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 エンヤコラセー、ドッコイセ
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 前回紹介した石田千さんの『唄めぐり』(新潮社)を読んでいて、気になる1
冊に出会いました。河内音頭の音頭取り、河内家菊水丸さんの自伝小説『音頭ボ
ーイ』(ヨシモトブックス)です。「モートルの貞」が、この小説の中に「土地
のひとのまま」登場してくるというのです。

 モートルの貞――。その名前の響きだけで、われわれは勝新太郎、田宮二郎の往年のコンビが躍動した映画「悪名(あくみょう)」シリーズ(大映、1961年~1969年)を瞼(まぶた)に浮かべます。若き田宮二郎が演じた二枚目のヤクザ。勝新太郎扮する主人公の朝吉に惚れ込んだ、ハイカラでイカした弟分です。絶妙な河内弁の語り口が、頭の中を駆けめぐります。

 すると小説も、いきなり2ページ目から「悪名」の話が登場してきます。主人公のキヨシ(菊水丸さん)がぼんやりテレビを見ていると、古い映画が始まって、ぐいぐい物語に引き込まれます。それが勝新、田宮二郎の「悪名」で、キヨシにとって朝吉、モートルの貞の兄弟分は、仮面ライダー、ウルトラセブンと並ぶ「比類なき無敵のヒーロー」となるのです。

 やがてキヨシは、河内音頭に魅せられて、10歳で父の河内家菊水のもとに入門します。中学3年生では、久乃家勝美師匠の弟子となり、盆踊りの櫓(やぐら)の上でも唄います。ある日、師匠に「うちのおやじが来てるから、挨拶してこい」と言われたキヨシは、奥の間に坐った「派手なジャンパーを着た白髪まじりのおじいちゃん」に、正座して丁重に口上を述べ始めます。

 ところが、いきなりそれをさえぎって、「吾(わ)れ、ちゃんと挨拶せんかい!」と強烈な河内弁の怒声が飛んできます。迫力に圧倒されたキヨシは、あたふた師匠のもとへ逃げ帰り、そこで初めて、この怖いオヤジさんこそ「悪名」のモートルの貞だと知らされるのです。

〈キヨシは奥の間に行き、モートルの貞さんの前に出て、あらためて挨拶をした。「初めまして。押しかけ弟子として師匠にお世話になっている岸本キヨシです。あのう、モートルの貞さんですよね」 すると、モートルの貞さんは相好を崩して、「見てたんか、吾れ」 とたちまち上機嫌になった。「はい、『悪名』は何度も見せていただきました」「田宮二郎やろ。あいつは下手(へた)じゃ。本物の方がよっぽどええんじゃ!」 実際、キヨシは映画は最初から最後まで、そらでシーンを語れるほど何度も見ている。「ほんまに見たんか!」「はい。いやあ、映画の田宮二郎さんより男前ですね」「おう、気に入った。正直なやっちゃ。吾れ。うちの勝美のとこにおんのやなあ」「はい」「おう、がんばれよ」「ありがとうございます」「よっしゃ、往(い)ね」「はい、失礼しまーす」〉

 これだけで『音頭ボーイ』のテンポの良さ、面白さが十分に伝わると思います。映画の原作『悪名』は仏門に入った作家の今東光が、檀家が36軒しかない貧乏寺の天台院に住職として暮らした八尾(やお)を舞台にした小説です(新潮社、1961年)。河内をガラの悪いところと全国的に知らしめたと、地元ではきわめて評判がよくないと聞いていました。ところが、キヨシ少年は、小学校5年生でこの小説を学校の読書感想文に取り上げて(きわどい描写が多いので、先生にも母親にも叱られますが)、天台院に著者のサインまでもらいに行きます。書店のいちばんいい場所に本が山積みになっていた、ともあります。特に嫌われていたという様子はうかがえません。

〈「サイン、下さい」 と言って、色紙とマジックを差し出すと、気軽に応じてはくれたが、いかにも面倒くさそうだった。 色紙には名前と「極道辻説法(ごくどうつじせっぽう)」という言葉を書いてくれた。「極道辻説法」とは今東光さんがやっている「週刊プレイボーイ」の人生相談のタイトルで、キヨシたちはそれよりも、「悪名」と書いてほしくて、「『悪名』と書いてください」と頼んだが、子供に「悪名」の何がわかるんだというような顔で、書いてはくれなかった。 キヨシたちは住職にインドの偉いお坊さんのような雰囲気を期待していたが、まるっきり違っていて、『来るんじゃなかった』とがっかりし、お寺を去った〉

 さて、現実のモートルの貞さんは当時、60過ぎ。20代の昭和初期は、映画の田宮二郎ばりのやんちゃな人だったらしく、「モートル」とはモートル(モーター)のように馬力があるという綽名(あだな)でした。キヨシは憧れのヒーローをしばしば訪ねます。

