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21世紀の日本人へ 笠信太郎(晶文社)


 1900年生まれのジャーナリスト、笠信太郎(りゅう・しんたろう)を御存知でしょうか? 60代以上の方なら、100万部を超えるベストセラー『ものの見方について』(1951年刊)の著者として記憶しているかもしれません。しかし、60年安保以降生まれの世代にはあまり馴染みのない名前となってしまいました。

 笠信太郎は1940年、ちょうど40歳になる年に朝日新聞ヨーロッパ特派員としてドイツ駐在の辞令を受けます。翌年6月に独ソ開戦。同年10月には北欧のデンマーク、スウェーデンを取材。その直後の12月に太平洋戦争が勃発。笠信太郎はそのまま欧州各国を取材し、帰国のめどがたたないまま、滞在していたチューリヒで日本の敗戦を知ります。1948年に船で帰国。以降朝日新聞の論説委員として、また論説主幹として活躍し、1967年12月に亡くなりました。

 笠信太郎の著作はいまやそのほとんどが古本でしか入手することができません。しかし、時代を経てもその言葉は古びることがありません。そして、今だからこそ読み直す意義が深くなるのではないか……おそらくそう考えたのであろう編集者が、笠信太郎の考え方の核心部を端的に見渡すことができるように、数年前、全7冊のシリーズの一冊として編んだのが本書です。少し長くなりますが、冒頭を引用します。

 イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。――
 誰れが最初に言いだしたことかは知らないが、かつての国際連盟事務局長、後にはオクスフォードでスペイン文学を講じたこともあるスペインの明敏な外交官、マドリヤーガが書いたことである。
 この筆法でいうなら、ドイツ人もどこかフランス人に似ていて、考えた後で歩きだす、といった部類に属するといってよいかも知れない。歩きだしたら、もうものを考えないというたちである。それでは、これに型どっていったら、我々日本人は一体どういうことになるだろう。この四つの型の中のどれに似ているだろう。という我々自身の問題は、しばらく預かることにして、まず話をイギリス人から始めてみる。
 イギリス人は歩きながら考える。――と、走った後でああこれはしまったと考えるスペイン人の一人が批評している。むろん、喩え話にすぎないが、これはよくイギリス人の性格を掴んだものだと私は感心する。
 なるほど、歩きながら考える、ということになると、あまりむつかしいことは考えるわけにはゆくまい。ひどく理屈っぽい学問的なことや哲学めいたことなどを考え考え歩いていたら、自転車にぶつかったり、自動車にハネ飛ばされたりしないとは限らない。歩きながら考えられるようなことは、第一に平明な、やさしいことでなくてはなるまい。それに自分が歩いているということも、同時にしょっちゅう考えていなくてはいけない。ということは、歩いていても、よく四方に眼を配って、路上のものにも気をつけていなくてはならぬということである。町角から何が飛び出してくるかわからない。足もとにも気をつけないと、小石につまずくかも知れないというわけである。

 この冒頭でもわかるように、イギリス人の「歩きながら考える」姿勢は、笠信太郎自身の「かくありたい」姿勢でもあったことでしょう。ジャーナリストの仕事は、十年後、五十年後、百年後を見据えた視点が必要です。しかし日々対応しなければならないのは目先で起こったばかりの出来事や生身の人間のかかわる微妙な問題ばかりなのです。関係者が生き残っているわけではなく、結論も見えている歴史上の出来事をさまざまな視点から論ずるのとはわけが違います。高所大所からきいたふうな理想論ばかり言い立てているわけにはいきません。取り急ぎしっかりと眼を向けて判断し、とりあえずであっても何かを言わなければならない仕事なのです。

 おそらくヨーロッパで見聞きし経験してきた出来事と、戦後の日本で展開する政治、経済、社会にまたがる日常の出来事とは、大きな隔たりがあったはずです。「どうしてこうなるのか?」と切歯扼腕することばかりだったのではないかと想像します。笠信太郎がヨーロッパで経験した戦争は、国家の成り立ちや、民族のあり方や、政治のぎりぎりの現実的選択というものが、眼の眩むような大きな振幅のなかで試された出来事であり、それが眼に見える結果となってまざまざと現れた出来事でもありました。そのような経験に鍛えられた笠信太郎のなかで、戦後の日本についての自分の判断が揺らぐことは、あまりなかったのではないかと思えるのです。

 笠信太郎のもうひとつの代表的な著作に、『“花見酒”の経済』(1962年刊)があります。当時の日本の高度経済成長を“バブル”ならぬ“花見酒”の比喩で批判した本です。まさにその二十年後に始まった日本的バブル経済の本質を見抜き、私たちの生きる現在をも見通したといえる内容でした。1980年代の日本のジャーナリズムは、バブル経済の直中にあって、笠信太郎から学ぶ視点を持っていたといえるでしょうか?

 現在のジャーナリズムの流れは、極めて短期的で横並びであり、ひとつの風がおこると他もいっせいに、遅れないように、同じようになびく、という姿勢がお馴染みとなってしまいました。バブル経済華やかなりし頃、新聞は週に一度ならず「庶民」向けのマネー情報欄を開設し、バブル経済の「火吹き竹」の役割も担っていたことを忘れるわけにはいきません。

 笠信太郎は実にいい顔をしています。しかし、100万部以上も本が売れてもなお、どこか小さな孤独を背負ったような表情をしているように見えるのです。おそらく、日本のジャーナリズムにおいては、本質論を説くことは想像以上に難しいことだったのではないか、と思います。ましてや、「外国帰り」のジャーナリストであればあるほど、「外国かぶれ」「ここは日本だ」というような、やっかみやバッシングがあったに違いありません。

 この本の帯の裏に「この本はみんなに読んでほしい」とあり、続いて「中高生・大学生の自分のための教科書に」という一行がありました。笠信太郎の説くものは、大人が読んで深々と納得し、若者が読んで「そうか」と気づく幅の広さがあります。景気が回復すればすべてよしと言わんばかりに、転んだ痛みを忘れて浅ましく走り出す前に、私たち日本人は笠信太郎の言葉に触れて、明日の、いや今日の日本を「歩きながら」考える力をつけたほうがいい。そんなことを思いました。
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