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『ぼくの昔の東京生活』赤瀬川原平(筑摩書房)


 昭和30年代頃の町並みや生活を振り返るテレビの記録映像の紹介、写真集、雑誌の特集が最近増えています。昭和33年生まれの私も、そんな映像を見かけるとついつい見入ってしまいます。ただひたすら「懐かしい」としか言いようがないものばかりなのですが、それらはほとんどがモノクロームの映像。そもそも私自身の個人的な記憶として残っている風景ですら、気がつけば私の頭のなかではモノクロームになっているような気がします。

 しかし、この「モノクローム」というものが怪しい。当時のテレビの画像のイメージや、写真集にのっているモノクローム写真が、いつのまにか自分の記憶とすり替わっている可能性もあるからです。モノクローム写真にはカラー写真よりも被写体を浄化し美化する力、つまり落とし穴があります。あまり懐かしがってばかりいると当時は見えていたはずのものを見落とす可能性があります。

 映像だけではわからないこと、伝わらないことがあります。それは、映像として記録されている当時の日本人が、そのときいったい何を考え、何を感じていたかということです。映像が古ければ古いほど「懐かしさ」ばかりが先立って、それはどこまでも気持ちのいい「風景」にとどまるばかりです。

 本書『ぼくの昔の東京生活』は、そんなモノクロームのイメージとは無縁です。たとえば「石油ストーブの青い炎」が、「アテネ・フランセのフランス人女性教師の赤いマニキュア」が、しっかりとピントの合った赤瀬川氏の高性能の眼によってフルカラーで記録され、再生されます。

 そして、そのときに感じ、考えていたことも、「懐かしさ」によって美化されることなく復元されます。たとえば当時の大学紛争やデモ、ストライキはどのように捉えられているでしょうか。

「メーデーは明治公園の絵画館前が会場だった。そこに『労働者』が集まる。そのころまだ自分が学生なので『労働者』というものに憧れていた。仕事をしてお金をもらえば誰だって労働者なのに、あえて『労働者』に憧れるというのは、一種のブランド志向だと思う。ルイヴィトンやグッチというブランドに憧れるのと基本的には同じことだ。 
 絵画館前にはその『労働者』が大勢集まっていた。この『集まる』というそのことだけにも感動しようとする雰囲気があり、それは時代というものだろう。集まれば何かがはじまる、という期待が確かにあったのである。それはいつだってそうなのかもしれないが、その時代はいまと違って何ごとも単純でストレートだった。」

 赤瀬川氏の視線も思考力も冷静です。焦点が当たるべきところにきちんと当たり、過不足がありません。

 武蔵野美術学校受験のため赤瀬川原平氏が初めて上京したのは昭和30年。赤瀬川氏にとっての東京はやはり特別な場所でした。「ぼくみたいな弱虫が、高校を出てそのまま上京して、よく生活できたと思う。逆説めくが、金がなかったからできた、貧しいからできたわけで、家が裕福だったらできなかったと思う」。

 当時は当たり前であった「貧乏学生」の暮らしを見ているうちに、赤瀬川氏がまるで「アルプスの少女ハイジ」のように見えてくる瞬間があります。既成概念に縛られない赤瀬川青年はその貧乏さに屈託するどころか、どこか楽しんでいる様子があり、また、その貧乏さには限りない自由があったのではないか、と思えます。なにしろ、上京して最初に眠った布団はハイジのほしくさのベッドを彷彿とさせるような藁布団なのです。

 本誌で連載中の「阿部謹也自伝」が当時かかわり合いのあった人間の「語られた言葉」をたよりに追憶するものだとすれば、赤瀬川氏の場合は赤いマニキュアのようなヴィジュアルなイメージが記憶の運搬係を務めているのかもしれません。赤瀬川氏がなによりもまず「眼」の人であることを鮮やかに映し出す本書は、映像では記録されない心象風景を、産地直送のような新鮮さでわたしたちに届けてくれます。
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