前号に続いてユニクロレポートで、大阪市鶴見区にオープンする「TSURUMIこどもホスピス」を紹介しています。難病を抱えた子どもやその家族がリラックスして過ごせるコミュニティ型施設を日本にも誕生させようという試みで、そのモデルケースともなった英国の「子どもホスピス」を高橋源一郎さんが訪ねていることを知りました。
 高橋さんはお子さんが急性小脳炎で病院に運ばれ、医師から宣告された経験があります。
「お子さんは、たいへん重篤な状態です。これから、治療を開始しますが、このまま亡くなる可能性が三分の一、助かったとして重度の障害が残る可能性が三分の一だと考えてください」――。
 その晩、混乱する頭であらゆる可能性を考えました。そして、到達した結論は、いたってシンプルなものでした。何が起ころうともこの子を支えて生きることは、他の誰でもなく、自分たち親に捧げられた仕事である。それは自分たちにしかできない、喜ばしい仕事ではないか――。
 幸い、お子さんは奇跡的に回復しますが、高橋さんは自分の中に芽生えた、その不思議な「喜び」の謎を確かめたいと思います。そして訪ねた先が英国で、その探訪記をたまたま読んだ私は、文字通り、目からウロコが落ちる思いを味わいます。
〈彼ら「弱者」と呼ばれる人びとは、静かに、彼らを包む世界に耳をかたむけながら生きている。彼らは、あくせくしない。彼らには、決められたスケジュールはない。彼らは、弱いので、ゆっくりとしか生きられない。(中略)わたしたちは、そんな彼らを見て、疲れて座っているのだ、とか、病気で何も感じることができなくなって寝ているのだ、という。そうではないのだ。彼らこそ、「生きている」のである〉

 三歳で筋ジストロフィーを発症して以来、ベッドの上で暮らす岩崎航(わたる)さんは三十九歳。 幼い頃から死について考えざるを得なかった氏は、自殺寸前まで追い詰められたこともあったと語っています。二十五歳になって少し症状が落ち着いた頃から、詩を書き始めました。その作品に私が初めて触れたのは、詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』です(34頁参照)。
 同書に収められたエッセイで、氏は「絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った『今』が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている」「生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。/僕は、僕のこの旗をなびかせていく」と綴っています。

 澤地久枝さん。編集者の大先輩として敬愛してきましたが、一度も正面切って尋ねてこなかったのが、六十年近く前に受けた心臓手術(当時は誰も手術室から生きて出てくるとは思っていなかった)に始まる四度の大きな外科手術を乗り越え、どう病と、死と向き合ってきたのか、ということでした。
〈病気ぐらいでは人は死なない。それははっきりしている。心臓病というもの、あるいは心臓手術というようなものが人の命を簡単に奪えるなら、私はもう三回も死んでいる。それでも通り越して八十五歳になるまで生きているんだから。人の命というのはもろいけれども、非常に強いものです。命は強い。やっぱり私は、人間の命のもろさと強さの両方がわからなきゃいけないと思う〉(33頁参照)

 私自身もささやかながら、この数年、自分や家族のことで病と死を身近に感じる機会がありました。といって、上記の方々と、とても釣り合う言葉は持ち合わせません。ただ、心ならずも病を得、それによって人生の軌道修正を余儀なくされた人たちが、何を考え、どういう言葉を紡いできたか、その勇気と叡智に学びたい気持ちは募るばかりです。誰にも起こりうるのが病であり、誰もが持たなければならないのが「弱さ」の自覚と、「弱者」への想像力だと思います。体力に溢れ、怖いもの知らずだった自分を戒めてくれたのは、『徒然草』第百十七段でした。「友とするにわろき者……病なく身強き人」。
 本号でご愛読いただきました五本の連載が最終回となりました。次号からは装いを新たにしたいと思います。どうぞご期待下さい。(和)