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リン・スクーラー著 永井淳訳
「ブルーベア」(集英社)


 親しい友人が亡くなる。それは大きな衝撃です。受けた衝撃をどのような言葉で表せばいいのか。最初は言葉すら出ては来ません。1996年8月、星野道夫氏がカムチャツカで亡くなったという知らせが届いたとき、友人たちは誰しも同じような気持ちでした。担当編集者だった私は眠れない一夜を送りながら、「丸太でなぐられたような」という比喩がほんとうにある感覚なのだと自分のからだで知りました。

 本書は、著者と星野道夫氏の交友を軸にして描かれる私的ノンフィクションです。ふたりの交友は1990年、星野氏がテレビ朝日のクルーとともにアラスカの撮影取材をする際そのガイドとして著者を雇ったことから始まり、約6年後に星野氏が亡くなることで突然終わりを告げることになります。

 ふたりを結びつけ、また本書のもうひとつのテーマにもなったのは、アラスカに生息する幻のクマ、グレイシャーベア(ブルーベア)の存在でした。星野氏に出会うことによってカメラに目覚め、星野氏に私淑し、やがてブルーベアの撮影を志すようになった著者は、それまで決して順風満帆な人生を送ってきたわけではありません。ガイドとして働きながら他者には決して心を開かなかった著者が、星野氏と出会うことによって少しずつ内側から変化してゆく。本書にはその魂の遍歴も描かれます。

 著者の初めての著作である本書が、時折、どこか思い詰めたような気配を漂わせるのは、星野氏が不慮の事故で亡くなった衝撃からばかりではなく、著者自身が抱えてきた人生の問題を、不器用な手つきで言葉を重ねながら、自分自身で確かめるように振り返る、その緊張感がもたらしている、とも言えます。

 しかし、星野氏の描かれかたを追って行くと、観察者としての著者が少なからず優れた能力を持ち合わせているのがわかります。ここには私たちが知っていた星野氏の様々な素顔がリアルに描かれています。そして、星野氏という人間の本質にも触れていると感じます。たとえば、こんなくだり。

「結局ミチオが生きのびているのは守護天使に護られている証拠だ、というのが全員の一致した意見で、彼以上に天使に護られる資格をそなえた人間はいないというところに落ちついた。彼がシトカでホームレスにコートをくれてやったとか、センチメンタルな映画を見て泣いたとか、会った人間と一人残らず友達になったといった話を聞いていた。他人に対する彼の思いやりと親近感はほとんど光り輝くほどで、相手が元州知事だろうと、世界的な博物館の館長だろうと、エスキモーの老女だろうと変わりはなかった」

 星野氏の著作に登場するアラスカの人々に対して、「ミチオ」はどんな表情で、どんな言葉遣いで語りかけたのか。本書はその姿もありありと描き出しています。アラスカの人々があれほど魅力的に輝いて見えたのは、「ミチオ」という希有な人物と出会うことで、彼らの美しい魂が自然に引き出され磨かれたところもあるのではないか。あらためてそう思わずにはいられませんでした。

 ただ、読んでいて少しひっかかったのは、自分が知り得た星野氏について、なにもかも書いておこうとする「つんのめる」ような著者の姿勢がときおり顔を出すところです。星野氏であればここまで踏み込んだ書き方はせず、読者の想像力に委ねただろう、と思う場面がわずかながら出てきます。少々残念な思いがした部分があるのも事実です。

 本書を読了後、思わず書棚から取り出して読み返したのは、星野氏のエッセイ集『旅をする木』でした。そのなかの「ブッシュ・パイロットの死」の章。私はときおり、この章を無性に読み返したくなります。親しい友人を追悼する友人たちのありのままの美しい姿が、後に残された者たちのとるべき姿勢が、そして他者に対する尊厳と深い信頼とは何かが、ここには過不足なく描かれているからです。

 何度読み返しても、その度に感動が深くなる星野道夫氏の文章の魅力は、そのまま星野氏自身の魅力に他ならなかった──。本書はあらためてそのことを教えてくれました。

 今月から「星野道夫著作集」全5巻(小社刊)の刊行がスタートします(第1回配本は4月22日発売)。また、東京・松屋銀座(4月23日~5月5日)を皮切りに、大規模な写真展「星野道夫の宇宙」も全国を巡回する予定です。これを機会に、比類ない文章家としての星野氏の仕事にもぜひ触れていただきたいと思わずにはいられません。
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