【考える本棚】
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 岩城けい『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)
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 エトランジェ(異邦人)の文学
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 中東やアフリカからヨーロッパに押し寄せる大量の難民や移民の問題が、この夏以降、世界を揺さぶっています。今年2月にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のマイケル・リンデンバウアー駐日代表にお会いした際に、「いま世界には難民や国内避難民として移動を強いられた人が5000万人以上います。これは第2次世界大戦以降、最悪の数字です。各国政府や民間からの寄付も増えてはいますが、危機の拡大に追いつかないのが実情です」という話を聞きました。危機の様相は、深刻化する一途です。

 とりわけ多いのがシリアからの難民で、国民の約半分、1100万人以上が国内外へ避難していると言われます。シリアの情勢が悪化して難民問題が浮上したのは、2011年のこと。東日本大震災とほぼ同時期でした。

 そんなことを考えている時に、ふと思い出したのが本書です。太宰治賞を受賞し、2年前に単行本化されました。その後、第8回で終了した大江健三郎賞の掉尾(ちょうび)を飾る受賞作にも選ばれました。いつの間にか“積ん読”の山の下に埋もれていたのを掘り出して、さっそく読みました。

 期待にたがわず、非常に面白い小説です。アフリカから「追い立てられるようにして」オーストラリアへやって来た難民の黒人女性サリマ。夫の言うまま、右も左も分からない、言葉もまったく通じない世界に投げ出されたわけですが、必死に生き抜こうと格闘します。冒頭から、その彼女の日常が描写されます。これが力強く、いきなり作品の世界に引きずりこまれます。

〈サリマの仕事は夜が明けきらないうちから始まり、昼近くに帰宅した。家につくと洋服をむしり取って裸になり、すぐにシャワーを浴びた。この習慣は仕事を始めてからついてしまったもので、昼のさなかからたっぷりとお湯をつかってからだを洗うなんて贅沢を覚えた自分に腹を立てた。 シャワーの中で彼女はよく泣いた〉

 午前3時前、霜柱を踏みつぶしながら職場に向かうサリマを、誰か見送ってくれるのかい、と尋ねられた彼女は、答えます。

〈「お月さま、霧」 「そうかい。ひとりじゃないんだね。よかった」 ……はりつめた気持ちが和んで、サリマはいま一度、赤い肉にナイフを滑らせた。こんなにやさしい言葉をかけられたのは生まれて初めてだった〉 

 彼女は肉や魚など食肉加工の仕事をしています。半年で夫が投げ出した過酷な職場です。その夫は、ひと言も言い残すことなく、姿をくらましました。2人の男の子を抱え、頼りになる親戚も友人もいない異国で、言葉の不自由さに追い詰められながら、難民として生きるとはどういうことか。サリマの不安な表情に寄り添った冒頭の12ページで、心がわしづかみにされます。

 ところが、その直後に、「ジョーンズ先生」という英語教師に宛てた手紙が登場します。それを書いているのは、サリマが通い始めた英語クラスで出会った日本女性のサユリらしいことが、次第に判明してきます。サユリは日本で大学院の修士課程まで進みましたが、言語学の研究者である夫について、オーストラリアに渡ってきました。満足な教育を祖国でも受けてこなかったサリマと、「ジョーンズ先生」に英語のクリエイティブ・ライティング(創作)を勧められているサユリとが、職業訓練学校のESLの教室でクラスメイトになります。こんな状況設定は、移民国家オーストラリアの田舎町だからこそ起こり得る話です。

 その二人がぎこちないながら、次第に距離を縮めていきます。そして、二人の物語が並行しながら展開していく作品全体のちょうど半ばあたりで、ひとつのハイライト・シーンが訪れます。下の息子が通っている小学校で、子どもたちに「お国のことを話してもらえないか」というゲストスピーカーの依頼がサリマにもたらされます。「多文化のわが国」という授業の一環だというのです。

〈断る理由なんか見つからなかった。サリマ自身にとっても祖国なんてあるようでないような幻の存在になってしまって、故郷について息子たちには、とくに幼かった下の息子には多くを語ることはなかった。どんなに言葉を尽くしても彼らに自分たちの故郷を授けることはできないと信じて疑わなかった。しかし、このときなぜだかこれはやらなければいけない、まだ幼さが残る下の息子にはこれだけは聞かせて手放さなければならないという思いが……こみあげてきた〉

 本番まで2週間。サユリとESLの英語教師がその下準備を手伝います。サリマは短い作文を書きました。

 そして当日。ひとつ大きく息を吸ってから、サリマは作文を読み上げ始めます。

〈私の家は砂のうえにあった。お父さんとお母さんと弟がふたりいた。 朝、おひさまがのぼるとおひさまといっしょに学校にでかけた。 大きな木のしたで、砂に指で字をかいた。……

 もう学校にいかなくてもいいといわれてからは、はたけを手伝った。 もうすぐ食べられるよというときに、火だらけになった。火のたまが体のまえにも右にも左にも上にも下にも後ろにもふってきた。私はにげた。大きい弟のてをひいて、小さい弟をだいて走った。走った。 あとからお母さんが追いかけてきた。お父さんは追いかけてこなかった。 はたけはどうなったのかと思った。

