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『バルトーク晩年の悲劇』
アガサ・ファセット著 野水瑞穂訳(みすず書房)


 1977年、大学1年のとき、初めてバルトークの世界に触れました。寺山修司の演劇「中国の不思議な役人」(原曲=バルトーク)を渋谷のパルコ劇場へ見に行ったのです。主演男優は伊丹十三。主演女優は山口小夜子。舞台美術は合田佐和子。「新劇」の匂いのしない異色の顔ぶれによる舞台でした。寺山修司にパルコ劇場というのはちょっとお洒落がすぎるような気もして、微妙な居心地の悪さを覚えないでもなかったのですが、伊丹十三演じる“中国の不思議な役人”が、最後に自分のからだをばらばらにしてゆく仕掛けある演出と怪演が、そんなもやもやを吹き飛ばす迫力を持っており、忘れられない舞台のひとつになりました。

 1977年当時の伊丹さんは、自然の豊かな湯河原で、子育てを中心に据えた暮らしに取り組む主夫(ハウスハズバンド)の時代でした。「中国の不思議な役人」のパンフレットに寄稿されている伊丹さんのエッセイは、湯河原での良き家庭人として生きることの幸福を臆面もなく書いた、とみせながら、最後で寺山修司の演劇論にもなっているという秀逸なものでした(この単行本未収録の一文は、4月22日発売の『伊丹十三の本』に収録しています)。

 バルトークが「中国の不思議な役人」を完成させたのは1916年。しかし描かれている物語が不道徳だということで何度となく上演中止の憂き目に遭い、完全なかたちで上演、演奏されることになったのは、バルトークの死の翌年の1946年、作曲から約30年を経て、といういわくつきの作品でした。

 その後私は、ながらくバルトークの作品に触れる機会はありませんでした。ところが去る2月、ピアニスト内田光子さんをインタビューする機会にめぐまれて、シカゴ交響楽団と内田さんの共演の最中にシカゴを訪れた際、その機会は再びやってきました。内田さんの弾く曲がバルトークの遺作であるピアノ協奏曲第3番だったのです。バルトークに30年近くご無沙汰していたのに、今年になって伊丹十三さん、内田光子さんとの仕事を媒介に再会することになったというわけでした。

 本書は、ナチ支配下のハンガリーから脱出し、1940年にアメリカに亡命して以降の、亡くなるまでの約5年間のバルトークの日々を描いた私的なノンフィクションです。著者アガサ・ファセットは故国ハンガリーのブダペスト音楽院時代にバルトークを師と仰ぎ、バルトークよりも20年早くアメリカへ亡命した、いわば「教え子」だったのですが、ニューヨークに到着して間もなくの不機嫌きわまりないバルトークに対面するところから本書は語られ始めます。アメリカでの生活に適応できないバルトーク夫妻を支えるために、著者は日常でのあれこれを献身的にサポートしていきます。マンハッタンの騒々しい暮らしに耐えられない様子を見てとれば、郊外の貸家を探し出し、また気分の晴れない鬱々としたバルトークを、自然の豊かなヴァーモントに連れ出したり──敬愛する師だとしても、ここまで献身的になるためには自分の暮らしをかなり犠牲にしたのに違いありません。しかし著者は、報われない献身を嘆くこともなく、バルトークの最後の日々を刻々と記録していくのです。

 師であるバルトークは彼女の献身ぶりについて、どう反応したかと言えば、彼の狷介な性格のなせるわざか、内心では感謝していたかもしれぬものの、ほとんどその感謝の気持ちを表に出すことはありません。バルトークはつねに自分の不運を噛みしめる深刻で憂鬱な表情を崩そうとはしないのです。

 バルトークが生き生きとする瞬間を見せるようになったのは、ヴァーモントにある著者の別荘に滞在したときでした。ニューヨークの喧噪から離れて、自然の豊かな田舎で過ごす時間は、バルトークの故郷であるハンガリーでの幼い頃の暮らしを思い起こさせ、また青年時代にフィールドワークとして取り組んだ民族音楽の録音採集の日々も甦らせるのです。バルトークはそのような暮らしのなかで、ほんの少しだけ笑顔を取り戻します。不機嫌な表情をかき消し、近隣の農民に対してきわめて親密にふるまうバルトークの姿は、彼の人生において何が大切にされてきたのか、何に価値をおかれてきたのかを雄弁に語る魅力的なエピソードです。

 亡命後の暮らしの負担とストレスにも影響されたのか、バルトークはやがて病に倒れます。最後まで恵まれぬ状況のまま作曲を続ける姿は痛々しいものです。そして、遺作となったのが、2月に内田光子さんが弾いたピアノ協奏曲第3番でした(内田さんのこの曲についての精密な読みとりについては、ぜひ現在発売中の「考える人」の「内田光子ロングインタビュー」をご参照いただければと思います)。

 バルトークの満たされない魂を鎮魂するかのように書かれた本書は、その姿を美化することなく、あくまで客観的たろうとするところが見事です。些細な日常のシーンも拾い上げることによって、自然や音に過剰なほど敏感だったバルトークの 微妙な内面の襞まで浮かび上がってきます。バルトークをいたずらに巨大化することもなく、また矮小化することもない、こういった本にありがちな陥穽から自由な本書は、音楽というものへの愛情に支えられていたからこそ、真っ当なかたちで書かれることになったのではないでしょうか。

 内田さんをインタビューするためにシカゴに向かう飛行機のなかで本書をひもとき、一気に読み進めながら、私はバルトークという音楽家への関心をさらに深くすることになりました。

 そして、シカゴに向かうしばらく前のことです。『伊丹十三の本』の編集のため、湯河原の伊丹邸を訪れたことがありました。今は主のいない、静まり返った一階の書斎の脇の壁には、「中国の不思議な役人」のために描かれた合田佐和子さんの大きな絵が飾られていました。現実から遠い異空間へと導くことに大きな役割を果たした合田さんの、夜の闇の濃い恐ろしさ漂う絵にこうして再会することになったのは、なんとも言えない感慨がありました。バルトークの作品を下敷きにしたあの不思議な芝居は、伊丹さんにとっても、忘れがたい特別な作品だったのかもしれません。
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