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谷川俊太郎『世間知ラズ』(思潮社)


 一九九五年、ニューヨークで初演された武満徹氏の「系図──若い人たちのための音楽詩――」(Family Tree)は、ときどき無性に聴きたくなり、毎年何度かCDに手が伸びる曲です。武満氏は現代音楽の最前線で活躍された作曲家でした(「Family Tree」初演の次の年、武満氏は亡くなりました)。たとえば氏が好んだミュージシャンの一人に、アメリカのシンガーソングライター、ランディー・ニューマンが含まれていたことにも現れているように、武満氏の音楽の奥深くにはロマンティックな、あるいはセンチメンタルな何かがうずくまっていたと思います。「Family Tree」はそれがもっとも素直に羽根を伸ばした傑作です。

 ドビュッシーの、あるいはブラームスの、そしてランディー・ニューマンのオーケストレーションがときおり遠くから懐かしく響いてくるようなこの曲には、一九八八年に発表された谷川俊太郎氏の詩集『はだか』が順不同に再構成されて、曲の進行と合わせて少女によって朗読されます。そこでは家族の構成員である「おじいちゃん」が、「おばあちゃん」が、「おとうさん」が、「おかあさん」が、そして「わたし」が、少女自身の目を通して淡々と描かれていきます。

 この曲を聴く人が「おじいちゃん」であったとしても、「少女」であったとしても、谷川俊太郎氏によって描かれる家族の肖像は、誰の胸にも甘い痛みのように響く何かが溢れています。家族というものから滲み出すどうしようもない切なさ。武満氏の旋律がさらにその言葉を掬い上げ転がすように、深く情動に訴えかけ、私たちに迫るのです。たとえばおじいちゃんを描いた谷川氏の詩の一節。

「おじいちゃんはとてもゆっくりうごく
 はこをたなにおきおえたあとも
 りょうてがはこのよこにのこっている」

 谷川俊太郎氏の詩集で、やはりときどき書棚から引っ張り出して繰り返し読み直してしまう詩が、『世間知ラズ』の冒頭におさめられた「父の死」です。最初の三行。

「私の父は九十四歳四ヶ月で死んだ。
 死ぬ前日に床屋へ行った。
 その夜半寝床で腹の中のものをすっかり出した。」

「父の死」は、父が息を引き取って、救急車を呼び、葬式の準備をし、葬式を喪主として執り行い(実際に葬儀のなかで読まれた谷川氏の喪主挨拶もそのまま挿入されます)、死後に見た「父の夢」を描くことで終わります。哲学者であった父・谷川徹三氏逝去の報は様々なところに伝わって、やがて天皇家からも弔意が届きます。そのくだり。

「天皇皇后から祭粢料というのが来た。袋に金参万円というゴム印が押してあった。
 天皇からは勲一等瑞宝章というものが来た。勲章が三個入っていて略章は小さ
 な干からびたレモンの輪切りみたいだった。父はよくレモンの輪切りでかさか
 さになった脚をこすっていた。」

 どこまでも感情を抑えた非情にもみえる筆致で描かれる父の死にはしかし、どれほど筆致が乾いていようとも、押しとどめようもないセンチメントが、死という分厚い壁の向こうからぐいぐいと押して迫ってくるようです。谷川氏の詩がどこか特異な感興を呼び起こすのは、ここには宗教的なものがいっさい描かれていないからではないか、とも感じます。ここには神がいない。仏もいない。永遠も、輪廻転生もない。

 かつて『定義』という詩集で谷川氏が試みたことは、例えば目の前にあるコップをどのように限りなく現実そのものとして再現し描くことが可能か、ということでした。それは言葉を換えて言えば、かつて森羅万象を定義していたはずの神の不在を生きる現代において、詩人は世界をいかにして描けばよいのか、という自問自答だった、と解釈できる気がするのです。そしてこの一篇の詩「父の死」では、『定義』で試みようとしたことによってあぶりだされたように、人間自身の「二十億光年の孤独」、神の不在そのものが描かれている、と思うのです。

 まもなく校了を迎える次号の特集「考える仏教」を編集しながら、私はふたたび武満氏の「Family Tree」を聴き、谷川氏の「父の死」を書棚から取り出して読み返しました。ヒステリックなまでに「泣きたい気持ち」の行き先を求め、あるいは「仏教」を「再発見」してすがろうとしているかのような現在の私たち日本人に、いったい何が不足しているのか、あるいは何を失いつつあるのか。武満氏の音楽詩に、そして谷川氏の詩に、その何かが描かれているように感じるのです。
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