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 旅する道は 悲しみに満ちている
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 モノクローム映像の厳粛な美しさに圧倒されました。第2次世界大戦前後のポ
ーランドを舞台に、「ジプシー初の女性詩人」となった実在の人物を描いた映画
「パプーシャの黒い瞳」です(*)。

 冒頭に映し出される集落の遠景から、いきなり目の玉が“覚醒”させられます。“ブリューゲル・フレーム”と監督たちは名づけたそうですが、ブリューゲルの絵のような、緊張感のある「引き」の構図、そして白と黒の諧調によってのみ描き出される神秘的で詩的な映像こそが、この「パプーシャの物語に命を与える映画言語」ではないか、と確信したというのです。

 1910年。ジプシーの少女が草むらの中で出産します。その夜、「名前は何とつける?」と母親に聞かれた娘は、「パプーシャ(人形)がいい」と答えます。呪術師が呼ばれ、赤ん坊に「羽根のように軽く大地を歩けるように」とまじないの言葉を唱えます。「何か良くないことが待ち受けている」とも彼女は告げます。「悪い名だと言ったろ。この子は歩けないだろうよ。恥さらしな人間になるかもしれない」――娘の母親も不吉な予言を口にします。

 続く場面は、1971年です。大臣差し向けの車が刑務所に横づけされ、役人が中へ入っていきます。鶏を盗んだ罪で収監されていたジプシーらしき服装の女性が釈放され、車に乗せられます。案内された先はコンサート会場でした。しかし、彼女はなぜか、席につこうとしません。「これは何かの間違い。私は今まで詩など書いたことはない」と頑なに拒みます。業を煮やした男(やはりジプシー風の)が彼女を怒鳴りつけ、ようやく席につかせます。

 演奏が始まり、ソプラノ歌手の歌声が響き渡ります。

 クンパニアを組んで ジプシーが来る 幌馬車の車輪が 音を立てて回る

 おどおどした様子でじっと目を伏せていた彼女が、やがてステージを見つめ始めます。オペラ歌手が歌う詩を書いたのは、彼女……。書き文字を持たないジプシーに生まれながら、やがてポーランドを代表する詩人となったブロニスワヴァ・ヴァイス(愛称パプーシャ)の生涯が、こうして語り起こされます。  ここから場面は、時代と場所を行きつ戻りつしながら、パプーシャの人生を、彼女の内面の動きさながらに、コラージュのように浮かび上がらせます。背景にはクンパニア(馬車を連ねたキャラバン)を組んで移動する放浪の民への差別と抑圧、ナチスによる大量虐殺、戦後の社会主義政権による強権的な「定住化政策」など――ジプシーを見舞った苦難の歴史が描かれます。

 映画の中で語られている言葉はポーランド訛りのロマニ(ジプシー語)。俳優たちは1年がかりでこれを学び、撮影に臨んだのだといいます(関口義人「『ことば』を見つけた人形(パプーシャ)の物語」、劇場プログラム所収)。

 どの場面もモノクロームの静謐な映像が目に焼きついて離れません。時代考証、風景の再現、衣装や生活の細部への目配りも完璧を期したのだろうと思われます。まるで当時のドキュメンタリー映画を見ているかのような感覚にさえ襲われます。またそこに奏でられるジプシー音楽が画面に共鳴して、哀しく、切なく、やるせないほどに心を震わせます。

 幼いパプーシャは印刷された文字を見て、それに興味を覚えます。文字はガジョ(非ジプシー)の呪文、悪魔の力とジプシーたちは忌み嫌います。しかし、パプーシャは好奇心を抑えきれず、町の商家の女主人にこっそり読み書きを習います。

 やがて15歳で、意に染まぬ結婚ながら、一族の因襲には抗えず、はるかに年のはなれたハープ弾きの夫を得ます。そしてナチスに焼き払われた村の虐殺現場から、ひとりの赤ん坊を救いだし、この男の子を育てます。そこに1949年、秘密警察に追われてワルシャワから逃げてきた男(実在の詩人イェジ・フィツォフスキ)が現われ、ジプシーたちは彼を匿(かくま)うことにするのです。パプーシャはガジョ(イェジ)が携えてきた本に目を奪われます。

 ある夜、野営地で焚火を前にしたパプーシャの口からこぼれた言葉に、イェジは驚きます。

 緑の草は風にそよぎ 樫の若木は老木にお辞儀する 木の葉はささやく 放浪の人が逝ったと カラスが悼んで鳴く 黒い大地は悲しみに震え 大いなる森は静かに歌う

 「パプーシャ、君は詩人だ」 「詩人って何?」 「歌を作る人のことさ」 「違うわ、歌を作るのは人魚よ」

 2年の歳月が流れ、イェジの逮捕状が取り下げられます。ワルシャワに戻る彼は、パプーシャに詩を書いて自分のもとへ送るように言って、万年筆を手渡します。パプーシャは彼に、幸運が訪れるようにとお守りを渡し、とっさに体をぶつけるようにしてイェジに口づけます。

