Kangaeruhito HTML Mail Magazine 082
 ホルンはえらい

 年下の同僚に「松家さんは、ほんとトリセツ読まないんだから!」と呆れられたことがあります。トリセツ、つまり「取り扱い説明書」です。携帯電話のトリセツも、DVDプレーヤーのトリセツも、自動車のトリセツも(!)、分厚いトリセツを見ただけで読む気持ちが萎えてしまうのです。箱を開けるとトリセツは脇によけて、まずは新品の実物に触って、ポチポチとスイッチを押してみたり動かしてみたりしたくなるのです。そんな状態ですから携帯電話も通話とマナーモード以外の機能の使い方を知らないまま……。出版部の庶務担当が丁寧に作ってくれた「伝票の書き方マニュアル」もきちんと熟読したことがなく、「松家さーん、また出張精算の書き方が違ってますよー」。

 パソコンの調子が悪くなってサービスセンターに電話したとき、「そちらでお使いのバージョンは?」と聞かれて、「……」。契約が済んで送られてくる保険証書の、びっしり細かい字で印刷された「約款」も読んだことがありません。出張に出かけるときには自分でもあきれるほどたくさん本を持っていき、トイレに行くときも緊急を要する場合でない限り新聞のチラシでも何でも手でわしづかみにして持ち込みますし、牛乳パックに印刷されている「低温殺菌」についての説明もサンドイッチをほおばりながら熟読したりもする重症の活字中毒なのに、なぜかトリセツは苦手です。

 小学生のとき愛読していた石ノ森章太郎氏のマンガ「サイボーグ009」で、そのメンバーのひとりは、どんな機械や乗り物であっても、トリセツを読まずして瞬時に操作法を理解してしまう能力を持っていました。その能力を「あわや!」という場面で発揮し、窮地に陥った仲間を助けていました。トリセツ不要の素晴らしさに「おお凄い!」「かっこいい!」と憧れたものです。すでにあの頃からトリセツ回避の潜在意識が私の中でむくむくと蠢いていたのでしょうか。

 そんな私の前に先日突然現れたのはホルンです。小学校四年の娘が大型犬を引きずるようにして学校から持って帰ってきたのです。この春から吹奏楽クラブに入って、いろいろな楽器を試しに吹いたり叩いたりした結果、担当することになったホルン。その日は尊敬する六年生の先輩に「月曜日までに高いドの音が出せるように練習してきてね」と言われて、まなじりを決して持ち帰ってきたというわけです。

 楽器の素晴らしいところは、収納ケースを開けても、あのにっくき分厚いトリセツがどこにも見あたらないところです。いや、もちろん新品を買えば取り扱い説明書はあるはずですが、それは例の携帯電話の分厚いものとは較べものにならない簡略なものに違いありません。とにかく管楽器は吹いてみて、目の前の先生や先輩から「ここをこうしてみて、ああしてみて、そうそう、その感じ」と言われながら、徐々に腕を上げるしかないのです。現物に触りやってみる。これが最大の近道。我が意を得たり、です。

 ホルンには指で押さえて音階を変える助けをするバルブが三つついています。しかしこれも古楽器のナチュラル・ホルンになると何もついていません。すべて「吹き方しだい」で音階を変えるのです。仮に吹き方を苦心惨憺して言語化したトリセツがあったとしても、それを読むばかりでは上達はしないでしょう。やはり実際に吹いてみるにしくはなし。──というわけで、週末に娘の練習を見ていたら、「吹いてみる?」と言うので吹いてみました。しかし……これが音が出ないんです。顔を真っ赤にしてぶーううううう、と吹いても教室でロッカーを引きずって移動させるような音しか出ない。いやあ、難しい。

 そんな折りも折り、ホルンの素晴らしさを痛感した映像がありました。サイモン・ラトルがベルリン・フィルの首席指揮者に就任する記念演奏会のライブ映像です。マーラーの交響曲第五番の、当時話題になったのは第三楽章でした。サイモン・ラトルはこの楽章の主役をホルンに見立て、ふつうなら定位置に座っている首席ホルン奏者シュテファン・ドールを、自分の指揮台の真横に立たせ演奏させるのです。ホルンが主役。まるでホルン協奏曲のように運ぶ第三楽章のなんと明快でインパクトのある解釈、演奏でしょうか!

 それにしても惚れ惚れとするほど格好いいのはシュテファン・ドールです。娘が吹き始めたせいで急に身近に感じられるようになったホルンに、「今までないがしろにしていた。申し訳ない」とひれ伏したいような気持ちに襲われます。なんでこんな演奏ができるのだろう? なぜあんなにまっすぐで丸くて力強い透明な音を、朗々と、ときには軽々と、そして音程も外さず力強く吹けるのか。第三楽章にすっかり惚れ込んでしまった私は、繰り返し何度も第三楽章ばかりリピートして見てしまいます。

 ホルンといえば今度のアテネ・オリンピックに出場が決まっているクレー射撃の井上恵選手も、武蔵野音大を卒業したホルン奏者だそうです。この組み合わせにはつくづく納得します。ホルンというものは、どこかぴったりとする音のスウィートスポットを吹ききれないと、きれいな音が出ないのです。集中力というよりも「まっすぐ力」とでも言いたいような能力。クレー射撃とホルンはどこか共通するものがある、と思います。

 娘は毎朝早起きをして、始業時間前の「朝練」に通っています。とにかく理屈抜きで練習するしかない。文字を読み、頭で理解するのではなく、からだが覚えるまで繰り返す。おそらく単調な練習を続けているのでしょうが、「今日はこの音がでるようになった」と報告する娘の顔は、初めて自転車に乗れるようになったときの表情を思い起こさせます。

 簡単に音が出るようにホルンの機能を作り替えるのは難しくないでしょう。それをしないどころか、わざわざ演奏の難しい古楽器に取り組む奏者も少なくないのは、やはり人間の面白さだと思います。どんどん便利になり、機能も増え、複雑化してゆく動きと、シンプルに、しかし必ずしも便利にはならない動きとは、それぞれベクトルは正反対を向いていても、それは同じ人間が求める動きなのです。どちらか片一方だけになってしまうのは、いかにも窮屈だ、とだけは言えると思うのですが。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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