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藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)


 デンマークの子どもたちは十五歳になると男女を問わず「コンファーメイション」という通過儀礼を受けます。日本語で言えばキリスト教の「堅信式」。幼児洗礼を受けた者が、今度は自分自身の自覚のもとに、これからもキリスト教を信じて生きてゆくと教会で表明する儀式と、その後「報告会」を兼ねて親が親類や友人知人に声をかけ家に招いて食事を共にするパーティのことを総称して、コンファーメイションというそうです(デンマークのキリスト教の宗派はプロテスタントです。プロテスタントの人々にとっては、この行事は世界中どこでも普通に行われていることなのでしょうか。キリスト教に縁がない人生を送ってきたので、私は具体的な行事として行われていることをこれまで目にしたりはしていませんでした) 。

 しかし現在はどちらかと言えば宗教的な部分や意味合いはトーンダウンして、「もうそろそろ大人の仲間入りが近づいたよ」と自覚を促す行事になっているようです。日本の昔の行事で言えば、「元服」と同じではないかと思います。

 デンマークから日本に帰って来て、突然ムズムズと読み返したくなった小説が藤沢周平さんの長篇小説「蝉しぐれ」です。「蝉しぐれ」の主人公の少年はちょうどこのコンファーメイションを受ける十五歳。架空の東北の小藩「海坂藩」を舞台にした成長小説なのですが、小説の冒頭から瞬く間に少年・文四郎の内面と行動にひきつけられ、読み進めるのをやめることができません。

 心身ともに子どもから大人になる、そのまっただ中にいて、勉強もし、剣も学ぶ。友情をはぐくみ、淡い恋心も抱く。その危ういような、ひりひりするような、しかし大人の心の動きを寸分違わず見通す鋭さもある、幼い頃よりも口数が少なくなる頃の少年の姿が、見事というほかない筆致で描かれています。

 私はとくに、物語が始まったばかりのところ、夜半に大雨となって出水があり、共同体の掟としてしかるべき土手を切り崩し、それ以上の被害が出ないようにと男たちが力を合わせて作業をする場面が好きです。この日の夜は文四郎の父は外出しており、家の男を代表して文四郎がその作業に参加します。少しその場面を引用しましょう。

 文四郎が現れると、みんなはいっせいに文四郎を見た。
「おやじどのはどうした?」
 蓑の紐をむすびながら、甚兵衛がどなった。風雨の音が強くて、尋常の声を出したのでは聞こえない。
 文四郎も叫び返した。
「父は親戚の寄合いに行き、まだもどりません。私を連れて行ってください」
「わかった」
 甚兵衛は蓑を着終わり、笠をかぶった。甚兵衛は太っていて背丈があまりないので、蓑笠をつけると文四郎とさほど違いがない。
「十五なら、もう一人前の仕事は出来よう」
 さあ、行くぞと甚兵衛が言い、二人は風雨の中にとび出した。屋敷町を抜け、無人の商人町を抜け、二人は城まで一番の近道をえらんで小走りに走った。前後して同じ道に提灯の明かりが揺れて、やはりひとが走っているのが見えた。
(藤沢周平「蝉しぐれ」より)

 この後の息を詰めて読み進める素晴らしい場面はぜひ本で読んでください。私はこの章の最後に至るところで涙があふれそうになりました。地下鉄の中で読んでいたので、あわててページを閉じました。文四郎はこの大雨の夜にまぎれもなく大人の仲間入りをしたのです。

 デンマークでもコンファーメイションを受けたばかりの十五歳の少年に会いました。今思い返せば、文四郎の姿と、デンマークの少年エミルは、私のなかでぴたりと重なり合う部分があります。私たちは今、この世代の少年たちを「危うさ」というところばかりで見過ぎてはいないだろうか、と思います。彼らが多少の困難を経験して、大人へと脱皮する素晴らしい瞬間を、「蝉しぐれ」という名作はあらためて気づかせてくれるのです。
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