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 言葉に託された仕事
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 7月24日の昼下がり、猛暑の中を有楽町のよみうりホールまで出かけました。
毎年の恒例である「日本近代文学館 夏の文学教室」で、セルビア在住の詩人・
翻訳家の山崎佳代子さんが、「旅する言葉、異郷から母語で」と題する講演を行
うからです。

 タイトルには、35年におよぶベオグラード暮らしに根ざした彼女の実感がこめられています。

〈二月十二日(木) 帰り道のバスで考えていた。私の詩は翻訳詩ではない。裏と表、両方着られるセーターみたいな二つの言語の詩だ、と。あるときは日本語の言葉が、あるときはセルビア語の表現がパン種となって、光景は醗酵する。日本語で生まれた詩をたよりに、ふたたびセルビア語で詩を産みおとす、それからふたたび日本語に還る。それは限りのない旅の言葉〉(「痕跡――二〇〇四年」、『ベオグラード日誌』、書肆山田)

 北海道大学でロシア文学を学んだ後、1970年代の終わりに、山崎さんは旧ユーゴスラビアへの留学を決意します。「大きな国」の言葉ではなく、「小さな国」の小窓から世界を見たらどういう表情が眺められるだろうか……。ユーゴが生んだノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの大河小説『ドリナの橋』に心を奪われます。

 ところが、当時多民族からなるユニークな「モザイク国家」として非同盟諸国のリーダー的存在であったその国が、チトー大統領の死、冷戦の終結とともに民族間の対立を深め、1991年、激しい内戦に突入します。

 国はやがてセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニアの7ヵ国に分裂し、その過程で勃発したコソボ紛争(1996年~1999年)によって、セルビアのミロシェビッチ政権は国際的な非難の的となり、1999年、首都ベオグラードは、NATO軍による78日間の空爆にさらされます。

 この間、旧ユーゴスラビアの各地から多くの人々が戦火を逃れ、平和の地を求めて、故郷を離れます。そうした国内避難民が、いまなお各地の難民センターに居住しています。戦争の深い傷跡は人々の心から消え去るどころか、時間の経過とともに新たな問題となって浮かび上がっています。

 こうした過酷な試練のただ中にあって、詩を書き、詩を訳すことによって、自分はいかに支えられ、生きてこられたか。日本語とセルビア語の間を行き来しながら、受難の中にも希望を見失わずにこられたか。山崎さんは落ち着いた声で、淡々と語りました。澄んだ響きに、すがすがしさを感じたほどです。

〈静けさを両手に受けとめることが、今までにないほど、大切なときが、やってきた。 黒い岩肌を伝う水の音、山鳥の囀り、森を吹きわたる風、栗鼠の呼吸、月の運行、胡桃のように大粒な星の光、そして海、子供、男と女……。その言葉ひとつひとつに胸をひらくことが大切なときが、還ってきた。ますます精巧な武器や機械に人間が囲まれてしまった今、という時代だからこそ〉(前掲書「はじめに」)

 今年2月に読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞した『ベオグラード日誌』は、2001年から2012年までの日常を日記形式で綴った作品です。講演では、この作品を書こうと思った背景について、いくつか印象に残る言葉を聞くことができました。空襲警報のサイレンや爆音に怯えた日々の記憶、コソボなどから逃れてきたセルビア人避難民たちの支援に携わった経験が、ひとつの確信を生んでいました。

 欧米のメディアが創り出す大きな物語の前では、ひとりひとりの人間のささやかな真実は何ほどのものでもありません。記事化されて国際世論を動かすこともあり得ません。であればこそ、自分はその小さくて、かけがえのない出来事を記録に留めよう。戦争を背景にした時、人は何を感じ、何に喜びを見出し生きていくのか。書き留めておけば、いつかそれを読む人が現れるに違いない。自分はむしろこの素晴らしいテーマを与えられたのだ、戦争の中を生きている人たちの強さ、優しさに教えられているのだ、と。

 いくつかのエピソードが紹介されました。ひとつはコソボからの難民センターを訪れた時のこと。赤ちゃんのいる家族を訪ねたところ、部屋の片隅に揺り籠が置かれていました。逃げる日に何ひとつ持ち出せなかったけれど、先祖代々、家族に伝わる揺り籠だけは持ってきたのだ、と。「私も赤ちゃんの時、ここで眠ったのよ」と、わが子をあやしながら若い母親が語ったというのです。

 ある女性教師は、難民となって村を後にする時の心境を語りました。「私は大きな海の中のひと粒の涙になったみたいだった」。山崎さんは驚きます。それはまるで、谷川俊太郎さんの「黄金の魚」の詩句と同じではないか――。

「黄金の魚」

 おおきなさかなはおおきなくちで ちゅうくらいのさかなをたべ ちゅうくらいのさかなは ちいさなさかなをたべ ちいさなさかなは もっとちいさな さかなをたべ いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない

 山崎さんは思います。文学の言葉もまた、おそらくこうしてさまざまな人生を“いけにえ”としながら生まれてくるのかもしれない……。

 雪に埋もれたある難民センターを訪ねた時、詩のワークショップで谷川さんの「黒い王様」という詩のセルビア語訳を朗読すると、8歳の元気な男の子が言ったそうです。「僕は太陽の子供だ。だから、燃え尽きることがない。僕は、みんなをあたためる」。難民の子の何と力強い返歌だろう――。

 文学は別に高尚なものでも何でもなく、実は生活の中にこうして織り込まれている。そういう言葉を、自分は授けられている。小さな出来事の記録を続けていこうと思ったのは、そんな出会いが続いたからだというのです。

