2006年6月、作家の小川洋子さんが、文化庁長官室に河合隼雄さんをたずねました。ふだんは芦屋にお住まいの小川さんと奈良にお住まいの河合さんが、東京の霞ヶ関の一室で「物語」をめぐってたっぷりと語りあったのが、今回収録した対談「生きるとは自分の物語を作ること」です。

 まず、小川さんが話しはじめます。

「人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面したときに、それをありのままの形ではとうてい受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします」

 つづけて――

「臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。そして、小説家が書けなくなったときにどうしたら書けるのかともだえ苦しむのと、人が「どうやって生きていったらいいのかわからない」と言って苦しむのとは、どこかで通じ合うものがあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか」

 河合さんが答えます。

「おっしゃったことは、私の考えていることと一致しています。……来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような「場」を提供している、という気持がものすごく強いです」

 物語を書くために、どこか見えない暗い世界までずっと降りていく小説家と、患者の悩みに寄り添って、どこまでもともに降りていく心理療法家。

河合「その感じは、もうほとんど一緒じゃないかと思いますよ。ただ小説家はずっと降りていって、その結果つかんだものを言葉にする。だけど僕らは、人が話すのをただ聴いていて、その人自身が何かを作るのを待っているだけです。自分では何も作らない。小説家と私の仕事で一番違うのは、「現実の危険性を伴う」というところですね。作品の中なら父親を殺すこともできるけれど、現実に患者さんが父親を殺すと、大変です」

小川「殺したいという気持があっても実際には殺さないために、物語が必要なわけですね」

 互いに共感を抱きあうお二人の対話は、偶然がもたらす恵み、黙っていることの豊かさと困難、原罪と物語の誕生、多神教の日本と「源氏物語」、そして死と悲しみをめぐって、どこまでも深まってゆきます。

 小川さんは、ご両親・祖父母ともに金光教を信仰する家にうまれ、お祖父さんが金光教の教師でした。教師は、信者と神様のあいだにすわり、両者の声をとりつぐ役目を果たす。そのありようとカンセリングのときのカウンセラーと対面のかたちについて語り合った部分など、お二人でなければありえない、迫真の対話です。

 じつは、この対談は、一冊の本をつくることをめざして始まったものでした。第一回のあとも、幾度か連続して行われる予定でした。しかしこの2ヵ月後、2006年8月、河合さんは倒れられ、目を覚まされることがなかったのです。この対話が、河合さんから私たちへの最後の贈り物であったように思われてなりません。ぜひお目通しいただけますよう。