【考える本棚】
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 小倉美惠子『オオカミの護符』(新潮文庫)
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山を拝む
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 天から降ってくるように、以前読んだことのある本が、突然、意識に上る瞬間があります。きっかけは唐突に訪れて、そこから連鎖反応が広がることもしばしばです。今回もいきなり話題の中心に飛び出して、そのまま再読を促されていました。「これもオイヌさまのお告げ?」と言ったら、先を急ぎ過ぎることになりますが……。

 先日、ある人と科学の話をしていた時です。ふとした弾みで、ニホンオオカミの話題になりました。最後の姿が確認されてから100年以上の時が経ちますが、日本各地には多くの伝承が残っていて、関東一円を中心にオオカミ信仰も広がっています。西洋では家畜を襲うオオカミは人間の敵と見なされているにもかかわらず、日本では決してそうではありません。むしろ農作物を荒らすイノシシやシカを退治する、農民にとってはありがたい存在です。獣害を防ぐ守り神として、崇(あが)められているのが日本です――と話しているうちに、いつしか本書の世界に入っていました。

 同日後刻、別の人と「地方創生」の話になりました。限界集落や、いま話題の“地方消滅論”(*)をひとしきり語った後で、こんな議論になりました。「地方再生を、高度経済成長時代の論理や、企業社会の枠組みでイメージしようとしてもなかなか難しい。むしろ農山村の足元に眠る記憶の古層を掘り起こしてみると、何かヒントが見えてくるのではないか」――。これまた、本書が導く世界に他なりません。

 時あたかも2011年刊の原著が文庫化されたばかりです。再読すると、やはり面白く、感動は少しも衰えません。いや、前と違った感慨がじわりと心に沁みとおってきます。改めて本書の問いかけの深さ、射程の長さを実感することになりました。

 著者は1963年(昭和38年)、神奈川県川崎市宮前区土橋(つちはし)に生まれます。生家は東急田園都市線「たまプラーザ」駅から“散歩にほどよい距離”にあり、首都圏では「住みたい町」の上位に必ず挙げられる人気のエリアに位置しています。いまや7000世帯にも及ぶ高級住宅地として、また都心で話題の店が次々に進出するお洒落な街として、周辺は「第四の山の手」とも呼ばれているそうです。東急グループが中心となって、戦後手がけてきたベッドタウン構想、ブランド化のたまものです。

 ところが、著者の生まれた頃までは、わずか50戸ほどの農家が点在する、まったくの寒村だったというのです。川崎市になる前は、古代の「武蔵國(むさしのくに)」から続いてきた「橘樹(たちばな)郡」の宮前村大字(おおあざ)土橋。「橘樹」の名は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妻・弟橘媛(オトタチバナヒメ)に由来するという説もあり、ヤマトタケル伝説は、本書全体を貫くもっとも深い地下水脈として、物語の要所要所でいつもその気配をうかがわせます。

 地形的にいえば、この一帯は東京都の南西部に広がる多摩丘陵の起伏とともにあり、多摩川の南岸、その起伏がなだらかに海に向かってゆく谷間(たにあい)の集落のひとつが土橋です。著者の祖父も父もここに生まれ、土地に根ざして農業を営みながら、暮らしを立ててきたのです。

〈自らを「百姓」と名乗ってきた明治生まれの祖父母の世代の村人たちは、その風貌や語り、身のこなしや暮らしぶり、そして自然観や人生観に至るまで、今の私たちとは全く異なるものを身に宿していた。 村人は朝早くから野良(のら)で働き、夕暮れまで身体を休ませることはなかった。暮らしは決して楽ではなかったが、それだけに皆が集まる行事のときは、芯(しん)から湧き起ってくるような高揚が人々を包み込み、心を開かせた〉

 その一帯が開発され、雑木の山が削られて、小川や小径(こみち)が消えていきました。代わりに瀟洒な住宅や高級マンションが立ち並び、新たな住人が移り住んできます。そこで思春期を迎えた著者が抱いた感情は、日本全国の誰しもが、大なり小なり感じていた時代を象徴する気分です。少し長い引用になりますが、著者が地元の小学生たちに、手紙の形で語りかけた言葉です。

〈私は自分の家がお百姓の家だというのが恥ずかしくて仕方がありませんでした。どこから見ても百姓にしか見えないおじいちゃんの存在も恥ずかしいと思いました。(略) お友達と一緒にいるときにおじいちゃんが私に声をかけてくると、他人のフリをしてその場から逃げてしまったりしました。私は新しく土橋にやって来たお友達に、おじいちゃん、おばあちゃんのことや、茅ぶき屋根の家のこと、そして農村だった土橋のことも、誇りを持って話をすることができませんでした。 でも心の中では朝早くから黙々と仕事を続けてきたおじいちゃん、おばあちゃんのことも、ツバメやカブトムシやホタルなどがいつも遊びにきていた茅ぶき屋根の家のことも、ドジョウやザリガニを採って遊んだ土橋のことも大好きでした。それなのに自分が嫌われないようにと他人の目ばかりを気にしているうちに、大切なおじいちゃんも、茅ぶき屋根の家も、土橋の風景も皆消えていってしまったのです〉

 大人になって時間が経つにつれ、「『何かが違う』と心の中で叫びを上げている自分」がいることに気づきます。「何か大切なものを置き忘れてきたような気がする」という後ろめたさ。その時、目に浮かんだのが、家の古い土蔵の扉に貼られていた「一枚の護符」のことでした。

