梅棹忠夫は「ひと言」で捉えにくいスケールの持ち主ですが、私にとってはまず文章の人でした。
 中学生の時に読んだ『モゴール族探検記』が最初の出会いなのですが、何といっても強烈な衝撃を受けたのは、大学時代に『文明の生態史観』を手にした時です。「戦後思潮にとってコペルニクス的転換をひき起こした」(粕谷一希)といわれる斬新な内容にも驚かされましたが、魅了されたのはその文体でした。まず書き出しはこうです。
〈トインビーというひとがやってきた。歴史家として、たいへんえらいひとだということだ。その著書は、いくつか翻訳がでているので、わたしも、そのうちのふたつをよんだ。『歴史の研究』簡約版と、『試練に立つ文明』とである。ふたつとも、じつにおもしろかった。これは偉大な学説だとおもった。
 しかし、それですっかり得心がいったというわけではない。わたしもわたしなりに、ひとつのかんがえをもっていたが、それがトインビー氏の説で、すっかりうちこわされはしなかった。わたしは、トインビー説に感心はしたけれど、改宗はしなかった〉
 実に平明で、誰にでも分かる文章です。歯切れが良くてパンチがあって、颯爽としています。これは一九五七(昭和三二)年の「中央公論」二月号の巻頭を飾った記念碑的論文ですが、総合雑誌の(とくに学者の手になる)論文というのはもってまわったような悪文が横行し、“難解さ”を売り物にしているのではないかというのが定評でした。梅棹の文章は、その対極でした。明快であり、かつトインビー先生なにするものぞという気概と自信に溢れています。アカデミズムの権威を楯にするのではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で堂々と真っ向勝負を挑む、実に爽快な印象があります。
 これに似た読後感を味わった作品といえば、江藤淳の『夏目漱石』が近いかもしれません。共通しているのは、滑走路を飛び立つときの思い切りの良さ、度胸だと思います。一般的に、学問や研究には地道な努力の積み重ねが必要です。私自身は苦手なのですが、そういう根気のいる勉強をいかにも愉しげに、天職のように続けておられる碩学にお会いする度に感銘を覚えます。その一方で、ただ「飛び立つタイミング」がつかめなくて、滑走路をいつまでも走っているだけのような飛行機を見ることもしばしばです。
 梅棹、江藤という人たちが際立つのは、その離陸の鮮やかさです。まばゆいばかりの直観力です。このふたりに相違点があるとすれば、江藤さんが二三歳で『夏目漱石』を書いたのに対し、梅棹さんは若い論壇デビューとはいっても三六歳です。年の功もあったのでしょうが、これほど挑戦的な内容であるにもかかわらず、気負いが一切なくて、とてもカジュアルな感じです。京都人気質に由来するところがあるかもしれません。
 唖然とするのは、「最後に、すこし裏話を」と断った後の文章です。論考をまとめるにあたっていろいろ教示を得た人たちの名前を列挙したのに続けて、
〈わたしが、西ヨーロッパおよび東ヨーロッパを実地にみていないことが、いまのおおきな弱点だ。できるだけはやい機会に、いってみたいとねがっている〉
 エッ、ヨーロッパに行かないでこれを書いたわけですか!?
 たまげたとしか言いようがありませんでした。しかし、この自由さ、のびやかさ、明るさ、軽やかさ――何とも魅力的ではないでしょうか。
 梅棹さんは、昨年七月三日に九〇歳で亡くなられました。新聞各紙は「知の巨人」「知の探検家」の死去を大きく報じ、「朝日新聞」の「天声人語」は「『知のデパート』の静かなる閉店」と書きました。足跡を辿り、業績を総合的にとらえようとすれば、そういう表現に集約されるのもよく分かります。
 しかし、梅棹忠夫の一番の魅力はと聞かれれば、それはつねに多くの人々を驚かせ、刺激し、勇気づけ、鼓舞し、そして時代を力強くリードした、知の躍動感だと思っています。その生き生きとした魅力を、いまの時代だからこそもう一度見つめ直したい。そう考えて取り組んだ今回の企画は、実に九〇ページの大特集となりました。
 編集にあたり、夫人の梅棹淳子さん、ならびに梅棹資料室の三原喜久子さん、明星恭子さんには格別のご協力をいただきました。また「ウメサオタダオ展」実行委員長の小長谷有紀さんはじめ国立民族学博物館の皆様にも厚く御礼申し上げます。