Kangaeruhito HTML Mail Magazine 008
 年末年始に聞いた音

 お正月休みはいかがお過ごしでしたか?

 私は東京が故郷なので里帰りがありません。44年の間ずっと東京を離れたことがないので、毎年地味に静かな年末年始を迎えています。必ずやることといえば大晦日に決まった店で花びら餅を買うことぐらいでしょうか。

 暮れには、娘の同級生のお宅で餅つきがあり、誘われて参加しました。奥様の郷里が会津若松で、東京生まれ東京育ちの旦那さんが何度か訪れているうちに、米や味噌や醤油を自前で作り、近所の川で魚釣りもできる暮らしに惹きつけられたそうです。ある年からは東京でも餅つきをしようと郷里の職人に杵と臼を注文して作ってもらい、東京まで自分の車で運んできたとのこと。

 もう何年目かになる餅つきは、旦那さんが東京の人とは思えない、目をみはるような腕のふりと腰つきでした。スポーンというかスコーンというか、テニスでいえばスウィートスポットにボールがあたったような爽快な音をさせながら、あっという間に餅がつき上がっていきます。

 私も生涯4度目ぐらいの餅つきに挑戦しました。なんだか腰の定まらない、杵を振り上げる腕も頼り無い感じの「へっぴり餅つき」になってしまいます。それでも自分もついた餅があんころ餅になったりきなこ餅になったり豆餅になったり、ほくほくとつきたてのあったかい餅を頬張ると、こんなにおいしいものが世の中にあるかというぐらい、際限なく食べられるような気がしました。

 玄関先での餅つきでしたので、通りすがりの人が立ち止まって見て行きます。へえ、という顔つきで見る人もいれば、声をかけてくる人もいます。どの人も一瞬にしてどこか緩んだ表情になります。まるで温泉にでもつかったような。こちらも気がつくと笑顔になっています。餅をつき終わり、臼にこびりついた餅のあとは、たわしのようなものを使って落とすのではなく、伏せた茶碗でこすりとるのがいちばんきれいになる、などということも初めて知りました。

 夏であれば、私の実家でも欠かさずにやる行事があります。お盆の日に、家の門の前でおがらを焚く迎え火と送り火です。ところがおがらを焚く家は年々減ってしまいました。いつの間にか実家の前の通り沿いの家ではうちともう一軒だけの行事になってしまい、珍しいことを続けている家という感じになりつつあります。

 家の人間が集まって路上で火を焚いて見ている図、というのは餅つきのようには通りすがりの人々の表情を緩ませることがありません。なんとなく怪訝な顔をして通り過ぎる人のほうが今は多いような気さえします。煙も立ちますし、餅つきほど晴々とはやれない感じがどこかにあります。狭い道なので、車が通りかかると思わず「すみません」と頭を下げたりもします。

 若い頃は、夏休みにそのことをやるためにわざわざ帰宅するのが鬱陶しいような気もしていました。でも今は、迎え火や送り火をやらないとどこか落ち着かない感じがします。年中行事というのは、ときに煩わしいものになりかねない部分もありますが、過去と現在を結びつける面白さもあり、楽しむゆとりさえあるのなら続ける意味は大いにありそうです。

 私の住む町内では「火の用心」の夜回りも数年前から復活しています。それは懐かしい風習を復活させたというのではなくて、おそらく当時の連続放火事件がきっかけになったのだと思います。ではありますが、拍子木を打ちながら「ヒノヨージン」と声をあげて通り過ぎて行くのを暖かい部屋で聞いているのはなかなか悪いものではありません。熱燗をちびりちびりとやりながら炬燵にあたりつつ聞く拍子木の音、なんてちょっと幻想的にも響いて来るのかもしれないなあ、と下戸の私でさえ空想したりします。

 電車のアナウンス、スキー場の音楽、商店街の有線放送などの騒々しさには私も耳をふさぎたくなるほうですが、拡声器を使わない肉声の「ヒノヨージン」は、伝えるメッセージよりも、その音階や節回しのようなものにからだが微妙に反応します。人の声が空気をふるわし、それを人の耳が受け取る直接の行き来によって、私たちは心地よい何かを受け取るのではないでしょうか。

 今年の冬は長期予報に反してかなり寒い冬になりましたが、その冷たい空気に句読点を打つようにぺったんぺったんとする餅つきは、なんとも言えない満ち足りた気持ちにさせてくれました。恐らく拍子木をカチンカチンと打つ人のこころにも繋がるようななにかが含まれているのだと思います。

 お盆の話で思い出しました。今発売中の「考える人」創刊3号に掲載されている堀江敏幸さんの短篇小説「送り火」はもうお読みになりましたでしょうか? 胸の奥が締めつけられるような、せつない傑作だと思います。たとえば私が自宅の前で送り火を焚いていて、その前を通りかかった見知らぬ人々の胸のうちにも、こんな人生の暗がりやともしびが隠されていたのかもしれない――思わず後ろを振り返り、彼らの背中を見送りたくなるような、不思議な深い味わいに満ちた小説です。ぜひおすすめしたいと思います。

 それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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