Kangaeruhito HTML Mail Magazine 129
 

ジョール・マイヤーウィッツ
「ア・サマーズ・デイ」(リブロポート)
Joel Meyerowitz A SUMMER'S DAY
(Times books) (ともに絶版)


 長い休みをどう過ごすかは人それぞれだと思います。休みの始まる半年ぐらい前から行く場所を決めて周到に準備をし、満を持してでかける、という方もいらっしゃるでしょう。高速道路の大渋滞にまきこまれて人でいっぱいの行楽地にいってもしかたがない、家でゆっくりくつろいでいるほうがいい、という方もいらっしゃると思います。私の場合は、どちらであっても、基本的には何もしない休みというのが理想の休暇の過ごし方です。ところが、これがなかなか実現しません。

 時間が過ぎてゆくのを、あまり何も考えずにぼんやりと眺めているような一日。ところが、ちょっと油断すると仕事のことを考え始めたり、やるべきことを思い出してしまったり、貧乏性の虫がむずむずと動き出してしまう。ぼんやりできません。会社員の日常は、その日一日の「やるべきことリスト」が頭のなかに並んでいて、それを順番にこなしていくことそれ自体であるといっていいのですが、平日から休日に変わったとたんに、そのリストが雲散霧消するはずもなく、休みの日なのにそれぞれの項目には赤信号や黄色信号が次々と点滅して、よほどの蛮勇をふるわなければ、スイッチをオフにはできないのです。

 昔見たテレビで、野生のゴリラが茂みのなかに横たわって空を見上げ、少しまぶしそうな目をしながらぼんやりしている、というシーンを見たことがあります。ああ何て人間くさい表情だろうと思って見とれてしまいました。それが人間と同じく「ただぼーっとしているだけ」なのかどうか、確かめようもありませんが、しかし、そうとしか見えないのです。ゴリラに限らず、生き物はそれほど目的的に生きているとは限らないのではないか、と思うこともあります。たとえば、日向ぼっこしている犬。池の水面近くを漂っているメダカ。木の枝にどっしりと居座って羽づくろいしているキジバト。彼らの様子を見ていると、何かに駆り立てられているわけでもなく、何か「ぼーっとしている」と形容したくなるような独特の風情があります。

 タイトルどおり「ある夏の一日」を朝から夜までとらえたのがこの写真集です。1985年度のアンセル・アダムズ賞の受賞作品。アメリカの東海岸、ケープ・コッド近辺の避暑地の光景を、エイト・バイ・テンの大きなカメラで撮影しています。浜辺には「海の家」も「リゾートホテル」も見あたらず、「芋を洗うような人出」もなく、車の渋滞もありません。人々の話し声も透明な空に吸い上げられてしまい、あとには何も残らないような静謐な時間がここには流れています。この静謐さを保障するものは、おそらくこの地域の歴史や特性と不可分のものでしょう。しかし、写真にとらえられた光景は、うがったような解説も追いつけないような、絶対的な静けさと時の止まる瞬間が奇蹟的に刻印されているのです。

 私にとっての「ただぼんやりするだけの休暇」のイメージはいつもこの写真集にたどりつきます。そして最後に少しだけ余計なことを付け加えるとするなら、この聖なる休息のイメージは、同時に、勤勉で秩序だった日常生活を一瞬にしてかりそめのものに反転させてしまいかねないような、そんなおそろしい力も秘めていると感じます。刹那的というのではなく、アナーキーというのでもない。しかし「このまま意識を失ってしまってもいい」と思えてしまうような、浜辺の「真昼どき」に聞こえてくる危ない囁き。この写真集にはそんな魔力も感じるのです。

 長い休暇は多少あわただしく忙しく過ごすぐらいのほうが、ふだんの日常生活に戻りやすいのかもしれません。私もカレンダー通り、明日からまた三日連休です。はたしてどれぐらいぼんやりと過ごすことができるでしょうか。
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