それぞれ心に傷を持った四人の少年が、行方不明になった同い年の少年の死体を探しに「冒険の旅」に出ます。初めて自分たちの生まれ育ったホーム・タウンを離れ、まだ訪れたことのない未知の領域へと足を踏み入れる――というのが映画「スタンド・バイ・ミー」です(原作はスティーブン・キングの“The Body”)。毎年、夏になると日本のテレビ局はこれを決まって放送しているような印象がありますが、思春期を迎えた悪ガキ仲間の姿には、どこかしら懐かしさ、ほろ苦さが感じられて、思わず見入ってしまいます。
 それが何処なのか聞いたこともない遠い所から、同じ小学校に通ってくる生徒が何人かいました。少し親しくなった時に、その子の家まで歩いて行くのが「冒険」でした。ただ、芥川龍之介の「トロッコ」を初めて読んだ時に、はげしく反応する自分に驚いた思い出があります。おそらく主人公と同じく、泣きたくなるような心細さを過去に体験していたのでしょう。日暮れて遠くまで来過ぎたことの不安や恐怖をわがことのように思い出したからでしょう。そんなことがあったにもかかわらず、知らない道の先を探求に出かけることは小さい頃の楽しみでした。

 やがて大学生になってから、目的地まで「歩いて行こう」ともちかけた提案を、友人が「かったるい」と言って却下した時には、びっくりしました。まったくそういう発想がなかったので、意表を衝かれたというか、訳が分からなかった、というのが真相です。
 今回の特集の中で、管啓次郎さんのエッセイに「心に残る歩行」というひと言が出てきます。最近、そういう経験が乏しいだけに、この言葉はまさしく心に残りました。
 歩くというのは、日常的にはほとんど無自覚の動作ですが、意識的に行えば私たちの感覚を研ぎ澄まし、いろいろな発見に導いてくれます。たまに町を「歩こう」と思って歩いてみると、ふとしたことから意外な記憶が掘り起こされたり、連想が思わぬ方向に広がったり、その時の体調や頭に抱えた関心事にしたがって風景がまるで異なって映ります。感覚の働きや思考のリズムが活性化されるのを感じます。
 A点からB点への単純な移動だけが目的であれば、そんな労力を費やすのは「かったるい」ことかもしれません。しかし、歩くこと自体は、遠い昔にヒトが二本足で立った頃の原初的な知覚を呼び覚ましながら、周囲に広がる世界を感受し、自らの内面を解放していく創造的な行為ではないかと思うのです。

 今回の特集は、この何の変哲もない日常動作をめぐって、それが長い歴史の中で人間にもたらしてきた恩恵、それによって私たちが獲得した表現や思考の世界を、身近な営みの中に探ってみました。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんと角幡唯介さん。世代も離れていて、作風もまったく異なる二人ですが、ともに自分の足で歩き、そこで出会う風景を読み、思考し、自らの内面の変化を表現する(書く)ことに結実させようとしてきました。そしてこの先も変わらない共通項として語られたのが、「歩き続ける」ことへのお互いの意志と夢でした。
 初のロングインタビューを受けてくださった梨木香歩さんには、「移動」という観点からお話を伺いました。聞き手の湯川豊さんが冒頭で、「移動」は実際の旅に結びつくこともあれば、それだけでなく、何かを探求する精神や視線が生き生きと動いていく意味を含んでいます、と問いを投げかけています。梨木さんの物語の世界をつないでいる謎の輪郭が次第に浮かび上がってくるのが感動的です。
 池澤夏樹さんの小説の中核にも「移動」へのただならぬ思いがある、と湯川さんは指摘しています。
「移動し、知らない場所へ行き、人と世界の新しい関係を発見すること。それが人間の心身に刷り込まれた記憶、遺伝子に仕組まれていると(池澤氏は)考えているのだ。その記憶の中に人間の過去があったし、そこは過去が現在に結びついている場所でもある」
 文学、芸術、思想、信仰――「歩くこと」が広げてくれた成果を携えて、私たちはいまある所から、さらに前に向かって歩を進めます。歩くことは、いまなお私たちが道を切り拓いていく「転機」をもたらします。