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 「ゴリラ楽」への誘い
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「考える人」最新号の山極寿一さんのロングインタビューは、おかげさまで多
くの読者から熱い反応を頂戴しています。一部は公式ツイッター(@KangaeruS)
でも紹介していますので、是非お読みいただければと存じます。

 さて、年末のメールマガジン(No.417)で山極さんの紹介を兼ねて書こうと決めながら、そこに至る前に枚数が尽きてしまったテーマを、今回改めて取り上げます。山極さんのゴリラ学に触発されたユニークな試み――。こちらも「ゴリラ楽(がく)」といいますが、大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが、山極さんの指導を仰ぎながら始めた創作狂言! なんと、主人公がゴリラなのです。

 この話を初めて山極さんから聞いたのは、2010年5月にその狂言「ゴリラの子守歌」がお披露目された直後でした。狂言ではサル、キツネ、タヌキ、ウシ、ウマなどさまざまな動物が演じられますが(「蚊相撲」では人の血を吸う蚊にもなりますが)、それにしても日本にはいないゴリラが主役で、しかも狂言のルーツである「猿楽(申楽):さるがく」にあやかり「ゴリラ楽」とは!

 狂言師の修業は「猿に始まり、狐に終わる」とよく言われます。「靱猿(うつぼざる)」の猿になるのが幼少時初めて舞台に立つ演目で、「釣狐(つりぎつね)」の狐になるのが“卒業”にあたるというわけです。身体的にも精神的にも高度な技術を求められる「釣狐」を20代で披(ひら)いた千三郎さんは、謡とセリフの技術を徹底的に仕込まれる「花子(はなご)」を30代で演じ、次には40代で「狸腹鼓(たぬきのはらづつみ)」に挑みたいと、目標を立てていました。

「釣狐」、「花子」、「狸腹鼓」の3つは「極重習(ごくおもならい)」と呼ばれる特別な曲で、中でも最後の「狸腹鼓」は「釣狐」のパロディなのですが、狐が狸に変わるだけで、「自分の狂言師としての芸をどこまで凝縮できるかが試される」という格別の覚悟がありました(茂山千三郎『世にもおもしろい狂言』集英社新書)。

 父である四世茂山千作さんからも、難しい注文をつけられていました。「『釣狐』と違うて狸は雌やねん。狐は、なんやこわいなと思わすことが必要やが、狸はこわなったらあかん。最後は、かわいいから、観る人に助けたり! と思うてもらわなあかんのや」と。

 現実問題としていかにこの狂言を演じることが至難の業か、という話には立ち入りませんが、この作品を作ったのは、安土桃山時代に活躍した「トッパ」という型破りの狂言師らしく、「とっぱ」とは「でたらめ、うそつき、有頂天になって騒ぐなど」の意味だとか。

〈トッパさんは……当時、かなりの人気者で、しかもとても個性的な狂言をした人と思われます。けれん味のきいた狂言とでもいいましょうか。ずいぶん目立った存在だったようです〉(同)

 ともかく2005年6月16日に、40歳でこれを演じる機会が訪れます。

〈僕が思うに、トッパさんは、おそらく業界の中でもアウトローな人だったのでしょう。(略)そんな人だったから、修業の段階で『釣狐』を演じたり、観たりするうち、「確かによくできた狂言やけど、それ観ててオモロイか?」と思ったんでしょうね。だから「いっそのことパロディにしてやろう」と思いつき、『狸腹鼓』をつくったのでしょう。 戦前、父たちが苦労して狂言を守ったり、また、普及のために奔走した時代と違い、今は狂言がメディアでも取り上げられるくらい一般的になり、浸透しました。でも、僕はただこのよい環境に甘んじてしまうのではなく、狂言が生まれた室町時代のような狂言をしたいし、つねに庶民のほうを向いて発展してきた狂言の根源を忘れたくないのです〉(同)

 与えられた環境に甘んじるのではなく、既存の枠組みを勢いよく破りたい――まさに現状の“突破(とっぱ)”を念じていた千三郎さんにとって、京都在住の詩人、ひらのりょうこさんが仲立ちしてくれた山極寿一さんとの出会いは、一種の啓示でした。「狸腹鼓」を終えて、「さて、この次の展開は?」と考え始めた矢先でした。

 こうして生まれた新作狂言「ゴリラの子守歌」は、5年の熟成を経て、2010年5月に京都の映画館で上演されました。シルバーバック(成熟したオスゴリラは背中の毛が白銀色に変わるのでこう呼ばれる)に憧れて、どうしたら立派なシルバーバックになれるのか――7歳の若者ゴリラ“さぶ”がその心得について、ゴリラ研究者の山極さんの教えを請いに、ウガンダの森からはるばる四条烏丸まで出てくるという設定です。狂言の特徴である「ござる調」はそのままに、千三郎さんはゴリラの“さぶ”になりきりました。

