Kangaeruhito HTML Mail Magazine 004
 ふたりの男

 大学4年生のとき、私は就職する気がまったくせず、というよりも就職という現実から逃げ出したい一心で、10月1日からの会社訪問開始と同時に生まれて初めての海外旅行に出ました。行き先はニューヨークでした。

 生まれて初めての海外旅行で、格安チケットで着いたニューヨークはすでに夜。地下鉄でたどり着いたマンハッタンは寒いようなムッとするようななんとも言えない緊張感に満ちていました。

 その年(1980年)の秋はニューヨークも大統領選のただなかにありました。ホテルの部屋で夜一人でテレビを見ていると、カーター大統領とレーガン候補の選挙CMが繰り返し流れました。レーガン候補のCMは映画の予告編のような低音の男性の声で「もっと強いリーダーシップが求められている。レーガンを大統領に」ときわめて単刀直入なもの。

 一方カーター大統領は、確かホワイトハウスの階段を駆け上るカーター大統領を追う画像に続いて、明かりの点いている執務室を戸外から映したショットがあり、こちらは淡々とした教育映画のナレーションのような声がかぶります。「カーター大統領はつねに休む暇なく働いている。大統領の執務室は夜遅くまで明かりが消えない」。大統領の誠実なイメージを無骨に訴えるものでした。

 このコマーシャルを見て、日本人の大学生である私の目にも、ジミー・カーターが大統領選に敗れるだろうことは直感できました。それほどレーガンのCMにはシンプルなインパクトがあったのです。カーター大統領のCMは理に落ちたものと感じられ、なんとも印象が弱いのです。メディアの力というものは恐ろしいものだと思いました。

 私が泊まっていたホテルの近く、ニューヨーク・シェラトンではカーター大統領の支持者による集会が開かれ、カーター大統領がそのホテルに入る姿もたまたま目にすることができました。彼はその時にはすでに、自分が敗れるだろうことを予期しているかのような笑顔を浮かべていたような気もするのですが、それは私の記憶上の創作かもしれません。

 今年のノーベル平和賞を受賞したカーター元大統領は引退後の国際的な平和活動がその受賞理由になっています。もちろんこの受賞について私にはなにかを論評できるような知識も情報もありません。が、ひとつだけ思い出したのは、やはり同じくテレビ画面のなかのカーター氏でした。

 それは、引退後のカーター氏が地元のジョージア州でひとりの大工として仕事をしている、その情景を映したものでした(ボランティア活動としてやっていたのか、そのあたりのディテールは一切覚えていないのですが)。海外の放送局が報じたささやかな短いレポートのなかで、大工道具を抱え、ヘルメットをかぶって作業をするカーター元大統領の姿が不思議なインパクトをもって迫ってきたのを覚えています。

 大工仕事というのは、アメリカやオーストラリアなどの「新世界」の男性文化にとって、そもそもの国の成立事情から言っても、欠くべからざる仕事であり能力であるべきもののようですが、カーター元大統領が喜んで大工仕事をしている姿に向けられたカメラの視線には「大統領までやった男が今はこんなことをやっている」というニュアンスがこめられていたような感じも否めませんでした。しかし私はどちらかと言えば、その「大統領までやった男」の「こだわりのなさ」に新鮮な驚きを覚えたものです。

 そこで思い出すのは、「大統領までやった男」にも相当する、いやそれ以上に世界で有名になったビートルズのジョン・レノンのことです。オノ・ヨーコとの間に念願だった子供のショーンが生まれて以後、彼は音楽活動を停止し、ハウスハズバンドとしての生活を始めました。今は日本でもハウスハズバンド的な選択をする男性が珍しくない時代になりましたが、四半世紀前のジョン・レノンの選択はまさに先駆的なものでした。

 元大統領だろうが、元ビートルズだろうが、人の営みとしてやるべきことがあれば、自然体でやればいいのだ、という「こだわりのなさ」。彼らが「平和」を求めた姿勢と、表舞台からこだわりなく降りることのできたその生き方は、どこかで分かちがたく繋がっていたのではないかと感じます。

 いわゆる男性社会の原理に支配された視点からは、彼らの行動は「腑抜けな」「男らしくない」「現実逃避の」行動として揶揄されかねないものです。当時は「これでもうジョンのミュージシャン生命も終わりだね」という感想を持った人も少なくなかったと記憶します。ジミー・カーターは「汚れたニクソン」的体制の反動でたまたま大統領になれただけで、本当は大統領の資質などなかった人間なのだ、というような言い方もありました。

 1980年12月8日。ジョン・レノンは、私がニューヨークから日本に帰国してほどなく、マンハッタンの自宅ダコタハウスの前で凶弾に倒れました。望んで入ったハウスハズバンドの暮らしが一段落したところで再び音楽活動を再開したその矢先の出来事でした。
 ジミー・カーターはその約1ヶ月後、ロナルド・レーガンにその役割を譲ります。

 先日、ジョン・レノンを記念した日本人ミュージシャンによるトリビュート・コンサートに行き、今もなお「愛と平和」のメッセージを発信し続けているオノ・ヨーコさんの姿に触れることができました。ジョン・レノンの自然体の行動を導き出した彼女のスタイルが今もなお不変であることに少なからぬ感動を覚えました。そして、カーター元大統領のノーベル平和賞受賞のニュースとともに、20年以上前のニューヨークの記憶と、そのニューヨークで同じ空気を吸っていた「ふたりの男」の姿が静かに重なるように感じたのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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