Kangaeruhito HTML Mail Magazine 037
 

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
(上・中・下)(新潮文庫)


 7月3日号の「考える本棚」で現在のアメリカ出版界の現状についてお伝えしました。巨大メディア資本による合併吸収が進むことによって、経済至上主義が出版界にもおよび、その結果どこか大味な本が送り出されるようになったのではないか、というようなことを書きました。そこでは触れなかったもうひとつの大きな変化についてお伝えしたいと思います。

 それは、古典文学の復活の兆しです。この古典復活はアメリカ出版界の低迷と表裏一体となった、やや皮肉な展開ともいえるのですが、しかし悪い知らせではない、と感じました。どこが皮肉かといえば、それは新作全般の低迷に対して、出版社が売り上げ向上のためのひとつの打開策として、すでに評価の定まった「財産」である古典作品の売り出し方を見直したことがきっかけとなっていることです。

 古典は作品じたいの評価をなによりも歴史が保証しています。内容が読者に受け入れられるかどうか、未知数の新作のようにはかりかねるということがありません。出版社にとって保険のリスクはわずかですむ、というわけです。しかし、古典だからというだけで、何もしないでいても売れるというものでもありません。出版社は古典作品のブックデザインを一新し、旧来の読者はもちろん新しい若い読者にも認知してもらえるように古典をアピールしたのです。

 結果は大きな反応として現れました。最初は老舗の出版社からスタートしたこの動きは、やがてこれまで古典にはあまり見向きもしなかった、ベストセラーの販売に主力をおく巨大書店チェーンにも及び、自らの出版部門で古典作品の売り出しに本腰を入れ始めたところもあります。アメリカの出版界は出版不況のなかで「古典は着実に売れる」とあらためて認識することになった、というわけです。

 小社の新潮文庫も、毎年「夏の100冊」フェアを展開し、主に若い読者を対象にして夏休みという絶好の機会に読書の愉しみを提案しています。そのなかで古典作品も紹介しています。先週営業部の者から聞いた話では、やはり新潮文庫においても、古典は根強い人気を維持しているそうです。また、「夏の100冊」フェアばかりではなく、年間を通じて、内外の古典作品の「模様替え」も着々と進行中です。新潮文庫における古典は、古くから版を重ねているため、文字が小さいままのものも少なくありません。文字を大きく組み直し、装幀も新しくするのが「模様替え」作業です。翻訳作品については、新訳として刊行し直すものもあります。こうして、新装なった古典作品がふたたび息を吹き返す様子を見ていると、若い世代の活字離れという言い方は、もう少しデリケートに検証する必要があるのではないかとさえ思います。

 振り返ってみれば、個人的にも古典を集中的に読んだのは高校生の頃でした。とくに受験を控えた高校三年の夏休みは、予備校にも行かず、地元の図書館に朝から通い、閉館時間まで一日中こもって勉強をし、同時にドストエフスキーや夏目漱石の作品を次々に読破していったことを思い出します。受験という緊張感のなかで、このような作品を読むことが、自分の精神の均衡を保つためにもどうしても必要だったのではないか、と今になって思います。日々が真剣勝負のようでした。

 なかでも一番大きく深い印象を残したのは、ドストエフスキーの最後の作品『カラマーゾフの兄弟』でした。家族というもの、宗教というもの、歴史というもの、すなわち人間が生きていく上で出会うはずのあらゆる問題を含んだ作品が、百年以上前に書かれたにもかかわらず、曰く言い難い生々しさで迫ってきます。ところどころついていけない難解な議論も、半ばわかったつもりになって読み進めました。ここには現代の問題がほとんど予告されているのではないかとも読みとれる作品でした。高校生がどの程度読みこなしていたのかははなはだ怪しいのですが、しかし、何か大きな岩のような手触りとともに胸の奥深くに何かが残されたのは確かなことでした。

 新潮文庫版の訳者、原卓也氏の解説のなかに、『作家の日記』からの引用があります。その部分を以下に引用します。
「……やがて人々は、土の中から信じられぬくらいの収穫をひきだし、化学によって有機体を造りだし、わがロシアの社会主義者たちが夢みているように、牛肉が一人一キロずつ行きわたるようになるかもしれぬ。一口に言って、さあ飲め、食え、楽しめというわけだ。『さあ』すべての博愛主義者たちは絶叫するにちがいない。『今こそ人間は生活を保障された。今こそはじめて人間は本領を発揮することだろう! もはや物質的窮乏はないし、すべての悪徳の原因だった、人間を蝕む《環境》ももはやない、今こそ人間は美しい正しいものになるだろう!……』……だが、はたしてこうした歓喜が、人間の一世代もつかどうか疑わしい! 人々は突然、自分たちにはもはや生命はない、精神の自由もない、意志も個性もない。だれかが何もかも一遍に盗んでしまったのだ、ということに気づくことだろう……」

 いつか再読したい、と思いながらもう二十年以上が経過してしまいました。ところが、この夏に読み返す機会がまためぐってきたようなのです。それは、作家・池澤夏樹氏が或る大学で世界の古典文学をめぐる集中講義を行うことになり、私たち編集者もその講義を聴講させていただくことになったのがきっかけでした。池澤氏が選んだ作品のなかには『カラマーゾフの兄弟』も入っています。ふむふむ、これはぜひ読み返さなければ。

 その他にも、スタンダール、マーク・トウェイン、ジョイス、ガルシア=マルケス……など錚々たる作家の作品が池澤氏の講義用のメモには書かれてあり、池澤氏がそれぞれをどのように読み直すのか、興味津々です。もちろん編集者として講義を聴講するのは、この講義をテープに収録し、活字にまとめ直して小社から刊行するためなのです。いずれ読者の皆さんにもこの講義の全貌をお届けできると思います。来年になるかと思いますが、どうか本の完成を楽しみにしていてください。

 日本でも古典文学を読むことが若い読者ばかりでなく、「もう一度読み直そう」という大人の間にも広がって、読書の愉しみの幅が大きく広がることを期待したいと思います。
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