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『忘れられる過去』荒川洋治(みすず書房)


 翻訳書のシリーズ、「新潮クレスト・ブックス」をスタートしたとき、シリーズに収録される海外作家の自宅や仕事場を現地に訪ねてインタビューし、小説作品の一部も掲載したムックを編集しました。一冊目は『来たるべき作家たち』、二年目に出したのは『海外作家の文章読本』(いずれも小社刊)。

 そのときのこと──。ある新聞の文化欄で、ムックに登場する海外作家の顔を引き合いに出しながら(正確な文言は思い出せないのですが)、「これらの作家は皆、顔からして何か物足りない。作品もその程度のものではないか」というような趣旨のことを書いている恐るべき時評子がいました。それが、荒川洋治さんでした。

 編集した人間としては正直言ってムッとしたのですが、しばらくすると荒川さんの言葉の納まりどころを自分のなかに見つけたような気にもなりました。H氏賞を受賞した荒川さんの初期の代表的詩集『水駅』に鮮烈な印象を持って以来、荒川さんの書くものなら詩集であってもエッセイであっても気がつけば必ず目を通しているので、その直感的な批評の確かさはよくわかっています。荒川さんの指摘は理不尽なものではない、と感じるのです。しかし時評を読んだ編集部の同僚とは、顔を見合わせて苦笑いするしかありませんでしたけれど……。

 荒川さんの批評文には独特の生理、リズムがあります。頭の中で透明な硬い部品を組み立てるというよりは、実際に目の前にあるモノの皺の寄り方とか、並び方とか、噛みごたえとか、動き方の癖のようなものを丹念に観察し味わって、そこから一転、手品師がふところから白い鳩を取り出すかのように、独特の感想や理屈をポンと提出するのです。

 その手品を何種類も味わえるのがエッセイ集である本書です。手品はそのつどタネが違います。しかしその視線や手つきや歩調が一貫して見えるのは、本書が「読書」とその周辺を逍遥しているからでしょう。柳田國男、芥川龍之介、結城信一、島村利正、近松秋江、イプセン、高見順、伊藤整、スタインベック、網野善彦、瀬戸内寂聴、色川武大、保田與重郎、中野重治、木山捷平、室生犀星、国木田独歩……といった人々とその作品を取りあげながら、おそらくそれまでは誰も指摘しなかった、新しい発見、新しい見方を鮮やかに呈示してくれるのです。

 たとえば、「三島由紀夫は詩では笑えなかったが、小説のなかでよく笑った」という文章。ここだけを取り出すと唐突に聞こえるかもしれませんが、このエッセイの冒頭は「子供の詩ができあがっていく過程には定則が存在する」という文章で始まっています。つまり詩を書く人間の生理が、子供の心理をひもときながら語られるのです。三島由紀夫が七歳のときに書いた詩への言及から続いて、その後、二十歳の三島由紀夫が書いた詩の断片が診察台に載せられます。三島由紀夫という人間をその詩の立ち居振る舞いから読み解く角度がいかにも荒川さんらしく、素晴らしい切れ味なのです。

 また、新聞に発表された短い文章を読むと、文学に必ずしも強い興味を持っていない読者にも言葉が届くよう、あれこれ思案と検討を重ねたのち、直球を繰り出す姿勢も鮮やかです。白眉は、「産経新聞」に載った「文学は実学である」という文章。以下はその一部です。

 この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである。
 だがこの目に見える現実だけが現実であると思う人たちがふえ、漱石や鴎外が教科書から消えるとなると、文学の重みを感じとるのは容易ではない。文学は空理、空論。経済の時代なので、肩身がせまい。たのみの大学は「文学」の名を看板から外し、先生たちも「文学は世間では役に立たないが」という弱気な前置きで話す。文学像がすっかり壊れているというのに(相田みつをの詩しか読まれていないのに)文学は依然読まれているとの甘い観測のもと、作家も批評家も学者も高所からの言説で読者をけむにまくだけで、文学の魅力をおしえない。語ろうとしない。

 荒川さんは自身でも紫陽社という出版社をひとりでつくり(このことの経緯も、本書に収録されています)、数々の詩集を世に送りだしてもいます。出版という仕事のあれこれをからだで覚え、印刷所や書店の人々とのきめ細かいやりとりも経験し、言葉を送りだす仕事に付随する、ごまかしようのない「経済」という現実について、確かな感触を持っている人です。それでもなお弱気にはならないところは、出版社に勤めるひとりとして、まさに「叱咤激励」される思いです。

 本書は、本のあれこれを論じているだけではありません。実は、私が本書のなかでいちばん心を動かされたのは、「すきまのある家」というたった二頁の文章です。荒川さんの故郷の家に、夏のあいだ三日間帰省したときの、静かな出来事を綴ったもの。登場するのは、荒川さんと母親と小さな生き物たち。これはほとんど掌編小説だと言っていいのではないでしょうか。それも、人のかたくなった心をやわらかくするような……。何かに追い立てられているかのように感じ、疲れているときには、この文章をぜひ読んでみてください。
 これこそが文学の力だと思います。
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