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河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫)


 8月末に新潮文庫版が発売される、吉本ばなな*さんと河合隼雄さんの対談『なるほどの対話』のゲラを読み直していたら、久しぶりに『こころの処方箋』(新潮文庫)に手が伸びて、ぱらぱらと読み直してしまいました。一度ならず読んだ章ばかりなのに、いずれの章もいったん読み始めたら、ついつい最後まで読んでしまいます。会話体ではなく、「である」文体で書かれた本であるのに、どこかから河合さんの関西弁が透けて聞こえてくるような感覚もあり、難しい学術用語もいっさい使われていないこともあって、村一番の賢者である老人に教えを乞うているような錯覚を覚える本です。

 河合さんの関西弁にはなんとも言えないニュアンスが漂い、絶妙な呼吸があります。座談会などでダジャレを連発しているだけかと思って油断していると、突然ストンと、ハンカチ落としのような手つきで迫力のある言葉をポンと置き去りにしていくことが、河合さんの場合は少なくないのです。吉本ばななさんとのやりとりではこんなくだりが出てきます。他人事のように言いながら、実は河合さんご本人についての自己批評とも読めます。


吉本 関西の人には、言葉だけとってみるとヒヤッとするようだけれど、実は心地いい距離感がありました。東京は、もっと「ねとーっ」として。関西は、パンパンッていう感じで。
河合 で、ときどきグサッと本当のこと言うからね。あれが面白いんですよ。(『なるほどの対話』より)

 私が河合さんの本を読み始めたきっかけは、伊丹十三さんの本でした。『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』に収録されている鼎談「自由論的育児論」のなかで、おそらくは眉間に皺を寄せながら、伊丹さんは正攻法の問題提起をおこなっています。いっぽう、伊丹さんよりも五歳年上、当時は五十代に入ったばかりの河合さんは、深刻になりかねない伊丹さんの問題提起をいきなりかわす「作戦」に出ます。河合さんの発言で、伊丹さんははたして愁眉を開いたのか、それとも苦笑いしたのでしょうか。活字からは読み取れません。


伊丹 (前略)私の友人で、小学校一年生の男の子を持つ父親がいるんですが、ある日彼が、その子に向かって「コラ、お前勉強しなきゃ駄目じゃないか」って怒ったわけですね。そうしたら子供が「だって、それはめいめいの自由だろ」っていったっていうんです。友人は、それを聞いてグッと詰まってしまった。(中略)仮にですよ、子供が本当の意味で、「それはめいめいの自由だろ」と問いかけてきたとしたら、一体大人はどう答えるべきなのか。(後略)
河合 (前略)あくまでもその親子の歴史と、そういうやりとりの出た状況とによって、対処の仕方も違うわけで──ですから教科書的でなく答えようとするなら「めいめいの自由や」と子供がいったら「ああ、そんなんやったら、勉強せんやつの頭殴る自由もあるにや」いうてガツンと殴ってもええし(笑)つまり、父と息子ですからね。頭で考えんとボカスカやった方が早い場合も多いし、子供も一発ぐらい殴ってほしいと思っているかも知らんしね。つまり――つまり子供っていうのは「めいめいの自由や」といいながら、ほんとは今は勉強した方がいいということをよく知ってるんですよ(笑)よく知ってるんですワ。(『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』より)

 もし河合さんの発言を標準語に置き換えたらどうなるでしょう? 真実とウソとが「あざなえる縄のごとく」分かちがたく混在しているような会話が、もっと硬く、余地のない、真実味ばかり勝ったものに変わってしまうのではないでしょうか? 難しいことをやさしく、両義的なことを自然に織り込める、関西弁のとらえどころのない融通無碍さには、標準語はとうていかなわない、と思ってしまいます。

 河合さんの文章の魅力は、『こころの処方箋』のなかではやはり何と言っても「章のタイトル」の見事さに現れています。たとえば、第一章のタイトルはいきなり、「人の心などわかるはずがない」。「こころの処方箋」というタイトルに引かれて本書を手に取った読者に、試合開始早々、笑顔で足払いをかけるのです。読者はこの瞬間に河合さんの術中におちいってしまいます。伊丹さんの問題提起に対する河合さんの「笑顔の返し技」とよく似ています。タイトルで読者のこころをつかむのは、日常生活のなかで「ポッ」と相手に投げかける言葉の案配とそのタイミングを河合さんが熟知した人であることを示しているのだと思います。全五十五章のうち、いくつかのタイトルを紹介してみましょう。

100%正しい忠告はまず役に立たない 
「理解ある親」をもつ子はたまらない 
男女は協力し合えても理解し合うことは難しい 
ものごとは努力によって解決しない 
灯を消す方がよく見えることがある 
うそは常備薬 真実は劇薬
どっぷりつかったものがほんとうに離れられる 
強い者だけが感謝することができる 
羨ましかったら何かやってみる 
「幸福」になるためには断念が必要である

「やさしいことを難しく書く」のと「難しいことをやさしく書く」のではどちらが上等なことか、敢えて申し上げるまでもないでしょう。本書は、その点でもやはり右に出るもののない名著だと思います。臨床心理の現場で、あるいは神話、おとぎ話、古典文学など、文字で書かれた私たち人間の営為を読み解くことで、私たちのこころがどのように働いているものなのかを明らかする河合さんの仕事は、必ずしもつるつると読み進められるものばかりでもないのですが、本書はつるつると読むことができて、しかも何かにつまづいたとき、ふっと河合さんの関西弁のトーンで頭のなかに甦るような、まさに「処方箋」として具体的に手助けをしてくれる、心強い言葉の宝庫でもあるのです。

*(念のため、刊行当時の表記にしています。今は「よしもとばなな」)
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