 おとなになって、けっこんした。 すぐに男の子がうまれていそがしくしていたら、またさわがしくなった。 だんなさんがにげた。私もにげた。赤ん坊をだいて。 きたならしい毛布のうえで、男の子がもうひとりうまれた。 この子はきっと長くは生きられないだろうとみんな言った。 だから、大きな島にきた。……〉

 サリマが読み終えると、子どもたちはしずまりかえったままでした。「本当にびっくりしたり感動したりするとき、子供というのは表現の術を失い無口になること」を教師は体験的に知っています。息子は放心したような表情を浮かべていました。

 サユリもこの作文に衝撃を受けました。ジョーンズ先生に宛てた手紙の中で、それを告白しています。

〈正直に言わせてもらえば、完成品そのものは、おそろしく稚拙でした。でも、先生、私はあれほど読む人に迫る強烈な文章を読んだことがありません。技術に頼らず、こんなに大きな声が出せるのかと目が覚める思いでした。なんだか、胸がざわめき、いても立ってもいられない気分にさせるのです。この人はひょっとしたらすごい人かもしれないと痺れたようになって、思わず彼女の顔を振り返ったのですがそこにあったのは見慣れた友人の顔でした〉

 サユリはその前に1歳になったばかりのわが子を失うという不幸に見舞われていました。その悲しみから立ち直り、やがて新たな生命を授かって、一歩ずつ再生の道を踏みしめていく途上にこの出来事がありました。苦難を経て、新たな土地でひたすら生きようとしているサリマはひとつの啓示でした。生き方において、そして「書く」ことの本質を照らし出したという意味において――。

 サユリは、「自分が本来すべきこと――すなわち、自分の行くべきところへ行き、そして、自分のしなければならないことをするべきだ」と気づきます。自分は何があっても「書くという悪魔に魂を売り」、「私の大切な友達のことを書こう、書かなければならない」と決意するのです。友達とはサリマのことであり、その作品はジョーンズ先生と約束した英語で、ではなく、母語である日本語で書く他ないと悟るのです。

 ここで、この小説の仕掛けが明らかになります。二人いると見えた主人公のひとりであるサリマの物語は、実はサユリの書いた作品であり、「ジョーンズ先生」に宛てて明かされるサユリの内面のドラマと入れ子構造になっているというわけです。そしてこの作品は、日本語という母語なしには生きていくことができない、というコトバの「牢獄」を発見するまでのサユリの(そしておそらくは作者の)苦闘の物語なのです。サユリは新たな決意を表明します。

〈先生。いまから私がここに書くことは、英語という私にとっての第二言語から学んだこと、英語で書くことによって、徹底的に壊し、作り直し、新たに躾なおした思考と行為を決して無駄にはしない、つまり先生への感謝の言葉だと思って受け取って下さい。私が「先生」と呼びかけるのは、ジョーンズ先生だけなのですから。実は、あのあと部屋に入るなり、いてもたってもおられず数行の出だしを書いてみました。ところが、英語にならないのです。日本語にしかならないのです。先生、私は自分の言葉で書くのがこわい。心理的に正直に書くことが恐ろしくてたまらないのです。私はいままで、そういった人の心の奥底にある感情の沼を恐れるあまり、真摯に受け止めることができず、表面だけを器用にとりつくろうことしかできない無器用な言葉、第二言語である英語を隠れ蓑にして綴ってきました。それが今回はできそうにありません。してはいけない気がするのです〉

 つまり、自分にとってもっとも痛切なテーマを書くためには、自分が「祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの」――母語である日本語をおいて他にないという告白です。「自分の言葉で書くのがこわい」と立ちすくんでいた心の壁を打ち壊してでも、この道に踏み出さなければならない、と決意するところに、この小説が書かれなければならなかった動機はあります。

 その意味で、作品のディテールとして非常に興味深かったのが、2ヵ所に挿入された英文の通知状です。最初は愛児を失った際の報告、次は第2子が誕生したことを周囲の人たちに知らせたものです。この2つの通知状だけが英語で書かれています。淡々とした事務的な報告ですが、読んで不思議な感覚に襲われます。個人的な悲しみ、喜びに触れる言葉はなく、型通りの破綻のない通知です。

 ふと連想したのは、芸能プロダクションなどが時折発表する、所属タレントの結婚、離婚などのマスコミ向けリリースです。丁寧な言い回しで過不足はありませんが、「取りつく島のない」素っ気なさ、スキを見せないような警戒心、よそゆきの妙に身構えた緊張感などが共通しています。おそらく英語圏で暮しているサユリが、外界に対してなかなか折り合えない、心のぎこちなさがなせる業なのでしょう。

 サユリにとって、英語も、ダイガクでの学問も、自分が身にまとう服としては、よそよそしさが抜けきれません。といって、日本語を選び取れば、自分の「心の奥底にある感情の沼」を直視しなくてはなりません。「隠れ蓑」はもう許されません。「ジョーンズ先生、私にとって母語とは、日本語とは、そういうものなのです」という一行に向けて、この作品は書かれています。

 このまっすぐで切実な問いかけを前にすると、子どもならずとも、口をつぐんで厳粛にならざるを得ません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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