〈「護符」は幅一〇センチ、長さ三〇センチほどの細長い紙で、そこには鋭い牙を持つ「黒い獣」が描かれ、獣の頭上には「武藏國 大口眞神 御嶽山」という文字が三列に並んで配されている。 明治生まれの祖父母はこの「黒い獣の護符」を、親しみをこめて「オイヌさま」と呼んでいた。護符に描かれた黒い獣は確かに犬のようにも見えるが、その鋭い牙と引き締まった体躯からは、猛々しい野生の気が漂っている〉

 毎年貼り替えられるこの護符はどのようにしてやってくるのだろうか。母親に尋ねると「オイヌさまは百姓の神様だよ」と言い、「御嶽講(みたけこう)」という「講」を組んで、奥多摩山中の武蔵御嶽神社(東京都青梅市)まで、毎年春にここから歩いて参拝し、オオカミを描いた護符をいただいて帰る。それを講中(こうじゅう)の各戸に配って、家々の戸口や台所、土蔵の扉や畑などいたるところに掲げ、魔除けの「オイヌさま」として祀ってきたことが、次第に明らかになってきます。

 そこから著者は、この何百年も続いてきた心の拠り所――「オイヌさま」(それは「オオカミの護符」でした)の源流を求める旅に出ます。そしてついには、「この言葉に、この姿に出会いたくて私は旅に出たのだ!」という感動を、私たちに受け渡してくれるのです。

 物語のちょうど半ば、「オオカミの護符」の謎を解明する旅が、いよいよ山の世界をさらに奥へと入っていく転回点に印象的な記述があらわれます。

〈御岳山に登ると、まさに「武蔵國」が一望できる。改めてこの山上で「首都圏」と「武蔵國」の二つの言葉を発してみた。すると「首都圏」という言葉は明らかに都心に向けて凝縮していくが、「武蔵國」はむしろ山に向かって柔らかに開けていく音がする。戦後、私たちは東京に目を奪われて慌しく過ごしてきたが、祖父母、そして武蔵國のお百姓は皆、山に気持ちを向けて生きてきたのだ。(略) そして極めて大切なことに気付いた。多摩川、荒川、利根川が、この山塊を水源として太平洋に注いでいることは知っていたが、反対側の日本海に注ぐ信濃川の源流・千曲川、そして内陸へ駈け下る笛吹川、相模湾に注ぐ相模川といった、多くの大河もこの山塊から生まれ出ている。この山々の世界は、日本の縦横に広がる平地を潤す大水源地帯でもあったのだ。(略) 私たちの暮らし、いや命は、今も変わらず山から生まれ出る水が支えてくれている〉

 そこから著者は奥武蔵、秩父の武甲山、宝登山(ほどさん)、猪狩山(いかりさん)、三峰山へと向かいます。まさに著者自身、「山に向かって柔らかに開けていく」様子がありのままに描かれていて、素直にその感動が伝わってきます。山々にある神社はオオカミ信仰とともにあり、境内で出迎えてくれるのは、オオカミをかたどった「ヤマイヌ型」の狛犬でした。

 柳田国男が『山の人生』で、三峰山の「御産立(おぼだて)」という神事を紹介しています。山に棲むオオカミはお産の時に「必ず凄然たる声を放って鳴く」というのです。

〈心直(す)ぐなる者のみこれを聴くことを得べし。これを聴く者社務所に報じ来れば、神職は潔斎衣冠(けっさいいかん)して、御炊上(おたきあ)げと称して小豆飯(あずきめし)三升を炊き酒一升を添え、その者を案内として山に入り求むるに、必ず十坪ばかりの地の一本の枯草もなく掃き清めたかと思う場所がある。その地に注連(しめ)を繞(めぐ)らし飯酒を供えて、祈祷して還(かえ)る〉(柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波文庫)

 いったい「心直ぐなる者」とはどんな人なのか。作者の旅はクライマックスへと向かいます。そして山の内懐深くに暮らす長老の口から語られるのは、「お炊き上げ」の原点を物語る、先祖から「ゆずり」受けたエピソードでした。柳田国男が大正以前に採集した話を、いまなお「身に宿している人」が目の前にいる! 毎日お世話になっている「お山」の神様に手を合わせていた祖父母たちの原像と、著者が出会った瞬間です。

〈「心直ぐなる者」はここに生きていてくれた〉

 自分たちを生かしめてくれている「命の根源」である山の世界と、里で百姓をしていた父祖たちの祈りが、著者の中でつながります。そして、読者にとってそれは、冒頭で著者が描いた幼い日の、祖父母の思い出にも連なります。

〈祖父は私と弟が快く眠れるように夏には蚊帳(かや)を吊り、冬には竃(へっつい)で熾(おこ)した豆炭のアンカを用意してくれた。そして祖父の布団には弟、祖母の布団には私がもぐり込み、祖母の語りを聞きながら眠りにつくのだ。年老いた祖母が少ししわがれた声で諳(そら)で語る話は、身の深いところに到達し、沈澱していった。 祖母は自分自身が見聞きしたことから、この村や近在の村に伝わる伝説、家の先祖の話やお伽ばなし、それから神社やお寺の縁起を語る説経節の物語までも聞かせてくれた。 布団に入るとすぐに、絵本でお馴染みの「さるカニ合戦」や「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「かぐや姫」などの物語を聞かせてくれる。祖母が登場人物の声色を使い分けるその物語に、私は入りこんで夢中になった。祖母は主人公が窮地に立たされる場面になると、「さあさ、ミコさんならどうするに?」と私を覗き込む。そのたびに私は悪者をコテンパンに懲らしめる策を思い巡らすのだが、祖母は「一寸の虫にも五分のたましいがあるぞ」と言い聞かせるのだった〉

 同じ体験が自分にはないにもかかわらず、この話には胸を揺さぶられます。過ぎ去った夢幻のような記憶が語られているからではなく、物語の深い本質がここに解き明かされているからです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)