特集「さようなら、こんにちは 河合隼雄さん」では、河合先生とそれぞれに深い親交を結ばれた9人の方々に、追悼のエッセイをお寄せいただきました。鶴見俊輔さん、梅原猛さん、工藤直子さん、佐野洋子さん、松岡和子さん、中沢新一さん、梨木香歩さん、茂木健一郎さん、そしてよしもとばななさん。イラストを添えてくださったのは、河合さんのご本の装画を幾度も手がけられた安野光雅さんです。

 どの方にとっても、河合隼雄さんという存在が、かけがえのないものであったこと、そして河合さんにとっても、この方々とともに過ごされた時間が喜びにみちたものであったことが想像される、万感こもる追悼エッセイです。ここにその一部をご紹介します。

鶴見俊輔
河合さんには、人を見通す力がありました。私が何を求めているかを彼は知っていたし、何が本意でないかということもまた知っていた。それこそ獣のごとく知っていた。そして無用な人間関係からは、狡知を凝らして私を守ってくれた。

梅原猛
故桑原武夫先生は、河合氏についての話になるといつも、亡き親友の心理学者のお別れの席で河合氏が号泣したことを語っておられた。また夫人との結婚披露の席でも河合氏は新郎として感激のあまり号泣したという。河合氏は内に熱血の魂を秘めていたのである。

工藤直子
(わたしもナニか楽器をやりたい!)と決心したのは、そのころ催された還暦祝いの会場での、河合さんのフルート演奏を聴いたときである。カッコよかった!(中略)深くてでっかい「河合隼雄」さんという世界の、音楽という部分で遊んでもらえたことが、どんなに嬉しかったか。

佐野洋子
先生はおひさまにあててポカポカふくらんだ坐ブトンの様な顔をしていた。そして細い目に小さな黒目が上についていた。私はその目がこわかった。先生はいつもふくらんだ坐ブトン顔で笑顔で優しかった。でもあの細い白目の上についた黒目が、もしかしたら決して笑っていなかったのではないか。

松岡和子
ああ、どの対談でも実によく笑った。いつもいつもオモロかった。初対面のとき「河合先生の大ファンです」と申し上げると、「最近そう言われることが多くてね、困ってるんですよ……フアン神経症でね」、とそもそも大笑いから始まったのだった。目をつぶると、笑顔の河合さんしか浮かんでこない。

中沢新一
先生は権力組織の中心部に、「笑うチェシャ猫」として居座ることによって、そこを局所的な「中空構造」につくりかえてみせようとしたのではないか。(中略)「説明もせず、言い訳もしない」武士道風ないしは英国紳士風の矜持をもって、先生はこの列島の上に「笑いだけを残して」去っていかれた。

梨木香歩
作家になった私が書いた、『裏庭』という作品に、河合氏が解説を書いてくださっている。その最後の文章は次のようなものであった(中略)。「人間にとって、『庭』はおそらく完成することはないのであろう。死ぬまで――いや、死んでからも――庭師の仕事は続くのであろう」。河合隼雄という物語はまだ終わってはいない。哀悼の言葉など、述べる気にならない。

茂木健一郎
「私はねえ、人生を何倍も経験しているような気がするのですよ」河合先生はしみじみと言われた。人の悩みを聞く。夢の分析をする。事象の間の脈絡を読む。近代科学が現実を分析する道具としてきた「統計」の限界を超えた所に、河合先生は新しい知のあり方を見ていらした。

よしもとばなな
私たちがみんな河合先生を当てにして、手放したくなくて、いてほしくて、地団駄をふみたいような気持ちだったから、きっと河合先生はあのときに直接旅立つことをしなかったんだなと私は思う。みんなに時間をかけてゆっくりあきらめてほしかったんじゃないかな。