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中谷宇吉郎エッセイ集『雪は天からの手紙』池内了編
(岩波少年文庫)


 雑誌「クウネル」(マガジンハウス)の最新号の表紙は、深い青をバックに撮られた雪の結晶の拡大写真! なんときれいなことよ! ほれぼれと見てしまいました。本文でも「雪は天からの手紙」と題して、1900年生まれの世界的な雪氷学者、中谷宇吉郎をめぐっての紹介記事と、雪の結晶の多種多様な写真がずらりと並んでいます。東京ではなかなか見られない美しい結晶の写真に見入っていると、気持ちがしんと研ぎ澄まされるようでした。

 中谷宇吉郎という科学者は、「雪博士」として世界的にも知られた存在です。研究者として様々な業績を残したばかりでなく、独自のスタイルを持った第一級のエッセイストでもありました。大学時代の中谷宇吉郎の恩師は寺田寅彦。文人としての教養と才能のある科学者として先行する存在があったことも、中谷宇吉郎の筆を持つ手をさりげなく、しっかりと支えたのでしょう。

「クウネル」に刺戟され、本書を買って読んでみました。中学生の頃に、何かのアンソロジー、あるいは教科書で中谷宇吉郎の文章は読んだことがあったはずです。しかし、「雪の人」という漠然としたイメージ以外に、どんな文章だったか記憶が何も残っていませんでした。しかし、今回あらためて読んでみたら、これがびっくりするほど面白いのです。1930年代に書かれたものも収録されているのに、今読んでも少しも古びたところがない。いや、その柔らかでみずみずしい文章は、いま世の中にあまたある科学エッセイのなかに置いてみても、生き生きとした空気を含んで際立ったものになるのではないでしょうか。

 それは中谷宇吉郎という人の、「人となり」が文章ににじみ出ているからに違いありません。背中はすいと伸びている。慌てず騒がない。ユーモアがある。目の前のものごとをつねに相対化してじっくり眺めることができる。読者にわかりやすく丁寧に伝えようという心構えがある。けっして学者バカにはならない教養の幅の広さを持っている。中谷宇吉郎の文章の魅力はそのようなところにあるのではないかと思います。

 たとえば「ケリイさんのこと」。終戦直後に日本にやって来て、総司令部の経済科学局に属した物理学者ケリイ博士の鮮やかなエピソードは短篇小説のようです。冬の石狩川の河口の調査に馬橇で向かったケリイ博士は、その帰途に吹雪に遭い、あやうく遭難しそうになります。しかし灯りのついた小さな百姓家にたどりつき、まったく言葉の通じない老婆がケリイ博士を迎え入れるのです。老婆はケリイ博士をいろりのそばに座らせて、薪をどんどんくべて部屋を暖かくします。

「ケリイさんは、煙にむせびながら、一晩中、その老婆と対坐して、夜を明かしたそうである。その間二人の間には、言葉としては、一言も通じなかったわけである。しかしケリイさんの述懐によれば、『言葉は一言も通じなかったが、言葉などはいらないもので、あの老婆が言いたかったことは、全部分った。そして思っていることもすっかり読みとれた。日本人の「言うこと」が、あれほどよく分ったことは、今までになかった』という話であった。」(「ケリイさんのこと」より)

 中谷宇吉郎という人はおそらく人間が好きだったのでしょう。雪の研究で何度となく越冬した十勝岳の山小屋の記憶を綴る際にも、その山小屋に住むO老人夫妻への言及も忘れません。研究に没頭しているうちに、その日は一日中誰とも口をきくことがなかった──もちろん中谷宇吉郎にもそのような日々があったでしょう。しかし本書を読んでいると、研究の合間に、進んで老人夫妻に声をかけ、世間話をし、談笑する中谷宇吉郎の姿がありありと見える気がするのです。

 寺田寅彦は中谷宇吉郎に繰り返し言ったそうです。「一番大切なことは、役に立つことだよ」。それは言葉を変えれば、人間への興味を失うことは、すなわち学問の終わりだ、ということでしょう。中谷宇吉郎の文章がなんとも「人間らしい」体温を持ったものになっているのは、彼個人の資質と、恩師の影響があったのだと思います。

 久しぶりに「心が豊かになる本」に出会いました。「クウネル」くん、ありがとう。
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