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神吉拓郎『男性諸君』(文春文庫・品切れ)


 次号の特集は「大人のための読書案内」です。
 それじゃあ「大人」とはどういうものか。特集のタイトルをつけておきながら、大人についての定義をはっきりとできるかどうか、自信がありません。どうも世の中全体が、大人であることをお互いに要求しなくなったのではないか……、と社会のせいにしても始まらないのですが。

 特集の編集作業を進めながら、「大人ってなんだろう?」とぶつぶつ呟いていたら、後ろから軽く肩を叩かれたように頭に浮かんだのは、神吉拓郎さんの悠揚として迫らぬ笑顔でした。1994年の6月に65歳で亡くなった神吉さんは、一言で言えば短篇小説の名手です。代表的な短篇集には『ブラックバス』や直木賞を受賞した『私生活』などがあります。

 神吉さんは短篇小説の素晴らしさばかりではなく、その人柄の魅力によって今も誰かがどこかで思い出し、「そういえば神吉さんは……」と話をしているような気がする、そんな人です。どこがどう魅力的なのか。神吉さんの文春文庫版に載っているプロフィールが(これはひょっとするとご本人が書いたのでは?)と思わせるような内容です。そのまま引用します。

 1928(昭和3)年、東京生れ。昭和24年ラジオドラマ執筆を期に放送作家の世界に入り、かたわら雑誌のコラム、雑文、短篇小説などを手がける。睡眠、スポーツなど、無用のことのみを好み、浪費を愛する。信条は「細く長く」と「人生には急ぐべきことは何もない」。

 2000年には七回忌のパーティが開かれました。このパーティが実に素晴らしい会で、誰もが神吉さんを偲んで集まることができる、それ自体のうれしさでにこにこしており、たとえば小沢昭一さんの、あるいは柳家小三治さんのスピーチが「神吉さんが好きで好きでたまらない」という気持ちと「こんなにいい会になってコンチキショー」という友人の嫉妬が絶妙にカクテルされたものになっていて、スピーチ史上に残るような挨拶だったのを覚えています。亡くなってもこれだけの人に懐かしまれることは、なかなかないものだろうなあ、と思ったものでした。

 その神吉さんは、エッセイの名人でもありました。「人生には急ぐべきことは何もない」というスタンスだから、いろんなものが目に入り、それをゆっくり考えて、ひとひねりしてから差し出す余裕があったのだと思います。考えてみれば、せっかちというものはエッセイ的なるものの対立概念なのかもしれません。吉田兼好だって鴨長明だって、おそらく「人生には急ぐべきことは何もない」と思っていたに違いありません。

 そして神吉さんのエッセイで、私が特に好きで何度か読み返したものは、『男性諸君』に入っている「お洒落」という一篇です。冒頭はこのようにして始まります。

これは、すこしキビしすぎる、とお考えになる方もあるかも知れないが、私が思う[お洒落な人]の資格です。おシャレを自認、または自負していられるお方はぜひ、ご笑覧あれ。

 そして、以下には神吉さんの考える「お洒落」の条件を、箇条書きに全四十九項目、並べていくのです。その全文は文章のリズムや呼吸が考えられた配置になっているので、本当はぜひ本そのものにあたっていただきたいのですが、その中でも特に「そうか……」と得心のいったものを七つだけ引用してみましょう。

 一、相手の距離、部屋の広さなどによって、話し声の音量に、実に適当なコントロールが出来

 一、しかも流暢にながれず

 一、せがまれなければ猥談はしない

 一、財布をとり出して、支払をすませるまでが手早く(心臓手術のごとく、冷静確実かつすみやかでなければいけない。財布をあつかう要領は、ドライアイスをあつかうと同じと考えてもいいかもしれない。長く手に持っているとヤケドすると思ってみ給え)

 一、ときに相手を震えあがらせるほど意地悪な目つきを持ち(勘定書を点検する場合など。ビーフステーキの肉などを見る場合も同じ)

 一、百知っていることは、七十まで話し(百知っているのに、三十までで留めるのは、相手に失礼である)

 一、その人の口から出ると、本当と嘘の区別がつかない程である。

 ……という神吉さんの「お洒落」の定義は、そのまま「大人とは何か」の定義に差し替えることもできるのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。

 神吉さんの本を取り上げようと思い、さきほどインターネット書店で在庫を調べたら、『男性諸君』ばかりでなく、『私生活』も『ブラックバス』も新刊では手に入らないことがわかりました。うーむ。

 最近、出版社は図書館を目の敵にする気配が濃厚になってきましたが、とんでもない。図書館はこういう時にこそ強い強い味方です。ぜひお近くの図書館で神吉拓郎さんの本を探してみてください。もし『私生活』なら見つかったけど、小説でしょ? という方がいらっしゃるようでしたら、「それならば、そのなかの『鮭』という一篇だけでも、だまされたと思って読んでみてください」と申し上げることにしましょう。
 
 ともあれ……「神吉拓郎よ、永遠なれ!」と声を大にして、筆を置くことにします。
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