Kangaeruhito HTML Mail Magazine 065
 

アリステア・マクラウド著・中野恵津子訳『冬の犬』
(新潮社)


 ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング、レナード・コーエン、ザ・バンド……カナダ出身のミュージシャンたちの音楽には、どこか荒涼とした風景にもつながる、寂しさや厳しさが漂っています。それは何故だろうと、ときどき不思議に思っていました。歌には男女の問題も描かれます。しかしそれはお気軽なラブアフェアとはとても言えない、どこか宿命を背負った重苦しさのようなものすら感じさせるのです。

 アリステア・マクラウドはカナダの作家です。1936年にカナダのサスカチェアン州に生まれました(ちなみに、ジョニ・ミッチェルが幼い頃に過ごしたのも同じ州)。マクラウドは、約三十年のあいだにたった二冊の短篇小説集と、長篇小説をひとつだけ発表している大変寡作な小説家です。本書は1977年から1999年までの二十二年間にマクラウドが発表した八つの短篇がおさめられています。

 こんな手ごたえのある短篇小説は、久しく読んだことがなかった。いや、こんな短篇小説をこれまでに読んだことがあるだろうか──。最後の短篇を読み終えた時、それ以外に表現しようのない感想を抱きました。生涯にたった一度の出会いにも似た経験を、この一冊の本が用意してくれたのです。他の誰によっても、このような小説が書かれることは難しいでしょう。それはこれらの作品が、マクラウドという人間の生きてきた道程がなければ絶対に書かれることはなかったであろう世界だからです。二十二年間にたった八作ということの意味がひしひしと迫ってくる、畏るべき八つの短篇。

 マクラウドのそれまでの人生と、マクラウドの一族の物語(と読むことのできる構造にはなっていますが、もちろんそこには小説家のたくらみや虚構もふくまれているでしょう)は、一族をこの地、この世に導いた祖先たちの神話にも連なっています。厳冬の島の小さな家族の物語と見えたものが、時空を超えて古きスコットランドの、そして故国を逃れてやって来たカナダという国の物語にも変貌するのです。しかしそれは、「ファンタジー」でも「歴史小説」でもない。下手に手に持とうとすればそのごつごつとした岩のような物語に手を削られて、深い傷を負いかねない、ひとりひとりの人間の畏るべき「生」の物語として描かれているのです。

 表紙カバーの内容紹介にはこう書かれています。
「役立たずで力持の金茶色の犬と少年の、猛吹雪の午後の苦い秘密を描く表題作。ただ一度の交わりの記憶を遺して死んだ恋人を胸に、孤島の灯台を黙々と守る一人の女の生涯。白頭鷲の巣近くに住む孤独な『ゲール語民謡最後の歌手』の物語。灰色の大きな犬の伝説を背負った一族の話。──」

 この短篇小説集には、しばしば犬が登場します。彼らは愛玩動物ではありません。厳しい自然のなかで人とともに生き、大きな役割を担い、人の運命を左右し、そしてどこかへ消えてゆくものです。犬は時にオオカミのように人を懼れさせ、人に試練を与えます。彼らの吐く息も、雪に濡れた毛の匂いも、うなり声も、姿の見えない神の言葉に似ているような気がします。犬の存在じたいが、どこか神話的なのです。現代小説のなかで、犬がこのように描かれた作品を私は知りません。

 都市生活が急速に地球を覆い尽くすまでは、人間の生活とはこういうものだったのだ、と思い起こさせることにおいても、マクラウドの短篇小説は特別です。私たちはカナダの厳冬の暮らしを経験したことがありません。人里離れた山の上で暮らしたこともないのです。それでもこの短篇に描かれた人間の暮らしを知っていると感じます。日本人である私たちの魂の奥深くにも届く力がここにはあります。氷の海に落ちるということがどういうことなのか、一度も経験したことのない人間にも、「氷の海に落ちるということは、こういうことなのだ」と思い起こさせる、マクラウドの言葉の力には畏るべきものがあります。

 カナダという土地が生んだ希有な小説家の作品を通読するとき、私たちは「畏れる」ということにふたたび思いを馳せるはずです。私たちは危険というものを限りなくゼロに近づけようとして生きています。しかし、それでもなお、人間の生とは、なんと危ういバランスの上に成り立っていることか。自然のなかで生きる人間の、根源的な生理や感情に触れるとき、私たちは自分の人生を少しばかりこわごわとふり返ることになるでしょう。
All right reserved (C) Copyright 2004 Shinchosha Co.