹介しました。起承転結の鮮やかなコント仕立ての構成と展開。ひねりをきかせた予想外の落ちがあるところも、いかにもO・ヘンリーらしい作品です。

 ただ、こういう小説は現代の文芸評論家からは軽視されることが確実なだけに、O・ヘンリーという作家がアメリカ文学史上でどのように位置付けられているのか、これまで不思議に思っていました。O・ヘンリー賞という、毎年すぐれた短編小説に与えられる賞は、1919年から続いています。私たちが知っている米国人作家はほとんどすべてこの賞を受けているといっても過言ではありません。

 ヘミングウェイ、フォークナー、スタインベック、コールドウェル、サローヤン、マッカラーズ、カポーティ、オコナー、ブラッドベリ、ベロー、チーヴァー、ロス、マラマッド、ピンチョン、バーセルミ、オーツ、カーヴァー、アップダイク、アーヴィング、ボイル、ラヒリ、S・キング、そしてカナダのアリス・マンローや俳優のウディ・アレンも受賞者です。

 新訳本の「訳者あとがき」には、この疑問を補ってくれる記述がありました。

〈O・ヘンリーの死から八年ほどで<O・ヘンリー賞>創設の企画が持ち上がった。(略)この時期の新聞記事には、O・ヘンリーについて「現代のアメリカ短篇の名人(the modern master of the American short story)」だったという表現が見られる。それならばO・ヘンリーは短篇が「ショートストーリー」として発展していく二十世紀の一番打者だったと言えそうだが、しかし後続の打線を見ると、まるでチームカラーが変わったようになる。(略) O・ヘンリーは二十世紀のトップバッターというよりは、十九世紀のラストバッターではなかったかと訳者は思う。それが安打製造機なのだった〉

“安打製造機”というのは、48歳で生涯を閉じるまで、実質10年ほどの作家生活を通じて、2000語内外の短編を381編も新聞、雑誌に発表し、多くの愛読者を獲得したという意味です。その約半数がニューヨークを舞台にした作品で、日本に紹介されているのは全作品の約1割程度だといいます。

『「最後の一葉」はこうして生まれた――O・ヘンリーの知られざる生涯』(齊藤昇、角川学芸出版、2005年)によれば、彼の作品は時代によってさまざまな毀誉褒貶にさらされてきたといいます。

「発端、読ませどころのヤマ場、事態の転換と『O・ヘンリー・サプライズ』と呼ばれる意外性のある結末など、起承転結の構成による物語の自然な進展に読者を引き込み、微妙な人間心理や人情の機微を描いて、読者の心をとらえた」という好意的な評価が死後しばらくは続いていました。ところが、一転して酷評にさらされます。

「彼にはその場限りの考えしかなく、読者を即興的に楽しませる技法しかもたない根っからのエンタテイナー」、「皮相的で現実性がない」、「真摯な知的内容をもたない『引き伸ばした小話』にほかならない」、挙句は「O・ヘンリーの世界は知的に不毛なサハラ砂漠である」という底値の状態にまで一時は落ち込みます。

 しかし、その後また上昇傾向が生まれ、1950年代以降は「ニューヨークの魅力、そのロマンや多様な人間性、またその魔力などを伝えた」という再評価の気運が現われてきます。「ユーモア、ウィット、ペイソスの三要素」を備えたO・ヘンリー作品は、アメリカン・ユーモアの点でマーク・トウェインに通じ、また「社会の弱者に対する優しさ」、「明るく屈託のないアメリカ的ヒューマニズム」の点で、「おお、スザンナ」、「草競馬」、「金髪のジェニー」、そして「オールド・ブラック・ジョー」などを生んだ人気作曲家のフォスターと並び立つ存在ではないかと同書は指摘しています。

 作品の舞台を訪ねた著者によれば、O・ヘンリーが「最後の一葉」の構想を練り、「賢者の贈りもの」を書き上げたレストラン&カフェの老舗「ピーツ・タヴァーン」(1864年の開業)は、マンハッタンのグラマシー・パークでいまも健在だといいます。“The Tavern O.Henry Made Famous”という表看板が掲げられ、メニューにもこのフレーズが明記されています。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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