〈玄関のベルを押すと、「誰や、おまえは!」 と巻き舌の物凄い声が返ってくる。(中略)「岸本です」 と言うと、「おう、吾れ、来たんか。入れ」 と入れてくれる。 貞さんの元気の源はオロナミンCで、いつもそれをキヨシにも飲ませてくれる。見ると、冷蔵庫はオロナミンCでいっぱいで、いつ行っても減った様子はない。「これ、一本飲んだら、また一本補充してるんですか?」「裏で作ってるんや」「え、作ってるんですか?」「あはは、シャレやがな」〉

 八尾の映画館では「悪名」がたびたび上映されていたらしく、連れだって出かける場面が出てきます。「悪名」と「続悪名」の二本立て。大人500円、小人300円の入場料を払いながら、「おれ、モデルやのに、ゼニ取るとはどういうこっちゃ」とこぼします。そして「続悪名」のラストシーン。降りしきる雨の中、恋女房と歩いているところをチンピラに襲われ、モートルの貞はコンクリートの上に斃れます。壮絶な最期です。

〈スクリーンのモートルの貞がバッタリと倒れた瞬間、隣の席の実物のモートル貞さんは、「これ、どう思う? あいつら、おれを小馬鹿にしとるなあ」 と映画館中に響き渡るような大声で言うのだった。「朝吉はもう死んでしもたけど、おれはピンピンしとるがな。映画は間違うとる。逆や」〉

 この映画が封切られた当日は、当然もっと凄い騒ぎになりました。「どういうこっちゃ!」 スクリーンに向かってモデルは叫び、館内は騒然です。ここまで読むと、たまらずDVDを借りに走って、懐かしの名画観賞をすることになりました。

 さて、この小説は学校の勉強は苦手のキヨシが好きな河内音頭に打ち込んで、音頭取りとして船出していくまでの物語です。驚くのは中学校の校長先生、高校の担任の先生や、相撲好きが嵩じて親しくなった大相撲の片男波親方や、河内音頭の師匠たち、なんば花月の支配人などが、温かく少年の成長を見守り、励ましていくところです。「こういうユニークな生徒が我が校におってくれて、わしはうれしい」、「河内におって河内音頭ひとつ唄えんようでは、そんなもん、あかへん」とは中学の校長先生の言葉です。こういう地域文化の根強さに、まぶしさを感じるばかりです。

〈たとえば、わたしは大阪の河内地方の出身だが、この地では毎年夏の盆踊りシーズンになると、町々の小さな広場に櫓が組まれ、「河内音頭」の声が響く。河内地方には百派千人と言われるほど音頭取りが多い。声のいい音頭取りが櫓に立つと、櫓の回りを二重、三重に取り囲んでいる踊り子たちの数が、いつのまにか増えている。下手な音頭取りが櫓に立つと、みるみるうちに踊り子の数は減る。踊り子たちは、全員、町内に住む一般の人たちだ。一晩だけヒーローやヒロインになって、浴衣を着て踊るのである。この人々は音頭取りが「上手」か「下手」かについて、ことばでは何も言わない。そのかわりに、踊り子の数が歴然とした「批評」として成立する。これは音頭取りにとっては、目に見える批評となるのであって、うむを言わせない〉(佐々木幹郎『東北を聴く』岩波新書)

「かっかかん どんどん からかっか どどつつどん」――陽気で軽快な太鼓のイントロに合わせて、河内音頭の一席が始まります。

 さては一座の皆様方へ ちょいと出ましたわたくしは お聞き通りの悪声で お気に召すよにゃ詠(よ)めないけれど 河内で生れて河内で育ち 河内で憶(おぼ)えたこの音頭  

 河内は北、中、南の3つの地域に分かれ、音頭もそれぞれに異なるといいます。南は、町田康さんの小説『告白』(中公文庫)でも知られる「河内十人斬り」の外題が有名で、キヨシが中学3年生で櫓に上った中河内、八尾の常光寺は、もっとも古くから伝承された流し節正調河内音頭のメッカ。悲恋お久藤七物語、俊徳丸、網島心中などの外題が口伝として伝承されています。

 現代ものでは、菊水丸さんの父、河内家菊水さんのオハコ「悲運名横綱玉の海」や、美空ひばり物語、菊水丸さんが広めたという時事風刺を音頭で唄う「新聞(しんもん)詠み」など、新作が次々に生まれては、即興をまじえ絶え間なく変化を遂げていくのが特徴です。菊水丸さんによれば「二千会派二千人の音頭」だそうで、裾野が広く、いまなお活況を呈していることに舌を巻きます。

 こういう現状を教えてくれた石田千さんの『唄めぐり』が、この章を「音頭の大河」と名づけたのも、むべなるかなと思います。常光寺は菊水丸さん(キヨシ)の原点になりますが、お寺の盆踊りはご先祖様を供養するために(仏様を明るいところにお招きして、心から楽しんでいただくために)信者やお坊さんが踊ってきたというのです。

 勝新太郎が映画の中で河内音頭を披露するのは、シリーズ6作目「悪名市場」で、太鼓を叩くのは田宮二郎。待ってました~とばかりに現われて、見事に決めてくれるシーンです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)