「冒険小説」というジャンルがあります。乗っていた船が遭難し無人島に漂流して助け出されるまでとか、どこか秘境を探検して戻ってくるという内容の小説を指してこういうのですが、一般的には、もっと広い意味で捉えられていて、戦争が舞台のものや推理小説のような筋のものもあります。いずれにせよ、主人公があえてリスクを冒し、様々な困難に立ち向かいながら、目的を果たしていくという話の流れが共通点としてあるのではないかと思います。その点では、1980年代後半、ペンで入力するPDA(携帯情報端末)を開発するベンチャー企業設立からの8年間を、会社の創始者ジェリー・カプランが自らの日記を元にして記した『シリコンバレー アドベンチャー』(日経BP出版センター)は、小説ではありませんが、そのタイトル通り、冒険的な要素満載のノンフィクションです。

 スタンフォード大学の研究員だった「コンピュータ・オタク」のカプランの頭脳には、友人の自家用ジェットに同乗したときに、ひとつのアイデアがひらめきます。キーボードではなく、使い慣れたペンで文字や絵を入力できる小型コンピュータを作れば、コンピュータの可能性はもっと広がる……。その思いつきを打ち明けられた友人は、すぐさまアイデアに賛同し、友人の友人から資金を集め、オフィスも決まり、優秀な人材がどこからともなく集まってきて、トントン拍子に新会社が出来上がります。しかし、ここからが苦難の始まりでした。次々と他のコンピュータ企業がペン入力の分野に参戦し、なかにはカプランがプレゼンテーションした内容をそのままコピーして製品化しようとする大手ソフト会社も登場。技術屋だったはずのカプランは、経営基盤が弱いベンチャー企業のトップとして開発費を捻出したり社員の月給を払ったりするために、毎日、金策に追われます。

 印象的な出来事があります。マンハッタンに住んでいるユダヤ系の両親が、自分の息子がシリコンバレーでどんな会社を運営しているのか、と訪ねてくるのです。30代になったのに結婚の気配もなく、電話で話した感じでは忙しすぎて寝る暇もないような口ぶり、スウェーデン出身のガールフレンドともうまく行っていない様子なので心配になり、ニューヨークで繊維関係の会社を経営したのちリタイアしていた二人はサンフランシスコまで飛んできます。特に父親の方は、カプランと同じように資金繰りで苦労した経験もあり、なにをやっているのか皆目見当もつかない息子の会社を見学しながら、会社が失敗すれば、根こそぎ引き剥がされてしまうのではないかと危惧します。

「いろいろな書類にサインをさせられただろう」。ローンに個人保証が必要なことを(父は)言っているのだ。父は季節の変り目ごとに、在庫の山を抱えて資金繰りに頭を悩ませた。個人資産を担保に入れなければ、銀行は金を貸してくれなかった。父の会社は結局、つぶれてしまったが……。
 ぼくは思わず笑ってしまった。父の時代と比べると、世の中はずいぶん変わった。あの頃、事業を始めるには、すべてを投げ出す覚悟が必要だった。貯金も、家も、自尊心も。事業は人そのものだったから、失敗すれば、すべてを失う。しかし今日では、事業と個人のあいだには明確な一線が引かれている。

 そして、カプランは、もし40年前なら自分ははたして会社をはじめられただろうかと想像します。そして、お金儲けの冒険ともいえる起業をする度胸はなかっただろうと結論づけます。ベンチャー企業が次々と生まれてくるシリコンバレー気質は、資金をリスクの中で最大限活用するベンチャー・キャピタルのビジネス・モデルに起因しているのかもしれません。「起業に失敗した話もからりとした調子で語られる」理由については、『ウェブ時代をゆく』などの著書のある梅田望夫氏のコラム「シリコンバレーが明るいわけ」をお読みください。