Kangaeruhito HTML Mail Magazine 056
 三水

 先日ちょっとびっくりしたのは娘の国語の練習問題を横目で見ていたときのことでした。「涙、海、波……」とサンズイの漢字を書き出させて、部首がサンズイの漢字の共通点を考えて書きなさい、というもの。内心「これは簡単」と見ていたのですが、娘が「決」という漢字を書き加えた時、「?」と思ったのです。決断、決心の「決」は果たして「水」と関係あるものなのか?

 そこで私は本棚から白川静氏の『字統』を引っ張り出し、調べてみました。「決」とは要するに、洪水の際、川の堤防の一部を切ることによって大規模な氾濫による被害を最小限に食い止める、その判断と行動を想起させる文字なのです。「決」の文字からサンズイを取った後のかたちは、手に刃物を持ってえぐり取る動作を示すものらしく、「決」には、いざという時に、多少の被害は覚悟して、最悪の事態を避けることを決心する意味が込められているようなのです。

 水をイメージさせないサンズイの漢字は他にもあります。「法」はどうでしょう。もともとの文字はもう少し字画の多い難しいものなのですが、『字統』によれば、神を欺き、神を穢した者を海のかなたに遠く流すことから来ています。つまり犯罪者を海に投げ捨てる古代的な刑罰の法を原義とし、「法」もまた大いに水に関係があるようです。

「派兵」や「派遣」の「派」は水とどう関わりがあるのでしょうか。文字のかたちにもそれは現れていますが、川がいくつかの支流となって分かれることから、「別れる」とか「遣わす」の意味を持ったようです。「遣唐使」ではありませんが、「行ったら最後、戻っては来られない」というようなニュアンスさえ感じられます。こうしてみると、サンズイをめぐる漢字には、どこか意を決する要素が少なからず含まれているような気がしてきます。

 アフガニスタンやイラクの映像を見ていると、ここに深々とした森林が広がっていたらどうだろうと思うことがあります。一神教と多神教は前者が砂漠から生まれた思考で、後者は森林から生まれた思考であるとは『森林の思考・砂漠の思考』のなかで展開されていた鈴木秀夫氏の説です。約五千年前に地球の乾燥化が始まって肥沃だった土地が砂漠化し、それまでは多神教的だった人々の思考が、砂漠を支配する太陽の存在によって、唯一神的なるものへと変化したのではないかという仮説でした。つまり、キリスト教もイスラム教もそのような出自を持つという点で兄弟と言ってもいいでしょう。

 日本語の文法は多神教的思考から来ているのではないか、と思いたくなることがあります。つまり言葉で何かを伝えようとする場合、その結論は変幻自在。しゃべりながらでも周囲を見渡しつつ文末をいくらでも修正することが可能な構造になっています。「私はあなたのことが好き」……「だ」なのか「じゃない」のかは、ぎりぎりまでわかりにくい。「先送り」が得意な文法です。しかしこの思考法では砂漠で生きていくのは難しいかもしれません。こっちへ行くか、あっちへ行くかを最初に決めて行動を開始しなければ、あっという間に太陽は真上から私たちを焼き焦がそうとするでしょう。しかし砂漠の思考は、最初にどちらかに決めてしまうそのこと自体で、いちかばちかの危うい戦いにならざるを得ません。自分の首を自分でしめる場合があるはずです。こうして考えると、森林の思考の融通無碍な受動性は、人間の生き方のひとつの智恵なのかもしれません。

 ベトナム戦争では「ベトコンの隠れ蓑」になっていた熱帯樹林が枯れ葉剤や爆撃で徹底的に傷めつけられました。しかし今は森もよみがえり、当時の傷跡はよくよくたどって見なければ目立たない状態になっているようです(枯れ葉剤による人間への障害は今もなお大きな問題として残り続けているのはもちろんですが)。何か、大きな感情が森林のどこかに吸い込まれていったような気さえします。ベトナムの人々のアメリカに対する憎しみの度合いは、受けた被害に見合うほどもない、と言う人もいます。日本人もまた、アメリカに対する大きな感情をどこかで水に流したとしか見えないのは何故だろうと思います。ベトナムも日本も、森林に覆われた国のかたちが、目に見えないものの実は大きな役割を果たしたのではないだろうか、と想像はさらに飛躍していきます。

 日本よりも遥かに早く文明を築き、森を根こそぎ切り拓いた中国の、考え方や行動から生まれてきたはずの「決」や「法」という漢字は、日本人のこころのあり方にはあまり馴染まないものだったのではないか、と想像します。しかし文字を持たなかった日本人は千数百年前に漢字を「輸入」して、日本語の書き言葉として採用することになってしまった。しゃべっていた言葉に、無理矢理漢字を当てはめていったり、あるいは漢字に込められた概念をそのまま借りたというややいびつな書き言葉の歴史が刻まれているのです。そのあたりの事情については、高島俊男氏の『漢字と日本人』(文春新書)にわかりやすく書かれていますので、未読の方にはぜひおすすめしたいと思います。

 英語の文法と中国語(という言い方は正確ではありませんが)の文法が似ているのは、森林を根こそぎにした歴史の共通性にも通じるところがあるのではないでしょうか。南米の熱帯雨林に暮らす現代文明と交流をしない部族が、文字をもたないケースが多いのも、やはり森にその理由を求められるような気がしてなりません。学問的な根拠が何も無いといえばお終いですが、そんなことを夢想します。

 九十三歳になる白川静氏の『常用字解』という辞典が間もなく刊行されます。中学生以上の読者向けに、常用漢字千九百四十五字に絞って字形とその意味の関係をやさしく解説するものだそうです。漢字の世界に含まれる歴史の奥行きは、私たちの想像を遥かにしのぐものがありそうです。白川氏のこれまでの労作が、どのような形で「やさしい」ものに実ったのでしょうか。19日の発売が待たれるところです。娘の国語の練習問題を見ることで、久しく忘れていた勉強の面白さを再発見した私も、ぜひ手に入れてみようと思っています。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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