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マイケル・ライト 檜垣嗣子・訳
『フル・ムーン』〈新装版〉(新潮社)


 一九九八年の秋のことでした。海外版権の仕事を担当していたとき、出張先のロンドンの出版社で、分厚い手作りの写真集のダミー版を手渡されました。「目が釘付けになる」とはまさにこのことでした。ダミー版をめくりながら「どうしてもこの写真集は出したい」と心に決めました。それがこの写真集『フル・ムーン』です。

 一九六九年のアポロ11号の月着陸を頂点とするアポロ計画のなかで、宇宙飛行士たちが月面活動の片手間に撮影した写真で構成された写真集。しかし、そんな言葉だけの説明ではこの写真集の素晴らしさは到底伝わりません。他社が同じダミー版を見るチャンスがあることはわかっていましたから、真っ先に契約をしたい。日本に長文のファクスを流し契約をしたい旨を伝えましたが、私の妙な興奮は伝わったらしいものの、いまひとつピンとこないようなのです。しかたがないのでロンドンの出版社を説得し、そのひとつしかないダミー版を借りて帰国しました。営業部、宣伝部にも回覧してその凄さを納得してもらい、契約に漕ぎ着けることができた思い出深い一冊です。

 購入して頁をめくってくれさえすれば絶対納得してもらえるだろう、とは思いましたが、黒い画面が多いので書店で何人もの人が触ってしまうと本が驚くほど汚れたようになるため、シュリンク(薄いビニールで封をするもの)をかけての販売になりました。定価は4935円。決して安くはありません。「見せたいけど見せられない」。どうすれば手に取ってもらえるのか。月着陸三十周年の一九九九年六月に全世界同時発売という時間の制約もありました。アポロ11号の隊員が月面に残したブーツの足跡を小社のPR誌「波」の表紙ににしてもらい、「波」のなかの紹介文も書かせてもらいました。ちょっと長くなりますが、その全文を転載します。

「NASAが三十年ぶりに公開に踏み切った映像」

 一九六九年七月二十一日、アポロ11号のニール・アームストロングが人類初の一歩を月面にしるした瞬間は、全世界にテレビ中継されました。私たち多くの日本人もテレビの前に釘付けになり、粒子の荒い画像に見入っていたものです。

 宇宙飛行士とヒューストンの無線交信の合間に、ピーッと鳴っていたあの独特の音。同時通訳の西山千氏のクールな喋り方。映像のほかにも、耳の底にはしっかりと音の記憶が残っています。

 当時六歳の少年だったマイケル・ライトも、テレビを食い入るように見ていました。やがて成長した少年は、探検や風景に興味を持つプロの写真家になっていきます。

 ある日彼は、ささやかな偶然からアポロ宇宙飛行士の手になる一枚のモノクロ写真に出会います。『ライフ』や『ナショナル・ジオグラフィック』に掲載され、月面着陸の写真として有名になった二十枚ほどの写真はもちろん知っていました。しかしその一枚の写真は、それとはどこか違う雰囲気の、人の心を新たに動かさずにはおかない特別な写真でした。

 こうした写真がまだ他にもあるはずだと直感した三十一歳のマイケル・ライトは、一九九四年、NASAを訪ねてみることを決心し、行動に移します。

 昨年、史上最高齢でスペースシャトルに搭乗したジョン・グレンは、今から三十六年前のマーキュリー計画時代、アメリカ初の軌道飛行に臨む直前にスナップ写真を撮ることを思いつき、フロリダのドラッグストアで35ミリの安いカメラを自費で買いました。NASAが宇宙飛行士による撮影に本腰を入れることになったのは次のジェミニ計画からのことにすぎません。

 続くアポロ計画から撮影は本格化し、宇宙飛行士は高級写真機ハッセルブラッドの操作方法を習得した上で宇宙に飛び立ちます。カメラの操作機器は分厚い宇宙服の手袋にあわせて特大サイズになっており、ほとんどの写真は胸に装備されたカメラから、ファインダーをのぞいて構図を決めることなく撮影されました。──それらの写真約三万二千点が、一九九四年にマイケル・ライトが捜し当てるまで、テキサス州ヒューストンのNASA低音保管庫で、誰の目にも触れることなく静かに眠っていたのです。

 NASAと交渉し許可を得て、それからの四年間、彼は宇宙飛行士の撮影による驚異的なクオリティーの写真を一枚一枚徹底的に見、調べ、選別していきました。アメリカとイギリスの老舗出版社が写真集としては破格の大プロジェクトとして刊行の準備を始めます。美術館での展覧会も続々と決まるなか、写真集の構成とデザインが慎重に進められ、イタリア・ミラノの印刷所が写真集のための特別な黒インクを開発し、今回小社から刊行される日本版も含めた全世界の写真集が、この五月に印刷を完了しました。

 二十世紀最大の人類の冒険は、こうして一冊の比類ない写真集『フル・ムーン』へと結実し、月着陸から三十周年の今年六月、全世界同時発売へと待機中です。
(「波」一九九九年六月号より)

 写真集は無事刊行し、想像を上回る売れ行きをしめしてくれました。その後、ひと回りサイズの小さい普及版(価格も半額に近い2520円です)も刊行することになり、本書は現在も入手可能です。宇宙に関心のある小学生や中学生にもぜひ手に取ってもらいたい「世界遺産」級の写真集だと思います。

 来週七月二十一日(水)は、月着陸三十五周年の記念日。私もまた写真集を眺めながら宇宙へと思いを馳せることになるでしょう。
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