河合隼雄さんが脳梗塞で倒れられたのは、2006年の8月17日のことでした。第5回小林秀雄賞の選考会が開かれる約2週間前の出来事です。2002年に創設された小林秀雄賞はその前年まで、加藤典洋、河合隼雄、関川夏央、堀江敏幸、養老孟司の五氏によって選考が行われていました。河合さんを欠いた当日の選考会は、他の選考委員が河合さんの病状を気遣うことから静かに始まった、忘れられない選考会となりました。

 小林秀雄賞は候補作は発表されていません。したがって、選考経過は記録としては何も残らないのです。あれほど闊達で遠慮のない、しかし朗らかで肯定的な雰囲気の選考会が、ただそのまま行われて消えてしまうのはもったいないと感じつつ、しかしだからこそ、あれだけ面白い選考会になるのかもしれない、とも思うのです。

 河合隼雄さんも年に一度の選考会を楽しみにのぞんでくださいました。しかし、突然に倒れられた河合さんは、翌年の7月19日まで一度も意識が戻ることはありませんでした。小林秀雄賞の他の選考委員も、突然倒れられた河合さんにお別れをいう間もなくという感じを抱いていたように思います。今回の特集では、四人の選考委員の方々にお集まりいただき、いつもの選考会場で、河合さんにお別れをしようという主旨での座談会になりました。

 小林秀雄賞選考会と同じように、闊達で遠慮のない座談会から、その一部を引用しておくことにします。

 加藤典洋「河合さんは、誰からも見られないまま、外国滞在中に本格的に精神形成というか、人格形成した人ではないかという気がします。それは、黙っていたら自分がやられてしまうというような、過酷な経験でもあったと思う」

 関川夏央「昔はもっと戦闘的な人だったような気がする。ときどきそういう雰囲気を感じた。決して悪い意味ではなく、目が笑わない凄みみたいなところがちょっとあった」

 堀江敏幸「われわれが接していた融通無碍な、すべて受けとめてしまうというような雰囲気とはまた違って、河合先生には、そういう衝突や絶対に我を通すみたいな頑固なところもあったんですね」

 養老孟司「本人と会っているということが大事なのであって、何をしゃべるかは大したことではない。そのことが通じているか通じていないかで、つきあいが決まっていたのではないかと思う。何かを説明しなければならないとしたら、たぶんそれはつきあいではなくて、説明が必要な何かなんです」