音楽を聴くことは、本を読むこととならんで、人生の二大愉しみと思っていますが、オーディオ装置のことはさっぱりわかりません。1メートル何十万円もするケーブルがあることや、ケーブルだけを集めた雑誌があることも、異次元のお話のようです。

 以前、小さな村で、水力発電所を営んでいた友人がいました。その音楽好きの友人は、こんなにきれいな電気はない、なにせ家のとなりでつくっているのだから、といって、ほのかな光を発する真空管アンプに家具のような大きなスピーカー、そして自慢の産直の電気で、いつもいい音を聞かせてくれました。でも、「汚れない電気」がその音にどの程度影響していたのかは、鈍いこちらの耳にはまったく判別不能だったのですけれど。

 話がそれましたが、オーディオ関連の情報というと、そこは一気にマニアの世界、とても怖くて踏み出せないという印象があります。そんななか異色の一冊といえるのが、『いい音が聴きたい――実用以上マニア未満のオーディオ入門』です。おおげさなオーディオ装置に頼らなくても、いい音は聴ける。ウォークマンでも、ミニコンポでも、イヤフォンや配線を新しくしたり、配置をちょっと変えるだけで、いまとは見違えるような音が楽しめる、その実践の方法を具体的に書いた本です。

 マニアにならずともいい音が聴けるんだ、というのはとても新鮮で、本当の専門家は素人の場所までおりてこられるという、その見本のような本だと思います。著者の石原さんは、オーディオ評論家、音楽評論家であり、2003年には専門誌「クラシックジャーナル」を創刊し、14号まで主筆をつとめました。今回のクラシック特集に、その石原さんが、「オーディオの効用」という原稿を寄せてくださっています。

 本来、瞬間瞬間にしか存在しない音を、永続的でくりかえし再現できるものとして定着させるという大改革をもたらしたのが、20世紀初頭の録音術でした。その後の録音技術の発展とオーディオ装置の充実は、わたしたちになにをもたらしたのでしょう。石原俊さんの原稿は、その根源的な意味を再度考えさせてくれます。

 原稿をいただいてから、撮影のために石原さんのお宅におじゃましました。都心の大きな通りから一本入った住宅街にあるお宅の前には、大事にされてきたことがひと目でわかる、年取った犬がのんびりとねそべっていました。ぬれた鼻や、刈りたての芝生のような耳にしばし触らせてもらってから、玄関の呼び鈴を鳴らすと、石原さんご夫妻が迎えてくださったのですが、「音楽室」に招じ入れられたわたしたちは、しばし言葉を失いました。

 世の中には、こんな場所で音楽を聴いている人がいるのか。三方を天井まである棚がぐるりと囲い、本とレコードとCDがぎっしりと、でも美しく並べられている。さっきまでの都心の喧騒はうそのような静けさ、森のなかにいるようなほの暗さ。なんというか、本好き、音楽好きの夢のひとつのかたちが、現実のものとして目の前にひろがっている、という空間だったのです。そしてそこには、たぶん、好きな人なら垂涎必至というオーディオ装置が並んでいました。私に判別できたのはロゴのきれいなアキュフェーズだけでしたが、石原さんに伺った機器名はキャプションに網羅してありますので、写真とあわせてどうぞご確認を。

 その日、石原さんの「音楽室」で聞かせていただいた音は、人生の新しい体験といっていいような、ひとつの衝撃でした。でも、オーディオ装置が変われば音が変わる、それは当たり前のこと。反対に言うと、装置が変わらなければ音はいっしょ――と思っていたのですが、石原さんのような繊細な感覚の持ち主にとっては、どうやらそうではないようです。ある日の深夜、石原さんの身におこった至福の体験を、どうぞ本誌で追体験なさってみてください。