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 小熊英二さんが作った映画
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 8月27日、第14回小林秀雄賞の選考会が開かれ、小熊英二さんの『生きて帰っ
てきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書)が受賞作に決定しました。
選考委員による選評、小熊さんの「受賞のことば」、受賞作の抄録は10月3日発
売の「考える人」秋号に掲載されます。

 さて、選考会の翌日、京都まで出張したついでに、土日を利用して広島、愛媛に足を伸ばし、東京には30日の夜遅く戻ってきました。旅の間はほとんど外の情報には触れなかったので、帰宅してパソコンを開き、その日国会前で安保法案反対の大規模なデモが行われたことを初めて知りました。主催者側発表では参加者12万人、警察発表では3万3000人。9万人はどこへ行った? というような誤差はあるにせよ、雨の中、傘をさした大変な数の人たちが国会前に溢れていました。YouTubeに上げられた映像をしばらく見ながら、いろいろなことを考えました。

 偶然と言うべきか、8月19日に小熊英二さんが企画・製作・監督などを務め、総勢2名(!)で作り上げた「首相官邸の前で」という映画の試写を見ていました。2011年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第一原発事故によって引き起こされた脱原発デモが、次第に多くの人々を巻き込み、2012年夏には首相官邸前に20万人が結集するという最大規模の抗議行動に発展します。大手メディアではほとんど取り上げられなかったこの運動の実態を、インターネット上で探し求めた自主撮影映像と、デモ参加者など8人の証言によって構成し、ひとつの立体的な記録にまとめ上げたのがこの作品です。

 同時代史と新たな政治文化への好奇心から見に行きましたが、迫力ある現場映像に引きつけられ、「反原発」という政治メッセージとはまた別に、デモに参加した人たちの生の表情、語り口、映像に写し取られたデモを取り巻く周辺の様子など、“文学的”な関心からも強い感銘を受けました。

 おそらく見る人によって感想はさまざまでしょうが、多様な見方が可能だとすれば、それはすなわち作品の成功だと思います。小熊さんは歴史社会学が本業の学者で、映画制作は初挑戦とか。とはいえ、見ていて何の違和感も抱きませんでした。これまでの代表的な著作が、そもそも雑多な史料、文献、証言などを収集・吟味・構成して、ひとつの世界観を提示する仕事だったからです。加えて、見ている私自身も編集者であり、こうした映画の作りには親近感を覚えたからに他なりません。

 映画の紹介や論評はこれからいろいろ出てくるはずですので、印象に残ったいくつかの点について、アト・ランダムに綴りたいと思います。まず最初に登場する2011年4月10日の、高円寺での大規模デモについてです。なぜ発端が高円寺なのだろう? と意表を突かれるところもありましたが、ここにはいまの日本人が「声を上げる」ための新しいスタイルの萌芽がはっきり見て取れます。

 荷台にバンドやDJを乗せたサウンドカーが隊列を先導しています。正直に言って驚きました。2011年のあの当時は、コンサートなど軒並みイベントが中止となり、花見も自粛ムードだったはず。節電と迫りくる放射能の恐怖で、連日、息苦しい状況が続いていた頃です。

 そこに、いきなりドラム隊が出現し、ドラムを叩いて練り歩きます。政治デモというよりもパレードのように、カーニバルのように、見方によってはチンドン屋のように、しかも「原発やめろ」の声を上げる着想の新鮮さとエネルギー。組織的な動員の革新系や市民団体のデモにおなじみのシュプレヒコールとプラカード、時折腕を上げてぞろぞろ歩く定番をあっさり覆しているのが痛快です。服装もカラフルなら、プラカードも個性的。ラップ調の語りとドラムの音がデモのリズムを刻みます。

 初めてデモに参加しているふうの若者の姿も目立ちます。自粛、自粛の掛け声に息をひそめていたせいでしょう。「原発やめろ」を大声で叫んでいるのに、楽しそう――そんな解放感が伝わります。主催者は500人の申請をしていたそうですが、実際は若者を中心に1万5000人が集まったとか。

 リーダーはいない、参加は自由。音楽的で、スタイリッシュな点が重視され、とんがった発言などが受けていた、というあたりは、まさに祝祭感覚といえるでしょう。おそらく体制側にも、良識派にも、「不謹慎」と眉を顰(ひそ)められそうなところにこそ彼らの起爆力がひそんでいます。ふと連想したのは、サッカーのサポーター。きっとゴミ袋も持参では、と想像したら、どうやら当たっていたようです。

 さて、こうして広まったデモの渦が、やがて官邸前の抗議行動に転じたのは、2012年3月29日です。この日集まったのは約300人。以後、毎週金曜日の午後6時から8時まで、定期的な集会が永田町の“風物詩”となりました。車道ではなく、歩道の上でスピーチをしたり、声を上げるのですから、デモとは違います。従来の左翼運動とは異なって、現場の警察官とも友好的です。デモの主催者たちはクールな市民感覚の持ち主でもあり、無用な混乱は回避しようと努めます。また警察官のほうも福島や被災地に動員されて、心情的にはデモの理解者だったという証言もありました。少なくとも、脱原発が広範な支持を得ている印象は、取り締まる側にも伝わっていたように思われます。

