Kangaeruhito HTML Mail Magazine 042
 「べらんめえ」の人

 今週、9月1日(月)の選考会で、第二回の小林秀雄賞が決定しました。受賞作は、吉本隆明氏の『夏目漱石を読む』(筑摩書房)と、岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』(平凡社)の二作です。

 吉本隆明氏は『夏目漱石を読む』の「あとがき」に、こう書いています。
「わたしは漱石の作品に執着が強く、十代の半ばすぎから幾度か作品を繰返し読んできた。隅々までぬかりなく読んだので、一冊の本にその学恩ではなく、文芸恩を返礼するのが、わたしの慣例なのだが、江藤淳さんの優れた漱石論があるので、これで充分いいやと考えてそれをしていない」

 東京生まれの吉本氏は、いかにも東京の人らしく、あきらめるときにはあっさりと手を引いてしまうところがある、という気がします。そして同時に氏の文体には、時に江戸の下町の職人言葉「べらんめえ」口調が響きます。ぐずぐず論理を展開するというよりも、しかるべきポイントで一言で言い切ってしまう、そんな思い切りの良さ。生活と等価の思想はあり得ても、生活を見下ろす思想を怪しむ「メートル原器」のようなものが、吉本氏の思想の核心にはあります。そう言えば、小林秀雄という批評家も「べらんめえ」の人でした。「文学というものを屁とも思わない」と言い切れる場所から文学を考えた人であり、江藤氏の仕事に少なからぬ影響を与えた大きな存在です。また、太平洋戦争中に吉本氏がその一言一句を聞き漏らすまいと注目し続けたのは、やはり小林秀雄という人でした。

 吉本隆明氏は、受賞作『夏目漱石を読む』の「あとがき」で敬意を表した江藤淳氏と、過去に何度か対談をしています。江藤氏がライフワークのひとつとして三十年近くにわたって書き継いだ『漱石とその時代』(新潮選書)の第一部と第二部を完成させた直後、1970年8月に対談は行われています。「文学と思想の原点」と題した対談のなかで、漱石の人生と書かれた作品の関係、その背後を読み解くことの意味に触れながら、お二人はこんなやりとりをしています(以下は、小沢書店刊『江藤淳全対話3―思想と文学と―』より引用)。

江藤:人はいろんなことを言います。あいつは平凡なサラリーマンとして一生を送ったとか、あるいは、奔放な人生を送ったとか、なんとか言うわけですね。僕らはそういうことをしょっちゅう言うわけです。だけどだれもわかっちゃいないんですね。沈黙の言語がどんな音楽を奏しているか、それは容易なことではわからないですね。それを僕は書きたいのです、漱石についてなんとかしてね。
吉本:そこのところは僕も、わりあいに賛成なんですよ。賛成なんですよというのは、人が生き、大人になり、結婚して、老人になって死ぬというような、そういう場合に、どこに価値観の原点というか、根源みたいなものを置くかというと、やっぱり僕は、自分の日々を生活してて、そこでぶち当る問題について、あるいはそれの周辺についてならば考えることもするけれども、あんまり遠くのこと、見たこともないこと、そういうことは、直接影響がなければ考えない。つまり、そういう生き方の人がかりにいるとしまして、それが、人間はどう生きるのがいいのか、ということの価値観の原点になる、というふうに思っているんです。だから、そういう意味では、江藤さんの考えに賛成なんです。だから、大学を出たらどこかに就職して、そしてサラリーマンになって、いくらもらってという、定年退職までの給料の額は計算できるし、定年退職で、退職金もらって、うまくいけば隠居して、そのうちに死ぬ、もうおれの人生は決ってるんだ、なんていう言い方は僕はぜんぜん信じないんです。そんなことはあり得ないのであってね。
江藤:まったくそのとおりです。
吉本:微細に見ていけば外からそうみえる生活でも波乱万丈だと思います。どんな人でもそうだと思うのです。

 江藤氏と吉本氏が歩んだ道は、その方角も景色も異なるものと考えられがちです。しかし異なる道だとしても、その歩む姿にはどこかで二重写しにも見える部分があります。それは、実際に生きていくことから切り離して語られるような思想など犬にでも食われてしまえばいいと考える姿勢です。そしてお二人の漱石論は、漱石を祭り上げるのではなく、等身大の生身の人間として扱うことによって、書かれた作品の語られざる物語の陰影を浮き彫りにしています。やはり響き合う部分はあるのです。

 吉本氏と同時受賞となった岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』には、こんなくだりが出てきます。

「ここで、当然、日本の『家』制度に注目せざるをえなくなります。
 経済学者のあいだでは、『家』などという文化的な概念をもちだすことは、極端にいやがられます。人間の合理性を公理とする経済学の敗北とみなしてしまうからでしょう。(中略)
 人間とは、アリストテレスの言葉を借りると、『社会的な動物』です。社会のなかでしか生きていけない動物であるというのです。とりわけ経済活動には、必ず人間の組織が必要になります。そして、人間がなにか組織を作り上げようとするとき、人間はまったくの白紙の状態からデザインをするのではなく、意識するにせよしないにせよ、それぞれの文化に固有の『文法』とでもいうべきものにしたがうことになるのです。そして、そのような組織の形成にかかわる文法とは、それぞれの文化における家族の構造です。なぜならば、家族こそ、人間が人間として最初に作り上げた組織であり、家族にかんする概念は人間の基本的な言語構造のなかに深く深く入り込んでいるからです」

 岩井氏は、21世紀の資本主義の行方を追いながら、単なる経済をめぐる論として終わることなく、人間のあり方、生き方にも深く関わるものとして経済をとらえています。どうでしょうか? この姿勢には吉本氏や江藤氏と共通するものがありはしないでしょうか? 単なる「学問」のフィールドのなかに問題意識を閉じ込めることを求めないという一点において、『会社はこれからどうなるのか』という本もまた、先の対談の中での吉本氏の発言「人間はどう生きるのがいいのか、ということの価値観の原点」に触れてくる本なのだということがわかります。

 小林秀雄賞は昨年の受賞作、橋本治氏『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社)、斎藤美奈子氏『文章読本さん江』(筑摩書房)に引き続き、今年も素晴らしい作品が受賞作に選ばれました。次号の「考える人」(10月4日発売)では、吉本氏、岩井氏へのインタビューと、選考委員(加藤典洋、河合隼雄、関川夏央、堀江敏幸、養老孟司各氏)の選評、受賞作の一部掲載を予定しています。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
All right reserved (C) Copyright 2003 Shinchosha Co.