『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)などの著書を持ち、世界のジョークに詳しい名越健郎さんが、最近の秀作を紹介していました(『東京人』四月号)。
 まずは金融危機に陥ったイタリアの経営者が労働者に通告します。「今年の給与は五〇パーセントアップになる」「昨年比ですか?」「来年比だ」
 同じく経済危機の厳しいギリシャのお役所では――。「局長はいるかね」「昼から出勤です」「午前中は働かないのか?」「いいえ。午前中は自宅で休み、働かないのは午後です」
 政治ジョークは近年、世界的に花盛りです。しかし何といっても、社会主義体制下にあった旧ソ連時代のアネクドート(小話)は傑作揃いでした。権力者や硬直化した組織を笑い飛ばし、社会の矛盾や抑圧を醒めた目で揶揄しているロシア人のしたたかさ、逞しさにはいつも感嘆させられました。
 ひるがえって日本はどうでしょうか。政治ジョークになりそうな種は尽きませんが、そういう方向に情熱が向かうというよりは、もっと違うところで笑いが多種多様に楽しまれている感じです。「武士は生涯に三度しか笑わぬ」と言われていた時代はいざ知らず、「日本人はどちらかと謂うと、よく笑う民族である」(柳田国男)とされてきたように、「ことばの笑い」ひとつをとっても、川柳や狂歌、駄洒落にパロディーなど、一見どうでもいいような(それでいて非常に知的なこと)に、大勢の人たちが必死で知恵を絞っています。面白い国民性だと思います。
 さすがに東日本大震災の直後は、しばらく笑いが忘れ去られたような時期がありましたが、しばらくすると原子力発電所の事故をもじって、「『安全?』っていうと、『安全』っていう。こだまでしょうか。いいえ、枝野(官房長官・当時)です」という金子みすゞの詩のパロディーがインターネットから広まりました。笑いによって現実認識をずらすことで、心の安定を図ろうとする集団心理が働いたような気がしました。
 私たちの生にとって、笑いが不可欠の存在であることは言うまでもありません。古今東西、文化の違いこそありますが、人は笑いとともに生きてきました。笑いは基本的に人と人との摩擦を和らげ、社会をなめらかに動かすコミュニケーション・ツールです。さらに生理現象としての笑いは身体の血行を良くし、NK細胞の活性化で免疫力を高めるなどの効用も指摘されているところです。笑う門には福も、健康もやってくるというわけです。
 現代社会はコンピュータが時空の壁をすっかり取り払い、生活のあらゆる隙間を埋めつくしてしまいました。二十四時間絶えず情報に追い回されていて、ストレスの多い世の中です。だから、ほんの一瞬でもいいから疲れた脳細胞に空気を送り込み、わずかな安堵と充足を得たいというのは、笑いを求める私たちのかなり切実な欲求だと思われます。
 今回の特集「笑いの達人」では、南伸坊さんが養老孟司さんになりきった表紙(そして「考える本人」のグラビア)に始まり、笑いを楽しむ人、笑いをきわめるプロたちによる、さまざまな笑いのメニューを取り上げました。笑いというのは、論じようとすればするほど本質がスルリと滑り落ちてしまうような、実に厄介な相手です。生真面目に、しかつめらしく論じるというよりは、くだけた話を楽しみながら、いまの時代の笑いの諸相を感じ取ることができればと考えました。
 聞くところによると、札幌の某大忘年会は、最後に手拍子ならぬ豪快な笑いの三本締めでお開きにするのが恒例だといいます。特に笑い方の指導があるわけではないそうですが、狂言師の茂山千三郎さんによれば、狂言で笑う時の基本は口を大きく開けた「ハ」の字だとか。
「単純な『ハッハッハッハッ』でいいんですよ。……とにかく口を開けて豪快に『ハ』を出していると、いつの間にか反射的に笑ってしまう。『ハッ』で怒れと言われても怒れない。『ハッ』は、笑うしかないんです」
 不思議なもので、少しもおかしくなくても、こうして楽しげに笑っているうちに、気分が晴れやかになり、身体から元気が湧いてくるような気がします。春の季語に「山笑う」という表現があるように、笑いというものには自然に気持ちを綻ばせて、気分を明るくする力があります。「笑いの不思議」を考えながら、気分が浄化され、心にゆとりが生まれる一助となれば幸いです。