 約25分間、背中を斜めにしたあの姿勢を、演目の間じゅう続けます。長い手を垂らし、背をそらせながら威厳を表わすオスのゴリラの凛々しさは、なかなか大変な構えだったと語ります。「普通の狂言の構えの4、5倍辛い。ゴリラの背筋(はいきん)はとてつもなく強いものだと実感しました」。

 ところが、このまま真っ直ぐに背筋(せすじ)を立ててみると、「腰を立てる」といわれる狂言の構えとゴリラの腰の入れ方が完全に共通していることに気がつきます。それまで狂言の構え(型)は農耕民族由来だと考えていましたが、ひょっとすると“人間以前”の何かに発するのではないか、と思えてきました。

 他にも、ゴリラが他者に出会った時の反応の仕方――「間合い」の取り方や「名乗り」の仕方にも、狂言が大切にしてきた芸と相通じる特徴が感じられました。顔を近づけ、お互いに見つめ合って認識し合う時の「間合い」やコミュニケーションの取り方などです。

 また能も狂言も、神に捧げる芸能から始まったとされていますが、「謡(うたい)は神様よりも先に子どもに聞かせていたものではないか」と、山極さんが虚を衝くひと言を発します。文字も言葉も持たないゴリラは、いろいろな歌や表情でお互いの気持ちを伝え合っているというのです。

 ともあれ、一人狂言の「ござる調」でゴリラの気持ちを代弁するという、本邦初の試みでした。準備のために、ゴリラの生態や習性についてノート数冊分の講義を受けました。重心の低い摺り足の歩行術、ゴリラの呼吸法、振り返る時などの体の使い方、子どもへの接し方、異性へのアプローチ、泰然自若とした父親ゴリラのオーラなど、独特の動きやしぐさについても、山極さんから直接指導を受けました。

「先人と同様、ひとつの芸のスタイルを作り上げるのは狂言師として勉強になる。是非『ゴリラ楽』というジャンルを作りたい」と千三郎さんは語り、一方の山極さんは「自分が30年かかったゴリラの身体表現を、こんなに早く体得するとは」と驚きました。

 その「ゴリラ楽」に再度挑戦したのが、2012年10月です。2作目はゴリラの子育てがテーマです。京都市動物園のゲンキという、この時26歳(1986年生まれ)のメスゴリラの実話をもとにしています。

 いまや日本の動物園のゴリラにも、少子高齢化の波が押し寄せています。その対策として、動物園同士がゴリラを移動させ、好ましいペアを作って何とか子どもを増やそうしています。ゲンキも、このブリーディングローンという制度によって、京都から東京・上野動物園にお嫁入りします。そしてオスのビジュと出会うのです。

 ところが、そこにモモコという東女(あずまおんな)ならぬメスゴリラが立ちはだかります。交尾は不成功。ゲンキはやせ細り、自分で指を噛み切るなど、ストレス漬けになって京都へ戻されます。

 一方、モモコはビシュとの間にモモタロウという子をもうけます。やがて、今度はそのモモタロウが、2010年にブリーディングローンで京都市動物園にやってきます。そこでゲンキとお見合いをします。この時、モモタロウは10歳で、ゲンキは20代の半ばです。結果は、めでたくゲンタロウという赤ちゃんが、2011年12月に誕生します。

 こうして、ゲンキは首尾よくゲンタロウを抱き上げますが、いくらたっても母乳が出ません。産後100時間以上が経過すると、ゲンタロウは脱水症状を起こし、体力も限界に近づきます。やむなく飼育員が赤ちゃんを母親のもとから引き離し、人工保育をすることになりました。

 ゴリラの赤ちゃんは体重2キロ以下のガリガリで生まれ、1年間はお母さんの腕の中(母親の手の届くところ)で育ちます。ゴリラの赤ちゃんがなぜ泣かないのか、というと、つねに母親に抱かれている安心感があるからだといわれます(*)。それなのに、母乳が出ないために可愛いわが子を、むざむざと手もとから奪い取られたゲンキの嘆きが、この一人狂言の冒頭です。はたしてゲンタロウは母のもとへ無事に戻ることができるのか。そしてモモタロウと家族の運命は……?

 人間の世界では育児ノイローゼや母親の赤ん坊虐待などが話題になりますが、ゴリラの子育てはどうなのか。「人間に近いけれども、人間とは違うゴリラの生態を、『ゴリラ楽』を通して体験することで、隠されて見えにくくなってしまった人間の生物学的な本質が、実感として伝わってくるのではないか」と山極さんは語ります。

 実は3作目をやらないか、という構想も、すでに二人の間では温められているそうです。私が拝見した昨年の公演では、赤ん坊のゲンタロウ役として千三郎さんのお子さんが舞台に登場、バックで子守歌を歌ったのが奥さまでした。いずれ初めて立つ舞台は「靱猿」でなく、狂言の修養は「ゴリラに始まり、狐に終わる」という日が来るかもしれません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)