Kangaeruhito HTML Mail Magazine 006
 テレビに感動した話。

 みなさんもご覧になっているかもしれませんが、今、毎朝NHKで放映されているシリーズ「海・青き大自然」に私は釘付けになっています。

 とくに、深海に生きる生命を取り上げた数日前の放映には本当に驚きました。どんなに晴天の太陽の下だとしても、深さ千メートルともなれば太陽光線はほとんど届かず、闇の世界が広がっています。しかし、そこでも、生き物たちはさまざまな方法で獲物をとらえ生き延びようとしているのです。

 たとえば、目が淡い金色のピンポン玉のように大きく張り出している深海魚。こんな生き物がいたのかと思うようなギョッとする姿です。ピンポン玉のようになっているのは、わずかな光をたよりにして、獲物を捕らえるための仕組みです。一見ロボットのようにも見えるちょっとメカニックな風貌は、一度見たら忘れられない姿です。

 あるウナギの仲間は、全身にある触角のようなものを下の方へ垂らして、また口もひたすら大きく開けて、獲物のほうから近づいてくるのを待ちつづけます。この姿もまた、ユーモラスなような、しかしちょっとグロテスクな感じでした。

 魚のなかには、胸鰭がほとんど脚のようになっているものもあり、一見魚のような、あるいは爬虫類のような格好で、海底を急ぎ足で進んだり、突然その「脚もどき」を支えにして立ち止まったりもします。「彼」の口はなぜか赤く、いかにもクチビルというかたちをしているので、いっそうのおかしさがあります。

 テレビを見終えて、あわてて出社する途中、駅に向かいながらふと思いました。彼らのことをグロテスクなどと言っているけれど、しかし人間というものを相対的に考えれば、これほどグロテスクかつ奇妙なものはいないだろうなあ、と。洋服を着ていて、直立歩行して、ときには自分でつくった乗り物に乗ってもの凄いスピードで疾走したりする。大きな四角い箱に大勢で乗って移動したりもする。住んでいる「巣」は超高層であったり、一軒家であったりさまざま。歌を歌ったり、文字を書いたり、泳いだり、病気になったものを手術したりする。「さえずり」にもさまざまな種類があり、行動パターンも生息する地域によって似ているところも違うところもある。楽器を演奏したりする。他の生き物を飼ったりもする。テレビなんていうものを一心に見つづけていたりする。キーボードを叩いてお互いに連絡を取りあったりもする……。

 何かの研究で、他の哺乳類たちにとって、頭部などの一部を残しほとんど全身から毛を取り去ってしまった人間の姿は奇妙なものとして認識されている可能性がある、というようなことを読んだことがあります。南米の毛のない犬を見て「気持ちわるーい」と声をあげたりする人間こそ、気持ち悪い存在なのかもしれません。

 しかし、やはり先日NHKでベートーヴェンの第九の初演をテーマにした番組を見て、つくづく感じたことがあります。秘密警察が跋扈し、市民社会がまだ誕生する前のウィーンの「暗黒時代」に、ひとりの人間が思い描いた自由な世界と、それを支え、受け取ろうとした聴衆、楽団員が、あるひとつの語られざる共通意思によって結ばれ、見事に初演を成功させた物語。ベートーヴェンの姿はもちろんのこと、当時の彼の周辺にいた人々の姿にも深い感動を覚えました。人間は奇妙かもしれないけれど、やはりかけがえのない素晴らしい存在ではないかと。

 創刊する際に、「テレビを消して」などと書いた私ですが、テレビというメディアから受け取るもののなかには、このように素晴らしいものもあるのだということを、年末のあわただしい空気のなかでしみじみと感じた次第です。

 今年のメールマガジンはこれが最後になります。
 みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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