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南伸坊『本人の人々』(マガジンハウス)


 南さんの「個人授業」シリーズをお読みになったことはありますか? 岡田節人(生物学)、多田富雄(免疫学)、養老孟司(解剖学)、河合隼雄(心理療法)といった錚々たる学者諸氏を相手に、それぞれのフィールドで研究していることや実践していることの中身について質問しながら「要するに○○学とはどういう学問か」を巧みに引き出す名シリーズです。

 巧みに引き出す、という点では本書も同じです。ここは「まえがき」から引用してみましょう。

「ひとはそれぞれ本人である。そしてひとり自分だけが本人であると思い込んでいる。
 そこの虚をついて、本人になりすます、私のような者がいるということだ。そんなことをして、一体どうしようというのか? と疑問に思う向きもあるかもしれない。悪気はないのである。
 私は単に、人間をわかりたいと思うばかりである。昔から『ヒトの身になって』考えよという。なかなかそうはいかないのだが、それは人々が『ヒトの身に』ならないからなのだ。私は文字通り『ヒトの身』になってみようと思った」

「したがってこれは人物批評といったものとは根本的に違うものである。なにが近いかといえば、恐山のイタコに近い。イタコが故人を呼びよせて、故人になりきって話すとき、たとえばマリリン・モンローが東北弁であったとしても、聴く耳を持った人には、マリリンの声として聴こえるように、私の本人術も、あるいは受け手の『才能』というか『能力』にかなり期待せざるを得ないときもある」

 骨相とか人相とかいうものも、何か運命的、絶対的な響きのある言葉ですが、本書を見ていると、顔というものがいかに不確かで自由度の高いものであるかを見せつけられるように思います。おそらく五秒か十秒もたせるのがせいいっぱいのポーズと表情を見事にとらえた写真じたいも素晴らしい。またコンピュータ・グラフィックス全盛の今日にあって、南さんの顔には手描きのメイクがほどこされているのも味わい深い。調達してきた「本人」仕様の衣服を周到に準備したスタイリストであり写真担当でもある妻・南文子さんの、裏方としての才能と力量にも脱帽せざるを得ません。

 ……いずれにしても本書の魅力はあれこれ講釈するよりも、まずは現物を見ていただくしかないでしょう。最後に本書から三人だけ転載させていただいて本書の紹介を終えることにします。
 
 
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