Kangaeruhito HTML Mail Magazine 045
 

『無名』沢木耕太郎(幻冬舎)


 子どもにとって 、親の死に立ち会うことは、「予習」も「復習」もできない一回性の経験という点において、特別な出来事なのだと思います。一時的だとしても自分という存在のアイデンティティが危機にさらされることもあるでしょう。その処し方しだいでは、糸の切れた凧のように自分を感じることがあるかもしれません。自分がどこから来て、どこへ行こうとしているのか。普段なら意識せずとも済んでいた問題が、もくもくと浮上してくる契機としても、親の死は立ち現れてくるはずです。

 親の最期を看取り、のちにその一部始終を書き残す。もちろん「書く」のではなく、告別式の最後に会葬者を前にして「父は……こういう人でした」と手短に「話す」こともあるでしょう。いずれにしても、誰にとっても否応なくそのことを受け止め、消化しなければならない時がやってきます。そして作家はしばしば、この出来事を文章によって表現します。

 今思い出すだけでも、いくつかの名作が浮かんできます。たとえば、安岡章太郎氏の小説『海辺の光景』は、母の死を描き、戦後文学の名作のひとつになっています。また、谷川俊太郎氏の詩「父の死」(詩集『世間知ラズ』所収)も、その死と葬儀をめぐる光景をあえて簡略に、乾いた手つきで描きながら、残されたものの心の輪郭を映し出す特別な作品になっています。

 沢木耕太郎氏もまた、父の死を看取り、その一部始終をこの作品に描き出しました。沢木氏の濁りのない目と明晰な意識によって、病に倒れた父がどのように死を迎えていったのかを、過不足のない端正な文章で綴っている──この点において、『無名』という作品は極めてオーソドックスに、父の死を描こうとしているかに見えます。しかし、『無名』には、安岡氏や谷川氏の作品とはどこか気配の異なる世界が展開しているのです。

 なんとも説明しつくせない、名状しがたい何かが『無名』には潜んでいます。それは、沢木氏の父が胸の奥深くに抱えたまま、息子にも妻にも娘たちにも言わずにいた何かに、沢木氏がどこかで確実に感応し、迫っているからだと思います。一生の秘密と言えばおそらく大げさになってしまうような、しかし、その人の人生を音もなく決定づけてしまったごく僅かの分量の「謎」に、沢木氏の心が触れているのです。

「私は父が感情の抑制を失うところを見たことがなかった。話し方は常に理性的だったし、振る舞いにおいても度を超すことがなかった」と描かれる父には、明るい森の奥で突然湧き出す濃い霧のように、どこか不確かで、見通すことのできない何かが残されているのです。

 この「謎」が、『無名』の後半を、懐の深い物語へと導いていきます。単なるノンフィクションでも単なるフィクションでも書き得なかったかもしれない微妙な何か。それはいったい何と説明すればよいのでしょうか。

 9月4日のメールマガジンで触れた、漱石をめぐって吉本隆明氏と交わされた江藤淳氏の言葉は、『無名』を評する言葉として、そのまま使うことができるのではないかと感じます。その部分をもう一度引いてみます。

「江藤:人はいろんなことを言います。あいつは平凡なサラリーマンとして一生を送ったとか、あるいは、奔放な人生を送ったとか、なんとか言うわけですね。僕らはそういうことをしょっちゅう言うわけです。だけどだれもわかっちゃいないんですね。沈黙の言語がどんな音楽を奏しているか、それは容易なことではわからないですね」

 圧倒的な読書家であり、奥行きの深い知識を持った人でありながら、表現者としてはついに表舞台には出なかった「無名の人」としての沢木氏の父。彼はいったいどういう人だったのか。病に倒れた父の看病を続けるうちに、実の親であるがゆえに、かえってその生涯についてあらためて尋ねることもなく過ぎてしまった沢木氏のなかに、ある種の焦燥感と、囁き声に聞き入るような探求心が芽生えていきます。解けない謎としての父の存在は、自分はどこからやってきて、どこへ行こうとしているのか、という根源的な問題にも密かに触れてくるのです。

 父の「謎」は、そのまま沢木氏自身が抱える何かにまで、地下茎のようなものを通って繋がっているのではないか。そもそも沢木氏は何故、「書く」ことを仕事にしていったのか。そのエネルギーの根元には何が横たわっているのか。単なるノンフィクション作家とは言い切ることのできない沢木氏の、静かに抱える「闇」のようなものまでもが、『無名』の向こう側に仄見えてくる気がするのです。

 雑誌に発表した短篇をのぞけば、沢木氏にとって唯一の小説作品といっていい長篇『血の味』が、なぜ書かれることになったのか。この問題についても、『無名』はひとつの答えをもたらしています。そして、ひょっとすると、沢木氏のノンフィクションの仕事についても、ある光を投げかけるものとして『無名』を読み解くこともできるのではないか。『無名』の対極にあるかのように見える『深夜特急』でさえ、この作品の登場によって、微妙にその色合いを変えて姿を現してくるような気もするのです。『無名』はそのように、ひっそりと重層的な構造を持った作品であり、沢木氏にとって大変重要な意味を持つ作品として記憶されてゆくでしょう。
All right reserved (C) Copyright 2003 Shinchosha Co.