 抗議行動の最高潮は、福井県の大飯原発3・4号機の再稼働が決定した直後の2012年6月29日に訪れます。主催者側発表で約20万人が参集します。さすがに車道にも人が溢れ、空撮映像には興奮気味の実況の声がかぶります。それでもかつてのような投石が始まるわけでなし、警官隊と衝突するわけでもなく、秩序だって行動し、午後8時には解散して、「また来週」と言って帰って行く。この日常感覚にこの集まりの持続力、したたかな粘りを感じます。

 さらに7月31日には、国会内で脱原発派の超党派議員団と「首都圏反原発連合(小さな13のグループが集まってできた抗議行動のネットワーク)」の対話テーブルが実現します。ここで反原発連合が野田佳彦首相(当時)との面談を、菅直人前首相に申し入れます。8月22日、異例中の異例の出来事が現実のものとなりました。インターネット同時中継の諒解をも取り付けて、野田首相との会談(直談判)が約30分、行われたのです。

 いまでもYouTubeでノーカット版を見ることが可能です。映画の中にも登場する小田マサノリさんが、総理に語りかける場面は圧巻です。

「毎週金曜日にこの建物のまわりでドラムを叩いている者のひとりです。これまでに野田首相の選挙区である千葉4区でも2回デモを行い、ドラムを叩きました。ドラムを叩くのは首相の耳にもしかすると再稼働に反対する声が聞こえてないのではないか、だからその声をもっと大きくするため、もっと強くするために叩いています。 それはともかく、僕は原発は止まると思っています。もともと必要のなかったものだから止まると思います。そして、それも時間の問題だと思っています。で、どうしてそう思うかというと、この国は長い間、社会運動やデモに対する嫌悪感やそれを疎ましく思う風潮がありました。それが大きくいま変わろうとしています。これまでデモに参加しなかった人たちがデモに参加している。それだけじゃありません。金曜日になるとここに10万人規模の人たちが集まり、同じ時刻に全国でいろんな所でこういう行動が続いています。で、いまこの国は大きく変わろうとしています。それを考えると止まらないはずがないと思うんですね。 時間がないので、きょうは本当に言いたいことだけをこれから言わせていただきます。今年の初めに野田首相は、『ネバー、ネバー、ネバー、ネバー・ギブ・アップ』とおっしゃいました。『決して、決して、決して、決してあきらめない』と。きょうはこちらからこの言葉をそっくり野田首相に申し上げたいと思います。私たちは決して、決して、決して、決してあきらめません。原発が止まるまであきらめません。あきらめないだけではありません。3月11日に起こったあの事故とそれによって失われたもの。それを絶対に、決して忘れない。そして、だから原発を絶対に、決して許さない。そして政府が原発を止めますと子どもにでも分かるようなはっきりとした言い方で言わない限り、ぼくらはこの抗議を決して止めないです。きょうはこのことをお伝えしに来ました。以上です」

「本来議員と話すなんて、アナーキストの風上にも置けないようなことです」と映画で笑みを浮かべた氏は、「よく言った、と父が誉めてくれた」とも。

 年齢も性別も、仕事も境遇も、また国籍も異なる8人の証言者たちは、デモや抗議集会の現場などで、小熊さんが直接交渉して出演協力を求めたといいます。ショップ販売員の女性は「あんな原発事故があったのに、誰も抗議もしない国ということになっちゃうのかなと思って」とデモに参加した理由を述べ、日本に長年住むオランダ人女性は、「日本で大切なのは、意見を自分や身内の中に隠して、波風が立つ話題を避けること」と語りました。

 思想信条も背景もおそらくはバラバラの人たちが、唯一共通する危機感につながれて、この時、ひとつの場に集まりました。その事実を映画は伝えます。

 それにしても、先述したように日本人の中に受け継がれる秩序感覚は独特です。震災直後の東北の被災者についても言われましたが、我慢強く、律儀で勤勉で誠実です。毎週金曜日の午後6時~8時の時間を厳守して、抗議集会を整然と運営し、ゴミを自主的に片付けて、整理、整頓、清潔がアクティヴィズムの中にも血肉化しています。

 そうした発見をするだけでも、非常に面白い映画です。一方、これだけ運動が盛り上がっていたにもかかわらず、大手メディアはなぜ「黙殺」していたのか、そういう疑問も湧くでしょう。国会記者会館を取り囲んだ人垣をかき分けるようにして、「取材先(この場合は官邸か議員会館か)」に向かう記者にとって、抗議集会はどのように映っていたのか? ニュースの対象ではなかったのか? いくつも考える素材を投げかけます。

 証言者の女性たちは語っています。「マイクを持って話すことなんてなかった。強くなった」、「かつて声をあげるのはタブーだった。いまはまったくOK。そういう日本人を誇りに思う」、「微力は無力じゃないってことを実感しました」――。

 普段は試写のアンケートに記入することもない私ですが、めずらしく感想を書きました。「この出来事を記録しておかなければ、と考えた理由がよく伝わってきた。鮮やかな編集、パワフルな映像に感銘を受けた。人に薦めたい」と。いまも、その気持ちは変わりません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)