 こんな美しい場面をこれまでに見たことがあっただろうか、とたじろぐような一瞬です。演出の見事さ、俳優の演技力の素晴らしさはもちろんのこと、運命が交錯する瞬間に、パプーシャの詩神が舞い降りてきたかのような、衝撃が走ります。

 やがて送り届けられた彼女の詩は、イェジによってポーランド語に翻訳され、彼によるジプシー研究の論考とともに1冊の本として出版されます。ところがこれが、思いもよらぬ悲痛な事態を招きます。パプーシャの行為は、古くから伝わる民族の秘密を外部に漏らした裏切りとされ、夫とともに同胞のコミュニティから追放されるのです。彼女は自分の行為の反響におののき、呪いに怯え、ついには正気を失います。

 なぜそんなことが、という本当のところは、パプーシャの詩を読んだだけではよく分かりません。

〈その美しい言葉が当時のジプシーの人たちの怒りを買ったという事実は、今の私には不思議に感じられますが、文字を拒んで声と歌で自分たちの言葉を守ってきた彼らには、パプーシャの近代的な自我が脅威とも感じられたのかもしれません〉(谷川俊太郎「『なんてすばらしい!』」、『パプーシャ その詩の世界』所収、ムヴィオラ)

 ジプシー社会に鬱積していた歴史的な不満の上に、新たな定住化政策の押し付けが加わり、民族の尊厳がいよいよ剥奪されていくことへの絶望的な怒りが爆発したとも考えられます。無償で家が与えられ、子どもは学校で教育を受けられるといいますが、「大地で育ち、大地で寝て、大地で食う」生活を500年以上も続けてきた人たちです。彼らを襲った自己喪失の危機感が、よそ者(ガジョ)の世界でもてはやされる彼女に、怨嗟と憎悪の奔流となって、一気に噴き出したのかもしれません。

 そして1971年、二人きりの極貧生活の末に、夫が死を迎えます。埋葬から戻ってきたパプーシャを待っていたのはイェジでした。「何度も手紙を出した。ワルシャワで暮らしてはどうか」と彼は誘います。

 「ワルシャワに?」 「世話をしてもらえる。自分の部屋も持てる」 「無理ね。ワルシャワには誰も知った人がいない」 「まだ詩は生まれてる?」 「詩を書いたことはない。ただの一度も」

 むなしく帰っていくイェジは、最後に振り返り、小さく手を振って別れを告げます。窓からパプーシャは気づかれないように見送っていました。小さく手を振った彼女を、イェジが見ることはありませんでした。

 監督・脚本は、ポーランドを代表する名匠の一人クシシュトフ・クラウゼと、その妻ヨアンナ・コス=クラウゼの二人ですが、夫は昨年12月に61歳の若さで亡くなり、本作が遺作となりました。妻のヨアンナは、パプーシャを知ることになったきっかけをこう語っています。

「高校時代の先生が、パプーシャについて教えてくれました。ポーランドでも、彼女がどんな人物だったかをよく知る人はほとんどいません。彼女の生涯は神話や伝説に包まれているのです」(「プロダクション・ノート」、劇場プログラム所収)

 以来、興味を抱き続け、夫とともに10年以上前から、パプーシャについての映画を作りたいと考え始めます。映画製作には5年を費やしました。

〈パプーシャの人生を悲劇だと言う人もいるでしょう。しかし、もしパプーシャが文字を覚えることなく、イェジ・フィツォフスキと出会うこともなく、詩を書くこともなく生涯を終えたとして、その方が幸福だったと誰が言えるのでしょう。パプーシャは、素晴らしい詩を残しました。その人生において何かを残すことができた人の生涯は、幸福だったのか不幸だったのかだけで判断することはできません。多くの芸術家が、パプーシャのように芸術を残してきたのです〉(ヨアンナ・コス=クラウゼ、前掲『パプーシャ その詩の世界』所収「編者あとがきにかえて」より)

 パプーシャが、台所で紙切れに詩を書きつけている場面があります。彼女の手書き原稿には、小さな文字がびっしりと書き連ねられ、改行もなかったといいます。おそらくわずかな紙を惜しみながら、そこにほとばしるような思いを書きとめていたのでしょう。この場面も宗教画のように美しい映像です。少なくとも彼女にとってその瞬間は、言葉という「羽根」を得て、軽やかに大地を闊歩しているような高揚感と喜びがあったと思うのです。

 いつだって飢えて いつだって貧しくて 旅する道は 悲しみに満ちている とがった石ころが はだしの足を刺す 弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる すべてのジプシーよ 私のもとへおいで 走っておいで 大きな焚き火が輝く森へ すべてのものに 陽の光が降り注ぐ森へ そして私の歌を歌おう あらゆる場所から ジプシーが集ってくる 私の言葉を聴き 私の言葉にこたえるために

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)