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玉村豊男『種まく人』『草刈る人』(新潮社)


 次号の特集「限定生産はなぜおいしい?」で取り上げる、玉村豊男さんの「個人ワイナリー」のいわば「前史」が、この二冊のなかに描かれています。

 横山大観の「ライバル」とも目されていた日本画家・玉村方久斗の八人兄妹の末っ子として玉村さんは生れました(方久斗は、「小説新潮」で坂口安吾の連載の挿絵も担当していたようです)。玉村さんは、学校群制度になる前の、日比谷高校の「ライバル」と目された都立西高校を経て東大仏文科を卒業した、いわば正統派の優等生でした。

 テレビ局への就職が内定しながらも、研修での雰囲気に嫌気がさしてさっさと辞めてしまい、フランスに留学します。パリで通訳やガイドの仕事をしながら文筆生活に入り、初期の代表的な作品『料理の四面体』で、日本の食のエッセイの世界に新風を吹き込んだのが一九八〇年のこと。

 しかしその頃の玉村さんは、あくまでも都会派のエッセイストでした。『種まく人』の著者紹介から引用すると──「東京都杉並区に生れる。その後約22年間西荻窪、国分寺と中央線沿線で暮らした。27歳のとき親の家を離れて都心のアパートに移り、今度は都会のまっただなか、六本木、西麻布、麻布十番、三田、白金台を転々とする。朝は弱く、夜に強い典型的な都会型人間であった。83年、37歳のときに軽井沢に家を建て、転居。7年間の田舎暮らしを経験の後、本格的な晴耕雨読の生活をめざして長野県東部町に農地をもとめ、91年から広大な農園を擁する『ヴィラデスト』での生活をスタートした」

 玉村さんは東部町(現・東御市)に引っ越してくる数年前に、軽井沢で大量の吐血をし、その後肝炎になってしまいます。東部町に移る頃の心境は、『種まく人』に記されているとおり、「死ぬ場所」を探すような、煩わしい他人との接触を避けて「隠遁」するような、どちらかといえば「撤退」のニュアンスがこめられていたようです。しかし農作業を重ねるうちに体調も回復し、都会派だった面影も、鍛えられた逞しい体型へと変化してゆきます。以下、『種まく人』より。

「きょうも、一日が終ろうとしている。
 暗くなって、足もとも覚束なくなる頃、農具を抱えて、重い足取りでようやく畑から帰ってくる。からだは泥のように疲れているが、満ち足りた心をもって。
 どんな疲労にも、徒労というものはない。
 なにかを犠牲にしてまでやり遂げる価値のあることなどなにもあるまいが、かといって、どんなささいなことにも、それなりのやるべき価値はあるものだ。
 日がな一日雑草取りに時間を費したとしても、損もしないし、得もしない。
 雑草は生え、抜かれ、また生える。
 それは、私たちが生まれてくる前に長い長い無辺際な時間があり、私たちが死んだあとにまた無辺際な時間が永遠に続くのに似ている。
 ただ、そうして、一日を過ごす(やるべきことがあってそれをやる、終らなくてもよいができるところまでやる)ことじたいが重要であり、人生とはそうして与えられた時間を死ぬまで過ごすことなのかもしれないと、漠然とだが、しだいに私は考えるようになってきている。これも、農という営みの功徳、だろうか」

 続篇の『草刈る人』では、三千五百坪だった農園がさらに五千坪まで拡大し、スタッフも少しずつ増えていく様子も描かれています。そのなかの「農業」についての記述。

「コンピュータの仕事と、畑の仕事は、根本的に違う。仕事に必要とされる感覚がまったく違うのである。
 コンピュータの仕事は、ディスプレイにあらわれる世界を覗く仕事である。目の前の画面をスクロールして次々と映し出される情報を追っていけば、いながらにして無限の世界を目にすることができる。ただし、そこに見える映像は誰かがすでにある意志をもって現実の世界から切り取ってきたものばかりであり、また、全体は細部の連続としてしか見ることができない。情報を検索するにしても、見えない闇の中からひとつひとつを引っぱり出してくるような作業で、はじめから全体が一覧できるわけではない。
 農業は正反対である。
 畑に立って見える世界はコンピュータの画面に映る世界よりはるかに狭いが、しかし、見えるものは一挙に目に入る。何反歩かの農地がひとつの視野の中にあり、トマトが赤い果実をつけ、キュウリが収穫を待ち、ナスの支柱が風で倒れていて、ブドウの蔓が葉にからみついている。農夫は空を見上げ、土のようすをたしかめ、それからきょうはどの仕事からとりかかろうかと考える……」

 それぞれの引用からおわかりいただけるように、玉村さんは農作業をしながら、まさに「考える人」なのです。人生とはいかなるものであるのか。農業というものは、人に何を与えるのか、そして何を考えさせるのか。哲学的ともいえる思索のあとが、この二冊にはぎっしりと詰まっています。

 農業をめぐる作品はこれまでにも数多く書かれています。少し考えるだけでも、宮沢賢治の著作や、吉野せい『洟をたらした神』など、名作傑作も目白押しです。しかし、高度経済成長以降、「田舎暮らし」をめぐる著作は溢れているものの、農業と人間について、個人的な立場で、経験に基づいて、深く洞察した本はほとんど書かれなかったのではないかと思います。農業の本質と人生の過ごし方の探求において、玉村さんの著作の右に出るものはないでしょう。

 五月には、いよいよ三部作の完結篇『花摘む人―ヴィラデスト・ワイナリーができるまで―』が刊行の予定です。
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