日本人はスピーチ下手だと言われてきました。人前で話すとなると絶叫型の選挙演説か、官僚作文の棒読みか、でなければ場をわきまえない一人よがりのおしゃべりか……。反面教師に不足はないが、なかなかいいお手本に出会わないというのが実情でした(中には自分は得意だと思い込んでいるトンチンカンな人もいるにはいますが)。
 ところが、意外な潜在力を見せつけたのが、五輪招致を引き寄せた先日のブエノスアイレスでの東京招致委員会メンバーの最終プレゼンテーションです。自分の立ち位置をしっかりと見定め、話の目標を明確に把握し、他者の存在をきちんと意識できれば、語りかける言葉は磨かれます。つまり、「スピーチ下手」の原因だったのは、日本人の資質ではなく、生ぬるいスピーチ文化のほうでした。身の引き締まるような厳しい舞台に立てば、“戦略”を考えないわけにはいきません。目の前の人々とひとつの「精神共同体」を作りたいと心から願えば、出てくる言葉は厳選されます。
 話は変わりますが、二十年ほど前のことです。米国のある議会スタッフと雑談していた折に、「なぜいまの仕事を?」と何げなく尋ねると、たちどころに答えが返ってきました。ケネディ大統領の就任演説を聞いてワシントンへやってきた人間は、当時、自分以外にもたくさんいたのだ、と。「国家があなたのために何ができるのかを問うのではなく、あなたが国家のために何ができるのかを問うてほしい」という、あの有名なスピーチです。
 言葉は時として、人の生き方を、いや世の中を変える力を持ちます。私たちも一生のうちに何度かは、集団の中の一人として、誰かの言葉を真剣に待ち受けるような場面に遭遇します。語り手の表情を注視し、その肉声に耳をそばだてる特別な瞬間――。3・11の直後もそうでした。あるいは、会社が危機に見舞われた時に経営者がどういうひと言を発するか。それによって、社員の気持ちは大きく左右されます。人の心を奮い立たせ、生きる力と勇気を与える言葉もあれば、その機会をみすみすフイにするケースもあるのです。
 そして、私たち自身がそうした言葉を求められる場面が、いつどこで、これから起きないとは限りません。多様な価値観を持った人たちに向かって、自らの考えを正しく伝え、共感の輪を広げなければならないのが、いまの時代だからです。
 今号では、「人を動かすスピーチ」の魅力と秘密について特集しました。古今東西にわたる名スピーチの考察から、最近話題のTEDトークにいたるまで、さまざまな切り口で考えました。心からの、惜しみない拍手に迎えられる名スピーチが、ひとつでも多く、私たちのまわりから生まれることを祈りながら――。

 第十二回小林秀雄賞は山口晃さんの『ヘンな日本美術史』に決定しました。油絵に大和絵の技法を取り入れ、現代と過去・未来、現実と虚構、和と洋の要素などが混ざり合った独特の作風で知られる気鋭画家が、初めて先達と切り結んだ日本画論です。
 昨年の小林賞受賞作は小澤征爾さん、村上春樹さんの『小澤征爾さんと、音楽について話をする』でした。すでに伝えられている通り、ながらく病気療養中だった小澤さんが、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で本格的な復帰を遂げました。九月六日夜には、ジャズピアニストの大西順子さんをソリストに迎えて、ガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」を共演し、聴衆を大いに沸かせました。
 実はこの夢の共演企画は、昨年秋に引退を表明した大西さんの最後のライブを、「厚木の小さなジャズクラブ」まで小澤さんが聞きに行ったところから始まりました。そのきっかけを作り、厚木まで小澤さんを案内したのは、村上春樹さんでした。
 厚木から松本にいたる「長い道のり」と「夢のような展開」を村上さんが熱く語ります。コンサートを聞き逃した方はもちろん、当夜の“至福のひと時”をもう一度味わいたいという方も、音楽への祝福にみちたこのエッセイを是非お読みいただきたいと思います。

 今号で山折哲雄さんの「柳田国男、今いずこ」、今福龍太さんの「琥珀のアーカイヴ」、そして「東北巡礼」の連載が完結しました。代わって四方田犬彦さんの「母の母、その彼方に」、志村洋子さんの「日本の色と言葉」の新連載が始まります。どうぞご期待下さい。