 ……その言葉が耳に残っていたからでした。出たばかりの『日韓併合期ベストエッセイ集』(鄭大均編、ちくま文庫)という本を手に取りました。日韓併合期というのは、1910年、日本が韓国(大韓帝国)を併合し、35年間におよぶ支配をした時代を指します。近年、韓国では「日本帝国主義が強制的に占領した時期」という意味で、「日帝強占期」と呼ぶそうです。創氏改名(日本が皇民化政策の一環として、朝鮮人の固有の姓名を日本風に改めさせようとした政策)に象徴される、日本の悪政、蛮行によって民族の誇りを踏みにじられ、国の富を収奪された時代という恨みがこめられています。

 この本はその時期にふたつの国の間を行き来した人々が、「海の向こうで見たり、感じたり、考えたりした」痕跡を、選りすぐりのエッセイの中にたどろうとしています。昨今のとげとげしい対立感情ばかりが強調される両国関係に一石を投じたい意図があるのは、言うまでもありません。

〈本書を読んでなにを感じ、考えるかは読者の自由だが、多くの読者が抱くのは、日韓併合期のこの時代が、今日私たちが考えるほど、良い時代でも悪い時代でもなかったのだという印象ではないだろうか。それでいいのだと思う。この時代についてよく語られるのは「搾取」や「収奪」といった暗い話だが、それはこの時代を構成する無数のお話の一部に過ぎないのであって、あたりまえの人間のあたりまえの日常が無視されている。本書はそういうあたりまえの日常を復権させる試みであると同時に、それ以上の鉱脈を見いだそうとするものでもある。私たちは、どのような時代やどのような社会に住んでいても、「良いひと」に出会い、「美しいもの」に出会うことができる。本書に収録されているいくつかの作品をとおして、あの時代には、今日の日本や韓国には失われた「良さ」や「美しさ」があったのだということに気づいてもよいのである〉(編者の序文より)

 全部で43編の作品は21人の筆者によって書かれています。内訳は日本人が16人であるのに対して、韓国人は5人。明らかに偏っています。というのも、在日韓国人1世には「文字を知らない」人たちが多かったため、話し言葉で自分史を語った人はいても、書き言葉で残した人は稀れだという事情があるからです。それにしても、この非対称性は残念です。

 難しい評論や小説ではなく、気軽なエッセイというジャンルの書きもので、その頃の日本人や朝鮮人の心情を探ろうという試みは貴重です。いまやほとんど忘れ去られ、顧みられることもないからです。実際、43編はどれも初めて読むもので、新鮮でした。

 夏目漱石の門下生だった安倍能成(よししげ)は、旧制第一高等学校の名校長として、また戦後は学習院の院長として名を馳せた人物ですが、欧州留学を終えた後、1926年から15年間、京城帝国大学教授として京城(現ソウル)に住んでいたとは知りませんでした。そして彼がこの町を実に精力的に歩き、ヨーロッパ、日本、韓国という「三角測量的な視点」で、これほど多くのエッセイを書き残していたことも――。

 この安倍によって愛惜されている浅川巧(たくみ)という人物も、まさに「こんな日本人がいたのか」と驚嘆させられる逸材です。林業技師として「朝鮮の山を青くする仕事」に情熱を傾ける一方で、朝鮮の陶磁器に並々ならぬ理解と愛情を注ぎます。彼自身のエッセイ(「金海」)は、まるで短編小説のような興趣に富む一編です。

 とはいえ、やはり興味深かったのは、韓国人の書き手による作品でした。『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫)の著者である任文桓(イム・ムナン)、北原白秋との親交を持ち、朝鮮の詩を日本に紹介した金素雲(キム・ソウン)、朝鮮焼肉を日本に広めたモランボンの全鎭植(チョン・ジンシク)らの回想はいずれも気概に溢れ、面白いエッセイです。

 金史良(キム・サリャン)。同人誌「文芸首都」に参加し、若くして芥川賞候補にも上った作家です。李孝石(イ・ヒョソク)。早逝の作家ですが、いまも彼の名前を冠した文学賞が韓国には存続しています。日本語で書かれた5編が収録されていますが、この人の端正な文章はもっと読みたいと思います。

〈樹木と相対すると、一つの霊と向い合っているような気がする。語らないけれども、一つの意志を伝えて来て、いつの間にか心が振れ合い、共感と同情が生れ安らかな静謐と平和の境地に浸るようになる。その上、樹という樹はすべて、如何なる人為的なものにもまさる、美しい形とみごとな風貌を具えている。凡そ自然の創造(つく)ったものの一つとして美しくないものはないが、樹木は中でも最も恵まれたものであろう。任意の樹の、どの枝、どの葉でもいい、一つとして、例えば人為的などんな美しいものよりも、劣ることは絶対にない。人が人に対する時ほど、疲れるものはない。人間の心理の去来は蜘蛛の巣のようにも錯綜していてお互こころのさぐり合いをしたり、智慧のくらべをしたりするうち、神経の疲れが来、感情の浪費を余儀なくされる。樹木に対する時はそれがない。心は清らかに澄み、只美感と共感が生れるばかりである。巷間の人間事に疲れた時帰るべき処は、樹木の世界よりほかはない〉(李孝石「樹木について」)

 山崎佳代子さんは、詩とは何か、と問われて「一番深い闇の中から発する幽かな光、それが詩」と答えています。李孝石の作品を読めば、日本語と朝鮮語のふたつの言葉の世界を行き来しながら、自由な精神でこれほどの日本語表現をなし遂げたことに驚きを禁じ得ません。

 人と人とをつなげる力。言葉に託された仕事の重さを感じます。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)